
沖の御前
地の御前
事代主命が
治国の大権を奉還して
天下の和平を一垂の糸に
繋ぎ止め給ひし
神蹟地


”まめ”さんが白い錠剤は脳ミソに効くっていうから、ドーピングしてみたらさ、

まあなんと、眠気・脳疲労に負ける事なく、行けてしまいましたよ、島根まで。

日曜日の仕事を終えて、そのまま僕は、車で片道7時間の島根東端「美保関」へやって来ました。
時刻は5月5日月曜祝日の深夜早朝1:00。

でもって、なぜこんな時間に、僕は美保神社にいるのかと言うと、

それは当社の特殊神事『神迎神事』(かみむかえしんじ)に参列するためでした。

僕は夜の撮影スキルがあまり高くありませんので、場合によってはiPnoneに頼ることもあります。
スマホのカメラって、すごいね。

神事自体は2:30からのスタートですが、その前に闇夜に輝く美保神社を見れたのは、嬉しい。

島根で神迎神事と言えば、出雲大社で神在月の最初にやってる、全国の神々を迎える神事のことを思い浮かべますが、美保神社のそれは違います。

宮司・氏子らが、美保神社の飛地境内である「沖の御前」「地の御前」まで船で参向し、その島に鎮まる神霊を、神社本殿内の大后社までお迎えするのが、この神迎神事となります。

神霊をお迎えするためには暗闇でなければならず、港内の家々では明かりを消して、最小限の光の中で神事が催行されます。
まさに常世と現世を結ぶ神事です。

さて、2:30になると、集まっていた氏子さんたちの前に、宮司が現れます。

一同はそのまま、美保の港「宮灘」へと歩いて行きました。



宮灘では、美保神社の神紋が描かれた灯籠を掲げた、船が泊まっていました。

そこへ、先ほどのご一行が到着します。

この、櫃のようなものに、神の御魂を迎えるのだと思われます。

船に乗って、出港。
この時、船中では神楽が奏されるため、この神楽の音から「デンチャン祭」という通称で呼ばれるそうです。

島根半島の東端の岬は地蔵崎(じぞうざき)と呼ばれますが、海を隔てたすぐ先に「地の御前」(ちのごぜん)があり、3.2kmの沖合いに「沖の御前」(おきのごぜん)が浮かんでいます。

地蔵崎に置かれた美保関灯台は、回転するライトと、地の御前を照らす固定されたライトがあります。

沖の御前には小さな灯台が設置されていますが、地の御前にはそれがないので、ライトで照らします。
闇にポツンと灯る小さな光が沖の御前の光です。
宮灘を出港した船は、この島々の元へ行き、神の御魂を迎え入れるのですが、実際は波の影響などで、傍まで行くのは稀なことらしいです。
なんと言っても岩礁なわけですから、かなり危険なことなのでしょう。

日本神話で地蔵崎は美保ヶ崎として登場し、この二つの小島は、事代主が鯛釣りをしていた聖地とされます。
そしてこの二つの島に祀られるのは、「事代主命」と「活玉依媛命」の夫婦神となっています。

活玉依媛は「三島ミゾクイ媛」のことで、富家伝承を知っていると、非常に戸惑います。
日本書紀では、三穂津姫(=たぶん沼川姫)は大国主に嫁ぎ、
古事記では大国主と神屋楯比売(かむやたてひめ/先代旧事本紀によれば多岐津姫のこと)との間に事代主を儲け、
先代旧事本紀では事代主に嫁いだのが活玉依媛だということになっています。
だから沖の御前・地の御前に事代主と活玉依媛が祀られているというのが美保神社の説明のようです。



帰港した一行は美保神社に戻り、最後の神事が執り行われます。

少し気になったのが、基本的に男性氏子によって進められる祭事が、ここに来て女性の一人が前に進み出て座られていること。

美保関は越のヌナガワ媛がお住まいになった場所であり、美穂津媛として事代主と共に本殿に最初から鎮座しておられる、というのが僕の考えです。

では、沖の御前・地の御前に坐す媛神・活玉依媛はというと、揖夜神社の真の祭神と僕が考える「三島ミゾクイ媛」のことであろうということになります。

美保神社の神迎神事は、沖の御前・地の御前に坐す活玉依媛を装束の間にある大后社に迎え入れる神事、そこに深い謎があります。
この神事は一方通行であり、大后社に迎え入れた活玉依媛を、再び沖の御前・地の御前に戻す神事は執り行われません。

これもあるいは、太田政清が仕組んだものなのでしょうか。

一月前に参列した『青柴垣神事』これを僕は、事代主の幸魂と奇魂、ヌナガワ姫、それにミゾクイ媛(活玉依媛)の陰陽和合の儀式であると読み解きました。
悲劇に死に別れた夫君の二つの御魂と、二人の妻君の御魂を秘儀によって和合し、昇華させることが『青柴垣神事』の真意であると。

そしてそれまでの當屋は一年の役目を終え、新たな當屋が選ばれます。
こうして美保関には春が訪れ、新しい一年が、美保神社の各種神事と共に始まります。
事代主と美穂津媛(ヌナガワ姫)の御魂は神体と共に一之御前・ニ之御前の本殿に坐していますが、ところがミゾクイ媛の御魂は新たにお迎えしなければならない。
それがこの『神迎神事』の本質ではなかろうかと、思われます。

