
奈良には「野神」「農神」と呼ばれる信仰があり、木や森がその神聖な場所とされています。
その中の、橿原市五井町にある「野神さん」を訪ねてみましたが、

まんま出雲の藁蛇ですね。

結構上の方まで、巻き付いています。

蛇は水神として、木に巻き付けられているのだそうです。



小網町の「野神さん」にも行ってみました。
ノグチサン、またはノグッツァン、と呼ぶのですね、ノグッツァンww

ノガミの木や塚は村堺に位置することが多く、神聖な場所と見なされています。
さらに、その中に入ると悪いことがおこると言い伝えられているので、神事の時以外、普段は中に入ったり、近づいたりすることはないのだそうです。

ちょっと沖縄の御嶽を思い浮かべてしまいました。



橿原市小綱町鎮座の「入鹿神社」を参拝してきました。

こちらは、asamoyosiさんから教えていただいた神社です。

入鹿神社は、同じ境内にある「正蓮寺大日堂」(廃寺・普賢寺)の鎮守社であったとのこと。

当地は蘇我入鹿の母親の出身地で、入鹿も幼少期をこの地で過ごしたのではないかと言われているそうです。

当時の日本は妻問婚でしたので、夫が妻の実家に通い、子は母の元で育てられました。
なので、おそらくそうなのでしょう。
また、当地元には、入鹿の首が飛んできたという伝説はないとありますが、それもそのはずです。

蘇我入鹿とされる人物の本当の名は「石川林太郎」であり、彼は乙巳の変の後も死んでいません。
藤原不比等が書かせた日本書紀の「蘇我入鹿殺し」は、彼の父・鎌足の手柄を示すために創作された話だ、と富家に伝承されています。

実際に越前蘇我国造家でも、「エミシ」とか「イルカ」という名の人物は存在しなかったと伝承されており、当然のことながら、大豪族家ではそのような悪い名前は使わせなかった、といいます。
つまり、記紀を書かせた人物は、権力者に都合の悪い事を、「エミシ」や「馬子」「イルカ」の仕業にしたかったのです。

実際に蘇我馬子とされる石川臣麻古はじめ、エミシとされる雄正、そして入鹿とされる石川林太郎は、大和に絶大な力を持った為政者であったといいます。
仏教を擁護し、豊かな飛鳥時代を築いた立役者でもありますから、記紀にあるような悪政を行ったと真に受けるのは早計です。

蘇我入鹿を祀ってきた当社の歴代の氏子さんたちは、さぞ肩身の狭い思いもしてきたことでしょう。
しかしそれでも、彼を崇敬し続けてこられた姿に、敬意を表します。

正しい歴史が広く語られれる世の到来を、願って。
