
2024年7月25日、山形県内を経験したことのない大雨が襲いました。
山形県内の床上・床下浸水被害 17市町村1100棟余、特に大雨特別警報が発表された酒田市と遊佐町の被害は甚大でした。
遊佐町の住宅浸水被害はおよそ350棟、戸沢村で少なくとも300棟、酒田市でおよそ300棟。死者、行方不明者もあるとのこと。
28日午後5時現在、山形県内約1400戸で断水が続いており、復旧には少なくとも1週間はかかるそうです。
今年元旦に起きた能登大地震の復興も、7ヶ月を過ぎようとしていますが、建物の解体、上下水道の復興さえままならないようです。
政府は4月23日の閣議で1389億円を加え、総額4100億円を上回る能登半島地震における被災地復興予備費を計上しています。
それでも、政治家・官僚・自治体、そうした「国は」と呼称される全ての方々にお願いしたい。
国は、一刻も早く渾身の全力で、これらの復興に努めてほしい。我が家が、自分の親の家が被災したとしたら、現状をどう思うでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。


僕は今年、2024年の6月に、山形県遊佐町に来ていました。
ここから眺める鳥海山は、なんと夫婦の神南備の形をしていました。

その遊佐町に鎮座の「劔龍神社」(けんりゅうじんじゃ)を参拝します。

赤い大鳥居の下を車で進み、しばらくすると駐車スペースがありました。
この先も車で進めそうですが、歩いた方が良さそうです。

車を止めると、そこにも小さな社がありました。
そして近辺のどこからともなく聞こえてくる、読経の声。

歩いていくと車道は右にそれ、左手に赤い鳥居が見えて来ました。

鳥居の先には、鬱蒼とした参道が続きます。

幽玄な杜。
常世感が漂います。

参道に沿って、天には光の道ができていました。

雨上がりということもあって、足元は少しぬかるんでいます。

油断すると転けてしまいそうなので、慎重になりますが、鳥のさえずりが心地よい。

階段っ!

参道は、まあ5分くらい歩いたでしょうか、

鳥居と社殿が見えて来ました。

由緒によれば、当社の社号は往古より「劔龍山大権現」と称し、口碑に「小物忌神社」と称したとあります。
つまり、修験の影響が強かったことを偲ばせます。

小物忌神社とは、大物忌神社に対するものでしょうか。
当社祭神は「大己貴命」(おおなむちのみこと)とされています。

ただし、文政11年の由緒書きには、「剣龍山大権現薬師如来は、鳥海一の王子医王尊にて、牛頭天王の本地仏にて、云々」とあるそうで、スサノオが祭神であった時期もあるようです。

また由緒には、大同年間(806~810年)に霊峰・鳥海山から宝刀が飛んできて当地に突き刺さったので、宝刀を御神体として創建されたと伝えられています。
199代光格天皇の時、火災により炎上した時、剣みずから箱から飛び出して境内社の中に入り、雲のようなものに包まれていたとのこと。

神体は他に、由来不明の奇石が二個あり、神仏習合時代には、宝剣は薬師如来の背後に、奇石は日光・月光菩薩の背後に安置されていたということです。

それにしても、このような山麓に、立派な神社があったものです。
庄内からはるばる、片道2時間かけて来た甲斐がありました。

劔龍神社はTwitter(現X)の「ししまる」さんから、随分前に勧められていた神社でした。
数年越しに、ようやく参拝が叶った次第です。

拝殿にお邪魔すると、宝珠の形をした燭台がありました。

そしてこの絵を見て、ふと思いました。
この神社の位置。

Googleマップに夏至の日の太陽のラインを引いてみると、やはり。
その日、劔龍神社の方向から見ると、鳥海山のやや左、おそらく、夫婦の山の間から太陽が昇るはずです。

修験の人たちもそれが分かっていて、ここで太陽の祭祀をし、それから霊山登拝をしたのかもしれません。

本殿を垣間見た後、拝殿の足元を見ると稲荷の御眷属が置かれていました。
そう言えば、拝殿には宝珠の燭台。

劔龍神社の祭神は「稲魂神」(うかのみたまのかみ)であるとする説もあるようです。

拝殿の右手には二社の境内社がありますが、玄松子氏のサイトによると、天之御中主大神を祀る「相馬神社」と「白山比咩神社」になるのでしょうか。

思わぬところで白山比咩神社に会いました。そう言えば大物忌神社吹浦口之宮にも摂社の白山神社がありましたが、山形は白山信仰とも関係が深いのかもしれません。


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