恵光寺:常世ニ降ル花 朝近残月篇 番外

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筑前国一宮にして、「宇佐神宮」「石清水八幡宮」に並ぶ三大八幡宮の一社、「筥崎八幡宮」(はこざきはちまんぐう)。

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その参道沿いに、ひっそりとある筥崎宮の社坊「恵光院」(えこういん)を訪ねました。

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小さな寺院ですが、かの千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという場所で、福岡藩二代藩主「黒田忠之」の開基により寛永年間(1624~1644)に建立されたという名刹です。

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恵光寺さんの存在は、恥ずかしながらこれまで知りませんでした。

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ここを知ったのは確か、磐座女子さんのFBの記事だったかと。

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はてさて、何ゆえここに参ったかというと、

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このお稲荷さんですわ。

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ちゃんタソいた~っ!
朝近ちゃんに会えて、幸せなう。磐座女子さんマジ感謝。

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2件のコメント 追加

  1. 匿名 より:

    はじめまして。

    初めて書き込みします。読むだびに考えさせられることが多くあります。

    私は生まれも育ちも九州の人間です。仕事の都合で東京に行き20年になります。私は出雲大社が好きで何かあると出雲大社にお参りするくらいに入れあげて?いました。たまたま富家の末裔の方の書いた本を読んで衝撃をうけて悲しくなってしまいました。

    私たちは九州だから出雲族や出雲系大和を侵略した人たち、という事になり、いまだに富家の人たちは、苦しみ千家や物部や秦氏系の私たちを恨んでいるのだろうか?私はなんにも知らなかったのに、など罪悪感でいっぱいになりました。神社にいけば御祭神を調べ、本当の歴史は、裏の歴史は、などと思うようになり苦しくなりました。

    あんなに神様がただ好きで自由に心を遊ばせていましたが、今はそれができなくなってしまいました。富家の方の書いた本はその後何冊か読みました。嘘を書いてないのは何故かわかります。すでに私たちの中に侵略した人やされた人たちの遺伝子が入り混血しているとその方は言われてましたが、やはり罪悪感が今も心を占めていて昔のように神社に行けなくなりましたが、最近ようやくまた少し心を開放することができるようになりました。

    あなたのブログを見つけ心を癒やされました。ありがとうございます。

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    1. 五条 桐彦 より:

      こんにちは。
      ようこそ、『偲フ花』へお越し下さいました。

      私も九州生まれの九州育ちで、出雲も大好きなら、宮崎高千穂も大好きでした。
      富家伝承を知れば、神社・神話好きであればあるほど、大きなショックを受けてしまいます。
      以前、富先生に直接、「富家の方々は迫害を受け大変な思いをされたのでしょうか?」とお聞きした事があります。すると、「逆だよ。ホヒ家が悪さをしようものならサンカが来て、仁王立ちになって睨みつけるんだ。とてもおっかないよね」と、誇らしげに語ってくれました。
      今の出雲大社の有り様を見れば、やはり何らかの圧力はあったのではないかと思いますが、とりあえず富先生の言葉に、少し救われた気がしました。

      最近、九州王朝説の方と懇意にしており、そこから、物部よりもかなり古い時代から、九州に偉大な王家があったのではないかと思うようになりました。
      それが、今のシリーズで書いている阿波・越智の一族です。彼らは出雲族同様に、誇り高い一族だったのではないかと、考えています。

      争いも、残念ながら我々の歴史の一部であり、それを無視はできません。しかし、聖地を訪ねてみれば、なぜかいつも、心地よい時間と美しい景色でもてなしてくださいます。歓迎されているかは分かりませんが、少なくとも、ここにいて良いと言われているようで、罪深い、業深い私も、少しだけ神のそばに寄り添わさせていただいているのです。

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