
日本唯一、漬物の女神”かやのん”に、逢いに行ってきたのん。

お漬物の聖地「萱津神社」(かやづじんじゃ)は、愛知県あま市上萱津にありました。

萱津神社は新川に注ぐ五条川沿いにありましたが、

境内の隣には「農家龍神」という、これまた変わった名前の龍神さんがいらっしゃいました。

五条川の土手から境内に入りますので、萱津神社はちょっとした下り宮になっています。

しっとりとして、とても雰囲気の良い神社。

創建時期は不明。日本武尊が東征の途中で参拝したとする伝承があるそうです。
ヤマトタケルと神功皇后は、どこにでも伝承がありますな。

村人がヤマトタケルに漬物を献上したところ、彼は「これは藪(やぶ)に神物(こうのもの)である」と称えました。このことから、漬物のことを「香の物」と呼ぶようになったんだとか。

当社祭神は、「鹿屋野比売神」(かやのひめのかみ)。愛称「かやのん」。

『日本書紀』では「草祖草野姫」(くさのおやかやのひめ)と記され、草の祖神とされます。
神産みにおいてイザナギ・イザナミの間に生まれ、『古事記』においては、山の神である大山津見神との間に、4対8柱の神を生んだとされます。

神名の「カヤ」は萱のことで、古くは屋根を葺くのに使われており、草の霊として草の神の名前となったと考えられています。
また、別名の「ノヅチ」(野槌)は「野の精霊・野つ霊」の意味とされます。

萱津神社の本殿裏に回ると、これまたしっとりとした末社群の敷地がありました。

そこに、「香の物殿」と呼ばれる建物があります。

ここで、毎年8月21日に「香の物祭」が行われ、多くの漬物業者が参列するのだそうです。

言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていましたが、当時、この地が海岸線であったこともあり、海からとれた塩も供えるようになったといいます。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったのだとか。

「香の物祭」では、カリモリ、ハクサイ、大根、ナスの4種類に虫除けのためにタデを用意し、熱田神宮から派遣された宮掌が祭詞奏上を行った後、直径約80cmの甕5個に参加者が野菜ひとつと塩をひとつかみ持って漬け込みます。全て漬け終わると、甕に蓋をして、重石を乗せ、終了となります。

香の物は2年間漬けられ、熱田神宮に奉献されるほか、祭りの際には参列者にふるまわれるのだとか。かやのんの漬物、食べてみたい♪

萱津神社の杜は「草ノ社」「種の社」、そして「阿波手の社」と称され、歌枕の地でもありました。
伊吹山で負傷したヤマトタケルの事を妻の宮簀媛(みやずひめ)が知り、急いで駆けつけたが既に夫は伊勢に帰った後で、媛は逢えなかった、このことから「阿波手の杜」と呼ばれるようになった、とのことですが、

いやいや、「阿波」でしょ、これは。
粟鹿神社の神紋の由来が、境内に祀られるカヤノヒメにあるってんだから、彼女もまた、阿波姫だったのだと思います。
そういや、ここの神紋は「抱き茗荷」(だきみょうが)ではないんですね。

かつて萱津神社には、「連理の榊」と呼ばれる神木があったそうですが、今は枯れてしまって社の中に保管されていました。
連理の榊はヤマトタケルを慰めるために植えたという説と、彼が手植えしたとする説があるそうで、この御神木の葉で祈ると願いは成就し良縁に恵まれるということです。

ただいま、2代目連理の榊造成中。

境内の駐車場側に、黄金のかやのん像がありました。

遠目に見るとシュッとしてますが、近づくと、

あら可愛い♪

カヤノヒメはオオヤマヅミの奥さんだったとのことなので、幸姫だったんじゃないかなと思うのですが、違うかもな、とも思っています。

ただ、母系社会で姫巫女全盛時代の大地母神「サイヒメ」が、もっとあちこちに祀られていても良いのではないかと考えています。
名前を変えて、意外と傍に、あったりするのかもしれません。

