
兵庫県神戸市灘区六甲山町、六甲山頂尾根付近に鎮座する「六甲比命大善神社」(ろっこうひめだいぜんじんじゃ)を参拝しました。

「瀬戸内海国立公園 六甲山上散策マップ」の右上部分が、神社のある巨石エリアとなります。

六甲比命大善神社へは、仰臥岩付近から巨石エリアに侵入するのが最短コースとなりますが、ここは民家の細道で駐車スペースは無いので、「六甲山の上美術館」方面からアクセスするのがよろしいかと思います。

美術館手前には、3台ほどではありますが、神社専用の駐車スペースが設けてあります。

車を止めて5分ほど歩くと、「心経岩」(しんきょういわ)と呼ばれる磐座に着きます。

心経岩、なるほど、鏡面のように割れた岩に、般若心経が彫られているようです。

なかなかの重厚さ。
高さ5.5m、幅6.5mの巨岩で、重さ500tと推定されているようです。

いつ頃彫られたものでしょうか。
こうして石に仏像や経が彫られていると、なにやらありがたい気持ちになるのかもしれませんが、

これは鏡岩と呼ばれていたり、岩陰祭祀などが行われていたりした、古代遺跡ではないだろうかと思われます。

そうした自然石に無闇に彫りつける行為は、仏の加護があろうともバチ当たりではないかと、個人的にはモヤモヤしてしまいます。



心経岩の上部は、ストーンサークル状になっていました。
ヒエログリフっぽい傷も見えます。

更に登っていくと、

「六甲比命大善神」という、巨大な磐座に到達しました。
神社は、この磐座の上にあります。

六甲比命神社の磐座は縄文中期(BC5,000年頃)に、人の手によって巨石を積み上げられた人工の磐座だと考えられてるようです。

確かに丸く整形されたような岩が、綺麗に積み上げられたような印象を受けます。

この1/3ほど飛び出た岩は、N氏のいう「亀の磐座」を彷彿とさせます。

こちらの巨大な丸岩も、絶妙なバランスで、安定して岩の上に乗っています。
落ちてきそうで怖い((((;゚Д゚))))ガクガク

丸岩の下には小さな空洞があり、

これも敢えて作られている感じがしました。

この六甲比命大善神の磐座を迂回するように上部へ登っていくと、

そこにあるのが「六甲比命大善神社」となります。

ウヒ~、マジか。

拝殿の中はこんな感じ。
御朱印や、書籍・グッズなどをいただけるようになっています。

この西六甲の山を管理していたのは、天川村より移住した、役行者の縁者である「四鬼家」だったといわれています。
六甲比命講によると、当社は「かつては廣田神社の奥宮で、さらに天照坐皇大御神荒御魂をお祀りする伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の奥宮でもあったと考えられる」とのこと。

また六甲比命講は『ホツマツタエ』の記述から、六甲比命を「向津姫」=「瀬織津姫」と同一の神であるとしており、瀬織津姫を主祭神としている神社の総本宮が六甲比命大善神の磐座だと主張しているようです。

この磐座が、六甲山の名の由来となっているとの話ですが、
ホツマツタエかぁ。。。。。。
一気に胡散臭くなりました。秀真伝は、どうにも生理的に受け付けません。

しかし、えっ?そうなの?

「あわわ」となりながら、階段を駆け下ります。

う~ん、なるほど、

確かにそう言われれば、うさぎに見えなくもありません。

こういうことですな。
しかしこのフォルムは、現代風のデフォルメであって、

実際のうさぎは、こんな感じですからねぇ。

う~む、頭でっか。耳ちっさ。
確かに口はありますが。

さて、再び六甲比命大善神社に戻ってきました。

「拝殿横の大岩が少しずつずり落ちて・・・」

た、確かに当たってますがな。

この隙間を潜り抜けると、

小さな社がありました。



六甲比命大善神社の上にも磐座があるみたいなので、行ってみます。

当地は、7世紀にインドからの渡来僧侶「法道仙人」が創建した「六甲山吉祥院多聞寺」の奥の院となっています。

その法道仙人がこの地で修行中、紫の雲に乗った毘沙門天が現れたと云う岩が「雲ヶ岩」(くもがいわ)ですが、

ヘイ!尻~っ!!
あまり大きな声で叫んだので、僕のiPhoneの”Hey!Siri”が起動してしまいました。

見事なまでのオケツ岩ですが、桐彦仙人が修行中にこれを見たとしたら、間違いなく煩悩の炎に焼かれたと思います。
法道仙人、エロに惑わされずすごい人です。

それにしても、これは自然にできたものなのか。
人の手の加工によるものか。

絶妙のバランスで、これも落石することなく保たれています。

ワレメを覗き込んで激写していると、背後から別の人がやって来たので爽やか紳士を装いつつ雲ヶ岩を後にします。

更に上の仰臥岩を目指していたところ、「神秘の鉾 神の剣岩」という案内があったので、気になりました。
鉾か剣か、どっちやねん。

そこは心細くなるような細道を、グイグイ降ったところにありました。

おお、

お~っ!

