長滝九頭神社:常世ニ降ル花 神門如月篇 05

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なんと素朴で素敵な集落だろうか。

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天理市にある長滝町集落は、人口50人ほどの山村だそうですが、どこか郷愁を誘う心地よさがあります。

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正月はこんな郷で、ゆっくり時を過ごしたい。

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その長滝集落の鎮守が「九頭神社」(くずじんじゃ)です。

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ここに立ち寄ったきっかけは、八つ岩からの帰り、死のコースを避けるためのマップを再確認していた時でした。
龍王神社の麓の位置に、九頭神社の名前を見つけて、とても気になりました。
九頭といえば龍ですもんね。
マップ下に布留川に注ぐ支流が見えますが、実際には九頭神社の横にまで伸びています。

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九頭神社は他に、九頭龍神社、国栖神社、葛神社、屑神社などなどの名前で各地に点在し、特に和歌山・奈良地方に多く見られます。

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祭神には、タジカラオである場合が目に止まりますが、「神奈備にようこそ」さんによれば、他に衝立舟戸神、道友神、出雲建雄神が主だとのこと。
クナトにチマタ神、出雲振禰といったところでしょうか。

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僕は、出雲健雄は西出雲王家・神門家(郷戸家)の出雲振禰のことだと考えています。
出雲振禰は、神門家の将軍として、第二次出雲戦争の時、神門王の宮殿を守るために、宇佐八綱田の軍勢と戦った人物です。
彼は奮戦しましたが、王宮付近で戦死し、その王宮は物部・宇佐連合軍に占領されました。
『古事記』ではこの事件を、架空の人物ヤマトタケルが出雲に来て、イズモタケルをだまし殺した話として書きました。
出雲健=出雲健雄=出雲振禰というわけです。
出雲健雄神が草薙剣の荒魂とされており、出雲振禰は神度剣(十握剣・大量剣・天之羽々斬剣)を司祭の証としたということからも推察できます。

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社名の「九頭」とは、奈良から和歌山、そして四国に下っていくと、天手力男神に行き着きます。
天手力男、彼の本拠地は土佐の越智郷に鎮座の「天石門別安国玉主天神社」であろうと思われ、彼の別名に「大国栖玉命」(おおくにくずたまのみこと/おおくずたまのみこと)というものがあります。
九頭、国栖、さらには葛もこの大国栖玉に由来するもので、クズとは本来「国主」と表記すべき言葉で、大国主にも通じる名称であると考えます。

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ではこの長滝の九頭神社祭神はどなたか、というと、「建御名方大神」となっていました。
ここにきて、タケミナカタですか。

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なぜ、大和の地にタケミナカタか。それも九頭神として祀られる由縁は。

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『偲フ花』の熱心なフォロアーの方は、あの入れ替え疑惑が脳裏に浮かぶと思います。

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まあ、ことの真相は未だ闇の中ですが。

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拝殿を覗き込むと、本殿が格子から溢れ見えていました。

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本殿見たいー、と思って拝殿を回り込めば、おお、裏に行けそうじゃん。

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失敬して先を進むと、端正な社殿の後ろに、なんと立派な磐座がありましたよ。

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なんだか切り落としたような断面の磐座です。
これも炭治郎の仕業でしょうか。
鏡岩、というやつかもしれませんね。

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雨乞いの聖地・龍神神社を遥拝するものかもしれませんが、後ろから見ると、土から顔を出す亀のようにも見えました。

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九頭神社から市内方面へ車を走らせていると、聖域の結界を示す「注連張」(しめはり)が掛かっているのを見つけ、車を止めました。
注連張、良いよね。

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すると傍に、「長滝ひろば」という場所があり、少しだけ立ち寄ってみました。

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小さい滝があり、

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もう少し下ると、「長滝」の地名の由来となる一枚岩を流れるおよそ100mの渓流漠があったそうですが、それは見過ごしてしました。

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ただそこには、二度咲きの小さな桜が咲いていて、思わず見惚れてしまいました。

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「春と嘯く」
しばし時を止め、立ち尽くします。
急に冬の気配を強めた午後に、僕は蟲の世界に迷い込んでいたのかもしれません。

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3件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    紀伊国造家は、天背男も出てくる事からも忌部氏には神門臣家も絡んでるとなれば、出雲口伝や銅鐸出土につながる気がします。

    ヌゥ〜、この辺が限界に近いですね。

    三島や越智はどこに行ったしw九頭竜の信仰はあるのに担い手が三三嶋の様に多様化しすぎて居て分かりませんね

    いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    手力男なんですが、一般的に出回っている系図で言えば、紀伊国造家の先祖になります。

    珍彦、つまり物部宿禰武内彦の親の代のずっと前に出てくるので、第一次物部東征よりも古い人になります。

    「紀伊国造系図」や、謎の系図である諸系譜、の望月系図によると、神魂霊神の御子神が香都知命、その御子神に多久豆玉神とあります。そちらでは天手力男神や天背男命とも同神であるとされています。

    紀伊国造家はかつて大伴氏や久米氏と同族であったとみられることもある事から、和邇氏の神門臣化に関しては額田がどうしても無関係にはならない気がします。

    大伴氏は神門臣家がのちに海部化するんでしたっけ。

    やっぱり最近のこの動きは伊勢津彦系譜に関係することで同じ円周上をぐるぐる回ってる気がします。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      例のB女史さんが多用されるのが諸系譜です。
      諸系譜に限らず、系図は鵜呑みにはできませんが、それしか辿る術もなく、難しいですね。

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