隠岐諸島の知夫里島北部、「古海」(うるみ)と呼ばれる小さな漁村にやって来ました。
そこの小さく突き出た岬の上に、「姫宮神社」(ひめみやじんじゃ)が鎮座しています。
こちらの鳥居は、奥の参道が消滅しかけており、謎の鳥居と化しています。
本来の参道があったのがこの奥。
この鳥居は来待石で出来ているそうです。
で、今の参道側には、四角い穴がいくつもありました。
これは「宮の影横穴墓群」と呼ばれ、6世紀後半の庶民のお墓だと云われています。
かつては家族ごとに横穴墓を持ち、その中でお葬式もしていたそうです。
しかしその中で、というほど大きな穴でもなく、知夫里島の別の場所で見かけた横穴は、芋類を保管する穴だと書いてありました。
謎。まあ、いいか。
姫宮神社の創建は不詳。古海地区の氏神として崇敬されてきました。
社伝によれば、産婦が乳型を献ずると乳を授かるとのことです。
この境内の奥に見える島は島前三島の西ノ島で、「焼火神社」(たくひじんじゃ)が鎮座しています。
境内にある、くびれがセクシーな石灯籠には「焼火大権現」と刻まれており、両社の関係が気になります。
鳥居の横にある岩は手水の代わりでしょうか。
ウムム、は、杯状穴・・・ではないよね。
元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』によると、「姫宮大明神・倭姫命」とあり、天保4年(1833年)の『隠州風土記』にも同様に記されていることから、主祭神は「ヤマトヒメ」であると考えられているようです。
しかし『神名記』には「従四位姫宮大明神・倭姫命あるいは玉依姫・豊玉姫」と記載されており、海神の姉妹神が祭神であるとする向きもあるようです。
面白いのは、この地区では、毎年1月12日に蘇民将来末社小神と書かれた木杭を集落の入口にたて、災いの侵入を防ぐという風習が残されていること。
蘇民将来、、スサノオですか。。
思うに、この蘇民将来信仰とヤマトヒメは、セットで後年伝えられたものではないでしょうか。
本来の祭神は、豊玉姫・玉依姫の姉妹神であったのでは。
後々、他の隠岐島前の聖地を巡ってみて、ここにヤマトヒメは必然性がないというか、鎮座地としてどうにもしっくり来ません。
それよりもやはり、四国から黒曜石を求めてやって来た一族の気配を、感じるのです。
本殿の向かって左側には「愛宕神社」がありますが、これは焼火神社との関連なのか。
さらには結界を作るように末社群が鎮座しています。
本殿の右側はちょっとした空間があり、とても心地よい。
味のある石灯籠と、唐突に現れた賽銭箱は、遥拝所でしょうか。
あとなんだこれ。水の石板?
ゲームイベントの残骸でしょうか。イベントはいいと思いますが、終わったのなら不要なものは撤去してほしい。
地名の古海(うるみ)も、気になります。
古き海の神ならば、やはり豊玉姫か玉依姫が相応しい。
そうすると、この横穴も、インドネシア系の風葬地「ガマ」か、もしくはウガヤフキアエズを産んだ横穴を彷彿とさせます。
また隠岐島では、よく探すと神木に巻きつけられた藁蛇を見つけることができるそうです。
隠岐島もまた、龍宮なのかもしれません。
narisawa110
キマチ石があったり、風葬に近い洞穴があったりで、出雲的な所もあるんですね
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藁蛇もありますし、隠岐島は島根なんだなと、改めて思いました。
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