すごい。

なるほど確かに、そそり立っています。

このブロックを積み上げたような磐座。さすがにこれは、人工物だろう、と思いました。
しかし磐座に詳しいN氏に伺うと、天然である可能性が高いとのこと。

実は九州には、これに似た磐座がいくつかあり、柱状節理のような感じで方形に割れる岩があるのだとおっしゃります。
そうなのか。

であれば、この岩を見つけた何某かがここに男神を見出し、この上に女神として雲ヶ岩を置いたのかもしれません。

うさぎ岩と男神岩と女神岩。
そこからは、宇佐族とサイノカミの信仰が僕の脳裏に浮かんできます。

う~ん不思議な場所だ、六甲比命大善神社の神域は。

そして遠くに見えるあの岩は、

龍蛇神の頭部にしか、見えないのですが。

ようやく「仰臥岩」(ぎょうがいわ)に着きました。
心経岩からまっすぐ登ってくれば、15分ほどで辿り着きますが、それなりに勾配はキツめです。

仰臥岩はなんと、石の回廊のようになっていました。

このでかい岩が仰臥岩なのか、

それとも、手前のベッドのような岩がそうなのか。

これは実際、祭壇なのではないでしょうか。

六甲比命大善神社神域は、本当に不思議な場所です。
Wikipediaには、江戸時代までは六甲山には大きな信仰対象は無かったと記されていましたが、果たしてそうなのでしょうか。

六甲山の名は、江戸時代以前には武庫という漢字があてられ、更に古くは”向か津峰”の名であったと伝えられています。
これにより、現在の祭神である六甲比命大善神は、本来は向津姫のことを指すとされています。
しかし富家伝承によれば、向津姫とは三輪山の太陽の女神を伊勢に遷宮した大和姫のことであり、彼女は向家(富家)の血を引く姫だったのでその名で呼ばれたと伝えられます。

では、六甲山に大和姫が祀られたのかというと、それも違和感を感じます。
僕は、聖地の修験化には、好ましい影響を与える場合とそうでない場合があるように思います。
前者では聖地の神聖さを一層高めるものですが、後者の場合、時として神聖さを低俗化させてしまう場合があります。
例えばそれは、神仏のテーマパーク化であったり、安っぽいスピ化であったり。

六甲比命大善神社の場合は、とてもよく保存されており、素晴らしい聖地であることは間違いありません。
しかし残念ながら、ホツマツタエに寄った間違った解釈がなされており、それに吸い寄せられる迷惑スピリチュアリストによる悪影響が出ているようです。
向津姫は大和姫であり、瀬織津姫は全く関係がありません。
六甲比命大善神の磐座も、確かに見ようによってはうさぎに見えますが、これはいわゆるN氏のいう”亀の磐座”の派生系だと思われます。

ここは古代から祭祀があったのは間違いないと思うのですが、それは出雲系であったか、越智系であったか。
そこへ白山修験の影響を受け、更に後年、ホツマツタエが引用されたのではないかと、僕は考えます。
それでもやはり、ここが素晴らしいのは、

ひっそりと、こんな磐座が保存されているからです。
サイノカミの鏡岩、とでも言うのでしょうか、誠に素晴らしい。



🐥ホツマツタエは怪しい…オオタタネコが編者だというが、だとしたら何故、ホツマ文字だけで書かれた文献が無いのか、しかも江戸期以前に書かれたホツマツタエの書籍は存在しない。誰かの思惑通りに古代史を改竄してしまおうという意図が見え透いている…
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神代文字というのは、どうにも怪しく感じてしまいます😌
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narisawa110
四国全域、大和から美濃、東山道から善光寺街道の戸隠
めっちゃ越智三島の範囲のようですが、そのエリアにホツマツタエがある様な気がする。
我が国の神道は二つの範囲があり、富士山と大和がある気がします
その両方に関わってるのが越智三島の様な気がする
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確かにその通りですね。
ホツマや宮下文書のバックには、三島越智が絡んでいるのかも。
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