
静岡といえば、お茶とみかん。あと、カツオとマグロも有名なのだそうです。

この「茶」文字に植林された山は、「粟ヶ岳」(あわがたけ)。
そう、阿波ヶ岳なわけです。

つまり粟ヶ岳の山頂には、当然のことながら、阿波の聖地があるのでした。

ふう。風が、、、最っこう♪

そして、その聖地というのが「阿波々神社」(あわわじんじゃ)です。

来た人がみんな、「あわわ」となるので、あわわ神社です。たぶん。

いつあわわになっても大丈夫なように、心を引き締めて参道を歩きます。

社殿が見えてきました。

当社祭神は「阿波比売命」(あわわひめのみこと)。

なんで”あわわ”になったかは分かりませんが、阿波姫(あわひめ)さんですね。

創建は天平8年(736年)とされ、時期は聖武天皇の、いわゆる奈良時代の最盛期にあたります。

社伝によれば、阿波比売命は、粟ヶ岳麓にある「事任八幡宮」(ことのままはちまんぐう)の祭神「己等乃麻知比売」(ことのまちひめ)の和魂(にぎみたま)であるとされていました。

コトノマチヒメとは何ぞや。

事任八幡宮が伝えるところによると、コトノマチヒメは、忌部の神である「玉主命」(たまぬしのみこと)の娘で、中臣の祖である「興台産命」(こことむすびのみこと)の后。また、「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)の母親ということです。

玉主命とは、「玉祖命」(たまのおやのみこと)のことでしょうか。玉祖命は別名に「玉屋命」(たまのやのみこと)、「豊玉命」(とよたまのみこと)と呼ばれたとあります。

さて、阿波々神社境内に、遠州七不思議の一つ「無間の井戸」があります。

聖武天皇時代、粟ケ岳の山頂には、撞けばどんな願いでもかなってしまう「無間の鐘」というものがありました。
噂を耳にした人々は山頂へ殺到し、鐘を奪い合い、怪我をしたり突き飛ばされて落ちて亡くなる人もいたといいます。
その鐘は、現世では願い事が何でも叶うが、死後は無間地獄に落ちるといわれていました。
死後の報いを考えず鐘を撞きに来る人が絶えない様子に、阿波々神社の住職は、無間の鐘を井戸に投げ込んでしまいました。
それ以来、その井戸は「無間の井戸」と呼ばれるようになったのでした。

「あわわ」

さて、境内の杜は素晴らしい神氣に満ちています。

禁足地もありますので、道を外れないように注意して歩きましょう。

少し歩くと、山頂に着きました。

杜の中には巨石が点在しています。

今度は山頂から降って行くと、

巨石の磐座群に遭遇します。

岩、

岩、

岩神さまさま。

こうしてみると、磐座祭祀の大元は、出雲よりも阿波にあるのではないかと思えてきました。

とにかく阿波系の磐座は、巨岩の圧が強いのです。

この辺の穴が「その奥を知る人ぞ無し」といわれる無間の地獄穴だそうです。
欲望のままに無間の鐘をついた者たちが堕ちていった穴です。

「あわわ」

徳島の浮島八幡宮跡参拝から、阿波姫を追ってきましたが、浮島の阿波姫と、神津島の阿波姫、粟ヶ岳の阿波姫は、同一人物ではないのかもしれません。

地名や国名に姫・彦が付く場合は、その土地の巫女と王の役職名である場合がほとんどだからです。

つまり、阿波国の代々の姫巫女(ヒミコ)が阿波姫だということです。

駿河国の山中に巨石群を見つけ、アワヶ岳と名付けた人々が、彼らのどの姫神を祀ったかは分かりませんが、その者が偉大な姫巫女であったことだけは間違いありません。

