熊野神社(白糸の滝)

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富士山の麓、静岡県富士宮市上井出の「白糸ノ滝」に鎮座する「熊野神社」(くまのじんじゃ)が

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「気になる~ぅ」って天女さんが言っていたので、僕も気になって行って来ました。

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熊野神社は「富士宮やきそば」やさんの裏手にあります。
近隣には白糸ノ滝用の有料駐車場がありましたが、どうせ小銭を使うなら焼そば食べたいやん!ということで、お店に車を停めてイートイン。
おばちゃんが焼きそばを焼いている間に、そそくさと参拝することにしました。

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当社の祭神は主神が「熊野神」ですが、「瀬織津比賣神」が配祀されています。
天女さんは、この瀬織津比賣が

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「本来の富士山の神さまだと思う~ぅ」って言うのです。なるほど、さもありなん。

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熊野神社は、江戸後期の諸地誌には「富士大権現社」と記載されており、また、一説に『惣国風土記』に載る「白絲乃瀧、御守神社、所祭瀬織津比也」の該当社とされることから、瀬織津比賣が白糸の滝の本来の祭神であったと思われます。
白糸の滝は、源頼朝が富士の巻狩りのさいに参拝したとか、浅間大菩薩の胎内とされる人穴で修行する際、角行が禊をしたなどと伝えられ、確かに富士参詣の重要聖地だったのです。

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熊野神社の中を覗くと本殿があり、四柱の神名が書かれた木札がありました。
おおこれは、と画像を拡大してみると、

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「屋船久久遅命」と「屋船豊于気姫命」、工匠の神様である「手置帆負命」と「彦狭知命」、これは上棟祭で祀られる家屋を守護する神々でした。
なんでこの人たちが家の神さまなのか

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「気になる~ぅ」。

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8件のコメント 追加

  1. 相模三九郎 より:

    瀬織津姫つながりだと、三島市に瀧川神社があります。スピ系に人気の様で、路上駐車が問題の様ですw

    ところで、7月に箱根に来られる際は、仙石原まで行かれる予定はありますか?ル・ヴィルギュルという、雰囲気のいい(⇐僕の主観)こぢんまりしたレストランがあります。google mapでも検索すれば出てきます^^

    事前予約は必須ですが、沼津産鮮魚や箱根牛、御殿場野菜などが食べられるので、お勧めです。

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    1. 五条 桐彦 より:

      情報ありがとうございます😊
      調べてみましたが、おっしゃるとおり、素敵なレストランですね。
      1泊2日で娘も一緒なので、時間に余裕があれば立ち寄りたいところです。
      今回はレンタカーではなく公共機関を利用する予定ですが、羽田からのアスセスが思いの外良くないようで、現地までの往復に時間がかかるのが難点ですね。

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      1. 相模三九郎 より:

        もし、静岡の三島や韮山のほうに行かれた際には、”三嶋大社~芦ノ湖湖畔の元箱根”の間は、40分ほどで車で行き来できますよ^^

        先月、箱根に行った時に三嶋大社の宝物館に2時間弱いましたw ここまで変態的に系図や日本書紀写本の漢文、巻物や日本刀まで見漁ってる人は、三嶋大社史上…初だったんじゃないかw

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  2. Nekonekoneko より:

    🐥瀬織津姫は歴史の中で徹底して隠蔽され続けた神。隠蔽されるには何か深い理由があったのでしょう。物語として作り出された神だと言いたいのなら、何故その物語ですら存在しないのかという問題。誰かがそれを隠したいと思うなら、歴史自体から抹消するのが1番有効な方法でしょう🐣

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    1. 五条 桐彦 より:

      僕的には瀬織津姫は実在の人物がモデルだと思っています。
      隠蔽されてきた、というにはメジャーな印象です。
      記紀には記されませんが、大祓であれだけ唱えられていて、隠蔽はないでしょうね。narisawaさんがヒントをくれましたが、中臣が瀬織津姫の名前を使っていただけと言うことでしょう。
      瀬織津姫の名前を隠蔽抹消する理由がありません。

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      1. Nekonekoneko より:

        大祓で唱えれば歴史的に何かが証明されるという事は無いかもしれません🐤

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  3. 匿名 より:

    narisawa110

    瀬織津姫なんですけどね。スセリヒメと同一視する考え方は単純に大祓えの所に出てくる漢字の音感で類推してるだけの様な気がします。

    じゃあという事なのですが、物部におけるカガセオというイメージで、中臣家の作り出した神様なんじゃないかと考えて居ます。大祓そのものは中臣祭文とも言われて居ますよね。その中にしか出てこない、記紀にも記されないとするのであれば、中臣家の肝煎りの神様で、神社参拝の際に必ず真っ先に拝むことを考えたら、序列としては何気に上位に来て居ます。

    それが中臣氏の権勢が増大し、他の神社や親戚筋が迎合して祀ったのが瀬織津姫ではないかと。

    そして何故今の様になったかと言えば、菅原天満宮です。藤原本家は断絶し、弟の家系のみが現在も続いて居ます。生き残った藤原は、菅原天満宮を建て、慰霊に務めた方の藤原家ですよね。

    大祓の筈が、とても縁起が悪そうな神様に見えなくともないわけです。瀬織津姫が今の様になってのは少なくとも藤原家の放置も絡んでいることは確かだと思うわけです。

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    1. 五条 桐彦 より:

      確かに瀬織津姫は大祓でしか出てこない神でしたね。中臣ですか。
      僕は越智の常世織姫が原型だと思っていますが、中臣がそれを利用したというのはありうると思います。
      禊ぎで必要なのは変若水であり、月神信仰や丹生に繋がると思います。
      中臣の祖神小屋根は、越智に繋がりますね。
      藤原は殺しまくってますので、自分たちの罪滅ぼしに余念がなかったかと。そこで本来、神の禊の神であったはずの巫女神を、自分たちの穢れを祓う神に仕立て上げたのかもしれません。

      いいね: 1人

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