下対馬を西方面へ、24号線を走っていると丸く美しい島が見えました。
前方後円墳のようなこの島は”大島”で、
鳥居の立つ丸い島は”経島”のようです。
この裏手に”鹿ノ島”もあったようですが、見逃したな。
やって来たのは、対馬のモンサンミッシェル、津島町尾崎の「都々智神社」(つつちじんじゃ)です。
僕は知らずに来たのですが、都々智神社は満潮時には参道が海中に没し、境内は離島になるとのこと。
幸い干潮間際に到着したのですが、令和2年に対岸から橋が架けられ、満潮時にも渡って参拝が可能になったそうです。
参道は現れ始めた頃で、波が来ると濡れちゃいます。
でもどうする、行っちゃう?
ゆっくり、用心しながら参道を渡ります。
僕の旅路は、登山靴を常用していますので、滑りにくく、多少の水は弾くことができます。
ただ、カメラは非防水なので絶対に死守しなければ。
最後に、水飛沫をあげる難所が待ち構えていました。
よし、無事にゴール。
当社の創建・由緒は不詳。
現在の祭神は、「天之狹手依比賣命」(あめのされよりひめのみこと)と、住吉三神の「表筒男命」「中筒男命」「底筒男命」。
天之狹手依比賣は、イザナギ・イザナミの国生み神話で、津島(対馬)の亦名として見える神です。
ただ、当社が都々智神社と改称されたのは明治初期のこととあり、それ以前は「津口神社」(つのくちじんじゃ)と呼ばれていたそうです。
さらにここは本来、向かいの半島の先に本宮があり、当社は遥拝所もしくは里宮の体を成していたといいます。
かつては毎年3月29日に「郷崎様参り」と称して、神主と村の氏子代表らが本宮までお参りをしていたそうですが、その道がかなりの酷道で危険であるため、令和2年(2020年)に当地に遷座し、改めて「都々智神社」本社として祀られることになったということです。
今も旧跡地は残っているらしく、3kmほどの山道を越えていけば辿り着けるようですが、無理無理無理。
それはnarisawaさんかマックイーンさんレベルでないと成し得ないであろうと、あっさり僕は身を引いたのでした。
愛嬌のある狛犬をよく見てみると、口の中にお金が入れてあります。
そういえば、ここには賽銭箱がありません。
では僕も、大きめのコインをひとつ。
僕はこれまで、神様に人間のコインは必要ないだろうと思っていたのですが、先だっての波波伎神社の件から、神社を維持するには大金が必要だと、改めて思い直しました。
しかし僕の巡礼は、日に10数社ほど参拝することも多く、札を供えるのは流石に厳しいものがあります。
そこで日頃より500円玉貯金をすることにし、ここは頑張ってほしいと思う神社には少しばかりですが、そこからお賽銭をさせていただくことにしました。
うむ、目立つな。
近所のチビッコのお小遣いになってしまわないか、、、まあ、それはそれで良いか。
さらによく見てみると、こっちのアーンしてるコは男子でした。
じゃあ、君は女子かい。
そう言われてみれば、玉のような肌をしておられます。
ヒゲは濃いけどね。
社殿の裏は崖がえぐれていて、祭壇のようになっています。
ここが本来の祀りの場だったのでしょう。
この石はなんでしょうか。
小松崎神社のイソラの神体と同じ石ですかね。
対馬の中央に広がる穏やかな海、浅芽湾(あそうわん)に浮かぶ、聖なる小島。
南南東には霊峰・白嶽を望みます。
そしてその白嶽方面から見たこの島は、まるで龍宮へと誘う亀のように見えたのでした。