
「きみが行く こしのしら山 しらねども 雪のまにまに 跡はたづねむ」
(あなたが往く越の国の白山を私は知らないけれど、雪の上に残る足跡を探して、あなたを訪ねにいくよ)
-『古今和歌集』391 藤原兼輔


ベッドに戻ったのが、夜の10時くらいだったでしょうか。
心地よい、いびきの斉唱を聴きながら、いつのまにかウトウトと。

そして翌朝4時、僕はザックを背負い、白山御前峰山頂を目指します。

前回の登山では、霧で真っ白でしたが、今回はイケる!

この白山登山で今更気づいたことですが、肺活量の大きい僕は、空気の薄い高山では著しくHPが減少するようです。そういうことにしておきましょう。
ちょっと登って、もうバテる。眼下には、宗岳大頼が言っていたように、夏でも溶けぬ雪が見えます。

室堂から白山山頂である御前峰(ごぜんがみね)までは、約1時間の登山です。
5時に日の出とありましたが、なかなか足が進まない。日の出に遅れるのではないかと焦る中、宮司さんと神官さんが先に登っていかれました。
ヤバみ。

おお、見えた。

奥宮では、先ほどの神官さんが扉を開けておられます。

さて、ご来光は!
分厚くできた雲海のおかげで10分ほど日の出が遅れ、なんとか間に合いました。やったー。

一際高い岩に宮司さんが立ち、白山のことについて、お話をされます。
さてそろそろ、感動の時!
さあ、さあ、

あれっ?

真っ白。。。
ブッ、そこにいた登山者のみんなで笑ってしまいました。
まさにご来光、その瞬間に雲が立ち込め、真っ白になってしまったからです。

いやはや、さすがツンデレの女神さま。
でもまあ、常世の姫には、眩しい太陽よりも霧の世界が似合います。

奥宮では祈念が始まりました。

普段は神に願い事をしない僕も、今回だけは祈念すべき目的がありました。
白山の姫神様、どうぞあなた様のご縁深い能登の地に、復興のお力添えをお願い申し上げます。

この一言を白山比咩にお伝えしたくて、今回は是非とも白山登拝を成し遂げたかったのです。

さて、ここからは登ってきた道とは反対側に降りていきます。

〔ぐるっと白山〕
そこから大汝峰方面へ行き、お池めぐりをしながら室堂へと戻ります。
前回は濃霧と強風のため、あきらめた”ウフフアハハ”のコースです。

そのお池の周りは、「おーい待てよーぉ」「つかまえてごら~ん」と、エア彼女との妄想が捗る、高山植物の花の園となっているという話です。

が、in the TOKOYO。

霧に包まれた山頂付近は、風こそ穏やかなものの、常世の様相を呈していました。

目の前に現れた四角い岩は、逃げ出したオロチを潰すという御宝庫(おたからこ)。

『古今和歌集』の391番に歌われる藤原兼輔の和歌は、「大江千古が越へまかりけるむまのはなむけによみける」と詞書がなされます。
これは一般には、大江千古(おおえのちふる)が越の国へ行く時、藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)が馬の鼻向け(送別の宴)で詠んだ歌だとされます。
しかし日本の言葉、こと和歌に関しては、口には出せない裏の意味を含ませるということが多々あるものです。

“大江千古が越へまかりけるむ”の「罷る」(まかる)には、「死に逝く」という意味があります。
「身罷る」(みまかる)とは、身があの世へ行くという意味で死ぬことを意味しています。

和歌の本文である「きみが行く こしのしら山 しらねども 雪のまにまに 跡はたづねむ」を見てみると、「雪」の文字が「逝き」の意味を含んで「きみが行く」に重ねて強調します。

「きみが逝く越のしら山」とは、現世を越えてあなたが往くという白き世界「常世」を表しているのかもしれません。
共に醍醐天皇に仕えた友人の死に際して、雪のように降り積もる悲しみの中「私はまだ知らぬ世界ではあるが、いつか君の雪道(逝き道)をたどっていくよ」と語りかけているように解釈することもできるのです。

思うに、藤原兼輔という人は、越の白山が常世に通じ、そこには現世と隠世のククリの女神が坐していることを知っていたのでしょう。
そのククリの女神はまた、”常世を織る姫”と呼ばれた人でした。

