
福岡県築上郡吉富町小犬丸に鎮座の「八幡古表神社」(はちまんこひょうじんじゃ)を訪ねました。
大分県中津市との県境に位置します。

縁起によれば、欽明天皇の御宇6年(545年)、中津川(山国川)のあたりに「玉手翁」(たまてのおきな)という者が住んでおり、吹出の高浜を散歩していたところ、美しい白雲に乗った女神が飛来したと云います。

翁はすぐに、それが神である事を察し畏れ拝みました。すると女神は言いました。
「吾は息長帯姫なり。昔、三韓征伐のおり軍卒集まり難しにより諸国を歴視し此の所に来りて海辺の石の上にて諸国の神々を祭る。よりて軍卒多く集まり船をも調達、険浪を渡り三韓を伐つ。しかるに後世これを知る者なし。今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せんとす。汝此の所に社を建て吾を祭れ」と。

そうして翁は吹出の高浜の島の最も荘厳な所を選び、社殿を建て、息長大神宮と称してお祀りしたということです。

神門の横には恵比寿神社。ご神体は、海中からあがった霊石だということです。

当社は三社からなり、中央に八幡宮、向かって左に住吉宮、右に四十柱宮が鎮座する形となっています。

養老3年(719年)に日向・大隈の隼人の乱で、朝廷はその鎮圧を宇佐宮に祈願し、これを治められたことから、八幡宮を合祀したということです。
拝殿に掛けられた扁額には、「吹出濱神社」とあります。
当地は、昔は一つの島のような地形で、白砂青松の景勝地「吹出浜」と呼ばれていたそうです。
古くからの名所であり、和歌にも読み込まれて来ました。

四十柱宮は、当社に伝わる伝統芸能「細男舞」(くわしおのまい)「神相撲」(かみすもう)に登場する、四十七の神を「古表大明神」として祀っているそうです。

「細男舞・神相撲」とは、傀儡子(木彫りの操り人形)を使った舞と相撲のことで、鎌倉時代から始まり、昭和の初期に本格的に復元され現在に伝わる民俗文化です。
奈良時代に始まる宇佐神社の放生会に古表船を出し、傀儡子を操って細男の伎楽を奏したのが起源とされます。

神相撲は様々な神が「勝抜相撲」「飛掛相撲」「押合相撲」の3種の相撲をとるのですが、いずれも住吉大神が大勝利を収めるというもの。

なにやら秦族への忖度を感じさせます。

また当社には、神功皇后が黒牛にまたがった姿の御神像も伝わっているということです。



「鏡の杜」と呼ばれる八幡古表神社の鎮守の杜には、ちょっと不思議なものがあります。

この中にある、

この石も意味深ですが、

これだよねー。
何でこんなとこに、三つ鳥居があるんだろう。

奥の神社も何だーコレー。
八幡古表神社のHPにも、これといって説明がないんだよねぇ。

narisawaさんが、羽黒神社の鳥居が檜原神社に似てなくもなくも、なくもなくないんじゃないん、なんていうので、アップしてみた記事でした。

