名草神社(養父市):常世ニ降ル花 土雲歌譚篇 番外

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日本三大名草の養父・名草神社に行ってきました。

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日本三大名草とは、本家・和歌山の「名草・中言神社」群と、栃木足利市の「名草厳島神社」、そしてこの兵庫県養父市に鎮座の「名草神社」(なぐさじんじゃ)を言います、

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というのは、さっき僕が言い出したことなのだけども。

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参道入口脇には、小さな社が祀られています。

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石灯籠を見てみると、おやまあ、お稲荷さんでしたか。
おコンにちは。

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さて、この参道の坂道もなかなかですが、ここまで来る山道もなかなかでした。
細く荒れた道に、そしてところどころに残る雪に怯えながら、延々と車を走らせてきました。
普通に落石とか倒木とか転がってる道でしたもんね。
対向車、来ないで~っ!

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森のクマさんに出会いそうな参道に心細くなっていると、

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目にも鮮やかな、赤い三重塔が突然現れました。

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なんとこの三重塔、「杵築の塔」とも呼ばれており、江戸時代寛文年間に行われた出雲大社本殿造営に際して、当社の神木妙見杉を部材に提供した御礼として、出雲大社から譲られたという由緒があるのだとか。
まさかこんな兵庫の山奥で、出雲に会えるとは思わんかったよ。

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この塔は、室町時代の大永7年(1527年)に出雲国主尼子経久の願いにより杵築大社(出雲大社)の境内にて建立された塔婆だったそうです。
塔の一番上の四隅には、見ざる・言わざる・聞かざるの他に、思わざるってのがいたらしいが見過ごした。まあいい。

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当社は養父市と美方郡の境にある妙見山(標高1139m)の中腹(標高800m)に鎮座しています。

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近世以前は妙見社と称され、守護大名山名宗全や徳川幕府の庇護を受けて近世まで山陰における妙見信仰の拠点として栄えた歴史を持つのだとか。

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三重塔から更に登っていきます。

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神の御前である。何人も馬を下りよ。

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ここには鳥居があったんでしょうな。

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まだまだ登るよー。

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おおっ!

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おーーーっ!

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隣のお堂は半分雪に埋もれてる。

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こちらの彫刻もなかなか良き。

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見事な割拝殿には、神功皇后などの絵馬が掛かります。
この名草神社は、東麓の石原集落にある日光院(高野山真言宗)の奥の院だったらしく、近世以前は但馬妙見と呼ばれ、妙見(北辰、北斗)信仰の霊地として日本三大妙見の一に数えられたそうです。

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「名草神社」の社号は明治の神仏分離以降に付けられたもの。
山上の妙見社を、養父郡の式内社である名草神社の社殿としたものだということです。

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ふぉ~、よもやこんな山奥に、こんな立派な神社があるとは。

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途中の酷道をもう少し整備して、より多くの人がもちょっと気軽に参拝できるようにしたら良いのに、と思います。

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祭神は「名草彦大神」。

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由緒によれば、敏達天皇14年(585年)養父郡司の高野直夫幡彦なる人物が、紀伊国名草より来たとのこと。
その時、民が悪疫に苦しむのを憐れんで、彼の祖神である名草彦命以下の諸神を祀ったことに始まると云います。

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それにしても、見事な彫刻。

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近年、補修と塗り直しが行われたのでしょうね。
色鮮やかで美しい社殿です。

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ラブみっけ。

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こんな場所に名草がある謎は、何となく解けました。
名草の神には疫病退散の力があったのですね。

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しかしちょっと気になることもあります。
当神社の鎮座地は八鹿村(今は町)といい、隣には九鹿村という地名もありました。
そしてここは、あの粟鹿神社から、直線で25kmほどの場所になります。
ってことは、鹿族がここにもきていた可能性が。。

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あわわ。

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帰り道、山道を少し降ると社票があったので車を降りてみると、

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夜に月を映し撮りそうな、清らかな沼がありました。

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