すなわち、氏子の中の紅一点は、その媛神の御魂を降ろすに相応しい、新しい當屋の奥方ではなかろうか、と。

神事会所での直会(なおらい)が終わると、空にはうっすら明かりが差し始めていました。

島根の果ての小さな港町、そこには氏子さんたちによって守られてきた、麗しい神事の数々があります。
ただ、人の減少で、やはり存続が危ぶまれているのもたしか。

今年も無事、神を迎えた美保の人々に、幸多きご加護がございますようにと、畏み申し上げます。

すみません。御穂須須美命が父君を祀った社が、美保神社の外にある市恵比寿社でしたね。その西側に向いえこと富家は美保神社を建てて。。でしたね。
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そうですね☺️
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五条先生こんにちは。私めは、前回の脳内高照姫=沼河姫状態をリセットするために、富先生の「出雲と蘇我王国」を再度熟読いたしました。(てか、何回この本に戻るんかいと、自分にツッコミながら)
それで、やはり美保神社に沼河姫がお住まいになられ、祀られてる三穂津姫命は沼河姫のことだと再度、確信に近い?思いが湧きました。
先日、島根半島七類近くの明島神社という、晴れていたら沖縄エメラルドブルーか?というくらい透明度の高い素晴らしい海の中にそびえ立つ小高い岩の上にあるお社に行きました。見晴らし最高。凄い場所にあるなあ。。明島神社自体は住吉大神が祭神となるのですが。。問題はそこの湾の名前が玉結湾であること。
そして近くには玉結社があります。祭神こそ玉依姫となっていますが。。その玉結神社の横に、島根半島四十二浦巡りの38番 質留神社があり、御祭神は美保津姫命・事代主命。質留比社(しちるいのやしろ)として、出雲国風土記に記載されています。これは沼河姫でしょう。玉結湾にあるのですし。
糸魚川から翡翠原料が美保神社のある湾辺りまで舟で運ばれ、高志の国からソリコ舟で渡ってきた勾玉職人が玉結湾あたりに住み、そこに玉造の工房があったのじゃないかなあ、等、想像してしまいました。
高志の国と海で繋がる周辺の、今なお古地図と変わらぬ地名。これは何がしか、その辺りでの古代生活の営みと関係があるではないかと思いました。古地図の野浪濵(現野波浜)と奴奈弥神社(大巳貴命と少名彦が今は祭神になってる)あの辺りもヌナとつく地名とお社。玉結社と関係ありそう。そしてですね、五条先生、島根半島のほぼ9割の右側の狛犬さんは、赤ちゃん狛犬を足元に挟むように置いて、その赤ちゃん狛犬は玉を抱えてるんですよ。ほんとに、例外の狛犬の方が少なかった。この玉は、玉結から由来が来てないかなあ。。
玉結の職人が高志の国からこの辺りに来たという私の想像は、後に読んだ越境シリーズ御穂須須美命を研究されてる岡本氏の本に、高志の国からソリコ舟でこの辺りに渡って来られた方々のことが書かれていて、玉結=勾玉造りのためという想像も悪くないのでは?と思いはじめたのです。
確か私の記憶では、野浪濵にあるガッチ祭りで有名な日御碕神社の初代宮司さん?が朝倉氏でこの方は高志の国から来られたとあったと記憶しています。ソリコ舟に乗って北陸からあのあたりに結構な人数の高志の国の方が移住したと考えても自然がなと。
島根半島は元は先住民が石器となる黒曜石を隠岐から交易していて、その後なんですかね、それが高志の国からの翡翠に以降して祭祀に使われる貴重な神器として九州にも祭祀ネットワークを繋いだ。。アタカタスの宗像らへんには、伽耶から鉄を確保できたので銅戈が命主社から糸魚川産の勾玉とともに出土されたのもその流れなんでしょうか。
沼河姫。美保神社に夫婦として左右に祀られてる。これはほんとにそう思います。今は本殿の大后社に沼河姫が祀られてるようですが。。口伝通り、きっと御穂須須美命が父を祀りそして母も2人を祀ったのではないかなあ。。でも御穂須須美命は社の外にいらっしゃいますね。。。
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二月連続、それも重要な意味をご存知だからこその長距離強行軍、お疲れ様でした。
三穂津媛 ミゾクイ媛 そして 事代主命への深い想いを大切にしている地域の方々と神社の一体となった特別な時間ですね。
美しく神々しい時間が文字と写真からじわじわ伝わって参りました。ありがとうございました。🙇♂️
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青柴垣神事だけでは片参りな気がして、気がついた時にはハンドルを握っていました😅
年齢的に途中で挫折するかな、と思いましたが、案外いけるものです😌
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神秘的ですねー!
写真、いっぱいで擬似体験したかのような気分になりました。ありがとうございます♪
今、河合隼雄さんの心理学の本を読んでいますが、神話の話が出てきます。やはり日本人の心を研究するには、キリスト教文化ではなく、神話の世界を研究しなければいけないということなのでしょうね
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日本人は世界でも特殊な信仰文化なのではないでしょうか。
一時期、日本人は無宗教だと言われていましたが、そうではなく、あまりに自然と、日常に信仰が溶け込んでいるんですよね。面白いと思います。
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ひょっとして、私のブログをご覧になって、ラムネを試していただけたのでしょうか?^ – ^
ありがとうございます😊😊😊
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まめさん、そうです、そうです!
朝方1時間と、高速のパーキングで10分の仮眠で往復行けました。
かなり有効ですね、あの錠剤♪
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