さて、僕の行き道は、紺屋ヶ池(こんやがいけ)を過ぎて

翠ヶ池(みどりがいけ)へと出てきました。

翠ヶ池は1042年の噴火で形成された火口湖で、岐阜県側にある周辺で最大の池となっています。
少し霧が晴れて、美しいブルーの色が見えてきました。幻想的です。

見上げれば、そこに浮かぶ太陽は霧で霞んで、丸い月のようです。

聞けば常世とは、常夜・常闇(とこやみ)とも呼ばれる暗闇の世界だとのこと。

しかし実際には、月の光がそそぎ、淡い輪郭をもって辺りを映し出すのです。

血の池と呼ばれる場所に出ましたが、名とは真逆の美しい水。本来の名は”変若水の池”(おちみずのいけ)ではなかろうか。

時に龍宮としても語られる常世は、月神によって清められた変若水(おちみず)によって満たされ、花も咲くのです。
そのような場所が、ただただ漆黒の世界なわけがない。

死は、決して寂しいものではなく、今僕が歩いている白山の園のように、穏やかなものであるはずです。

ここで、大きな雪渓に出会いました。

カチカチに凍った雪、永久凍土。
これが「千蛇ヶ池」(せんじゃがいけ)です。

むかしむかし、白山に棲んでいたと云われる3000匹の大蛇(おろち)。
その蛇たちは、たびたび里へ下りて悪さをしていました。
それを聞いた泰澄上人は大蛇を集め、悪さをしないように諭しました。

しかしどれだけ諭しても言う事を聞かない大蛇が1000匹おり、泰澄上人はこの1000匹を1か所に集めて、その上にたくさんの石を積み上げ封じ込みました。
それは「蛇塚」(じゃづか)と呼ばれています。
さらに泰澄上人は、残りの1000匹に刈込池に棲むように命じ、その池の近くにある大岩に大きな剣を立て、その剣の影が池の水鏡に映るようにしました。
蛇は鉄に触れると体が腐るので池から出られなくなりました。

そして最後に残った1000匹に対し、泰澄上人は白山の頂上にある池に棲むように命じます。この池が千蛇ヶ池です。
1000匹全ての大蛇が池に入り終わると、泰澄上人はその上から万年雪で蓋をしました。
もし雪が融けて池から大蛇が出てきそうになると、

あの、池の上にある御宝庫という大岩が崩れ落ち、池の蓋になるようにしたということです。隙の生じぬ二段構え。

怖いコ、泰澄上人。
千蛇ヶ池の水が、オロチの瞳のように、輝いていました。

この千蛇ヶ池の背後に見える山が白山山峰のひとつ「大汝峰」(おおなんじみね)です。
大汝とは大己貴のことと思いがちですが、

美濃馬場である長滝白山神社の白山の三峰を表す本殿には、「別山」と「大御前」(御前峰)、そして「越南智」(をなち)とあります。
越南智、そう越智です。
白山は敦賀(福井)の越知山で修行をした泰澄上人が開山したということになっていますが、越知山越知神社の大谷宮司は、越知山は泰澄大師よりもっと古い時代から霊山として信仰されていたのであり、それだからこそ泰澄大師はまずこの山に登って修行したのだと確信をもって話されます。
そのもっと古い時代に越知山を祭祀していたのは越智族であり、そこからさらに白山信仰を興していたと考えられます。

この白山の大汝峰に相当するものが、富山の立山にも大汝山の名で存在し、越智族は白山と立山を、豊・越智のサイノカミとして祀ったのではないかと推察します。
そして立山の雄山神社には、「伊邪那岐神」(いざなぎのかみ)と、「天手力雄神」(あめのたぢからおのかみ)が祀られているのです。

天手力雄といえば越智の神。そこでふと思います。白山に越智族が常世織姫を祀ったなら、雄山神社のイザナギとは豊彦なのではないか。

そんな考えが、ふわりと脳裏に浮かんだのでした。


ツンデレの女神様には参りましたが、その後の池の姿の美しいこと‼️
もう、文字と写真とで思いっきりロマンチック💕に浸りました?
ありがとうございます😊😊😊
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天空の水たまり、綺麗ですよね♪
山小屋にもう一泊しても良かったかもです☺️
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🐥蛇🐍執念深い生き物として有名な蛇ですが、だいたいどこの国でも蛇の象徴は悪い意味で取られる事が多いかもしれません。蛇という生き物自体はただの爬虫類でも、蛇と揶揄されるモノは邪悪とされるのは何故なのでしょうか…
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なんででしょうかね。
見た目で損してるのかな🤔
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🐣手足が無くてうねうねしてるのがアカンのか口の上下に牙があって舌が二股に分かれてるのがアカンのか地面をずりずり這い回って獲物をしつこく追いかけるのがアカンのか…
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ぜんぶあかんな🐍
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