須須神社 高座宮・金分宮:常世ニ降ル花 潟姫眉月篇 03

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曇天でも珠洲の海はこんなに美しいのに、

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目の前には、無惨な石灯籠の姿がありました。

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石川県珠洲市三崎町寺家、能登半島の先端部にある「須須神社」(すずじんじゃ)を訪ねました。

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当地は令和6年(2024年)元旦に起きた、阪神・淡路大震災を起えるマグニチュード7.6の「能登半島地震」、その震源地に近く、最も被害が大きかった地区の一つとなります。

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須須神社は、里宮の「高座宮」(たかくらぐう)と「金分宮」(きんぶんぐう)が三崎町寺家にあり、狼煙町に鎮座する「奥宮」(おくみや)と合わせて三宮で構成されています。

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また当社には、文治3年(1187年)源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉へと向かう際、須須岬沖合で時化に遭い、無事難をのがれた御礼として奉納された、平家の名宝とも伝えられる義経愛用の笛「蝉折れの笛」と弁慶の「左」銘入りの守刀が収められているそうです。

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社伝では、須須神社は崇神天皇の治世(紀元前97年 – 紀元前29年)山伏山(鈴ケ嶽)の頂上にに創建され、天平勝宝年間(749年 – 756年)現地に移転。元社地の山頂には今は奥宮が鎮座している、ということになっています。

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当神社は高座宮に「天津日高彦穂瓊瓊杵尊」を祀り、「美穗須須見命」「建御名方命」「保食神」「武甕槌命」を配祀します。
金分宮には「木花咲耶姫命」を祀っており、両社に夫婦神を配する形となっています。

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社伝によれば、用明、元正両天皇より勅使の献幣があり、足利時代は大宮司「猿女」(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領三千石が献納されており、天正12年(1584年)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、社領として神田五町歩(石高七十五石)を寄進し、武運長久の祈願をしたとのこと。
なるほど、とも思いますが、

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正院の羽黒神社社紋である「丸に三つ柏」は、もともと高倉彦神(高座宮)の神紋であり、羽黒神社宮司家は明治以前、須須神社両社の別当 (僧侶)と神職を兼ねていて、明治以降しばらくは金分宮と奥宮の社掌(宮司)であったとの話です。
その宮司家の墓所は、今でも金分宮の裏手にあるそうで、すると須須神社現宮司家である猿女家と羽黒神社宮司家の関係が気になります。

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参道はここで大きく右に折れ、

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その先に社殿が姿を現します。
ここで新たな疑問が。
須須神社の本社となる高座宮は、旧鎮座地であり、奥宮が鎮座する山伏山を神体山であることを謳っております。
しかし実際には、高座宮は神奈備を背にしておらず、

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また、遙拝もしていないのです。
高座宮、金分宮、そして奥宮の社殿の向きにラインを引くと、ある一点でクロスしています。
そこにあるのは、観光スポットの青の洞窟?。

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ちなみに、山伏山山頂に鎮座する奥宮の祭神は、「美穂須須美命」(みほすすみのみこと)となっています。
数年前、『ミホススミに光を!プロジェクト』とかいう企画でも脚光を浴びていましたが、出雲国風土記に語られる国引王オミヅヌが美穂崎(美保関)を造るために引き寄せた「高志のツツの岬」が、当地「珠洲岬」だと考えられており、同風土記・美保郷の条で、天の下造らしし大神が高志の国の神、ヌナカワヒメと結ばれて産まれた神ミホススミが鎮座する地だから美保という、というそのミホススミです。

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実際は東出雲王家8代目少名彦の「八重波津身」(事代主)と越国・糸魚川の翡翠「沼川姫」が愛し合って生まれた娘がミホススミであり、息子がタケミナカタとなります。
果たして、ミホススミの名から珠洲の地名が生まれたのか、珠洲の地名から娘の名をつけたのか。

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ともかくも、奥宮では古代出雲王国にゆかりあるミホススミが祀られているのに、里宮の方には出雲王国を滅ぼした物部東征、それを彷彿とさせるニニギとコノハナサクヤヒメが祀られていることに、僕は非常に違和感を感じますし、タケミカヅチが配祀されているあたりも、何か意図を感じないわけにはいきません。

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当鎮座地の三崎町寺家には、祭神に関係するむかし話が伝わります。

むか~しむかしのおおむかし。
岬(三崎)の寺家に高倉彦の神様が獅子に乗って
天降って来たってんと。
ほんで、そこたら中いいがにして帰ろうと思うて
「獅子いるか?」って言うてんと。
ほやけども、獅子は神様があんまり遅いもんやさかい、
ぐっすり眠ってしもとってんと。
また「獅子いるか?」て神様な言うたら
海におったイルカな呼ばれたとおもて
「おります」て言うてんといね。
ほしたら神様な「獅子がいないので一緒にお供してくれ」て言うて、
ほれから獅子の代わりにイルカが神様のお使いになってんといね。
ほやし、氏子はイルカもクジラも神様のお使いやし、食べんがになってんと。
獅子は神様のお供出来なんだがを悔やんで岩になってしもうてんといね。

すず観光ナビブログ ―石川県 能登半島 珠洲市―〕

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この話が関係してか、「高座宮は日本で唯一イルカの神使がいる神社」だという話も聞きました。
イルカの神使・・・片姫神社の使いはワニ(フカ)だそうです。
高倉彦神は、「龍宮の神」ではないのでしょうか。

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高座宮の拝殿は、とても綺麗な状態でした。
こちらも令和6年の震災ばかりでなく、過去の地震でたびたび被災されています。

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芸能人にもファンがいるようで、支援金もどちらかというと集まりやすい様子。
羽黒神社推しな僕としては、少し羨ましいです。
がんばれ、羽黒さん。

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本殿もぱっと見は無事そうでした。それにしても立派な本殿です。

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ただ、狛さんはやっぱり下座しておられて、社殿も見えないところで被害があるのだと思われます。

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「地べたは冷たいんや、早よ上げとくれ」

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須須神社・金分宮です。
こっちはかなり、イってます。
鳥居はだいたい笠石が落ちてます。

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の、登れるのだろうか。

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須須神社は、高座宮・金分宮・奥宮の三社で構成されていますが、本来この三社は、それぞれ全く異なった神社であったとする説があるとのことです。
式内の須須神社は奥宮を指し、高座宮は高麗系の外来氏族の祀る高倉彦神(式外社)であり、金分宮は修験系の神社であると。

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金分宮という名前は確かに、どことなく修験の匂いを感じさせますが、当宮は元々、当地より3kmほど奥の”きんぶん”という所にあり、それが宮野という所に遷り、更に現在地に遷座したという伝承があるそうです。
名前は地名から来ているのか。

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高座宮は高麗系であるという説もどうでしょうか。
確かにここでいう高倉彦神は海からやってきた漂流神である可能性が高いですが、宮司家は猿女氏、おそらく豊系です。

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痛ましいことに、金分宮の損壊は、かなり酷いように見受けられました。

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