
島根県隠岐郡隠岐の島町の久美地区に鎮座する「伊勢命神社」(いせみことじんじゃ)を訪ねました。
島後の北の片隅にひっそりと建つ神社ですが、立派な式内社(名神大社)です。

寛文7年(1667年)の『隠州視聴合紀』や、それ以後の諸書は、当社のことを「内宮」(ないぐう)あるいは「内宮大明神」と記されていましたが、祭神を「伊勢命」とするという古伝を失わなかったため、明治になってから『延喜式神名帳』に従って「伊勢命神社」に復したといいます。

よって、祭神は「伊勢命」(いせのみこと)という、他に見えない隠岐国独自の神となっています。

鎮座地は隠岐島島後に多いパターンの、境内内側から見ると、対面の山を拝する立地です。

「おい、そこの隠岐牛を求めし男。この伊勢命神社が隠岐ユダヤ論の重要地ぢゃとか、伊勢神宮の大元宮ぢゃ、とかいうとるもんがおるんを知っとるか」

「ほんまでっか、kwsk」

伊勢命神社の紹介サイトを見ると、天平時代の『隠岐国正税帳』に、現在の久見地区を含む穏地(おち)郡の小領として磯部直万得の名が見え、平城京の木簡からは知夫利評の石部真佐支の名があるので、隠岐に「磯部」が置かれていたことが分かる、のだそうです。
これら神名や磯部との関係から、伊勢命が、海人を介して伊勢地方と深く繋がる神であろうことは想像されます。

しかし、祭神はあくまで「伊勢命」であって、「天照大神」ではありません。
祭神の正体については、古記録を火災で焼失いているため正確なことは分からず、言い伝えで「猿田彦」や「神宮皇后」を祀るといったものもあるようです。

社家の伝えによれば、伊勢族が隠岐島に来住した当初、毎夜に海上を照らしながらやって来る神火(怪しい火)があり、それが久美字仮屋の地に留まるので、その地に小祠を建てて祖神である伊勢明神を勧請奉斎したところ神火の出現も止んだとのこと。
鎮座地の字仮屋は北西風が強く、それで現在の地に社殿は移されたのだそうです。
字仮屋からは弥生時代の遺跡が発見されており、久見に国があった、ということは考えられます。

海上を漂う火の伝承は、隠岐・西ノ島の「焼火神社」(たくひじんじゃ)にも似たものがあり、隠岐上陸を目指す船の灯火であったのではないかと思われます。
伊勢命神社は早くから中央に知られた神社であり、中世以降も武家の崇敬厚く、田地の寄進、太刀の奉納などがなされて来ました。

伊勢命神社の本殿は荘厳な隠岐造となっていますが、
ん?

なんじゃこりゃ?

反対側から見るとよくわかりますが、2体の龍が向き合う彫刻でした。
それにしても薄暗い本殿を蠢く、リアルで艶かしい彫り物に、背筋がゾクリとします。

伊勢命神社が「内宮」と呼ばれていたことは先にも記しましたが、それに対し、隠岐一宮「水若酢神社」を「外宮」と呼んでいたという話も、地元ではあるようです。
N氏からお聞きした話では、旧丹波の「籠神社」の祭神は、隠岐からやって来たのだと伝えられているとのこと。
これらのことから、伊勢神宮の元宮の、さらにその元宮が伊勢命神社であり、「隠岐起源説」とも呼べる「隠岐王朝論」の重要な要素の一つになりうると考えられています。

しかしながら籠神社元伊勢説は、天照大神の名は『古事記』で創作された神名で、大和媛が祭祀した神は「出雲の太陽の女神」であること、豊受大神は豊玉姫の娘・豊来入媛のことで、旧丹波国では守りきれず鈴鹿の椿大神社に逃さざるを得なかったこと、これらの事実を富家が伝えていることを鑑みる必要があります。
よって、伊勢神宮の2神が隠岐から来たとは思えず、隠岐から籠神社に勧請された神は、別の神であったろうと推察します。

古来、対馬海流に乗って、隠岐から丹波、越、佐渡島などへの行き来は盛んであったと考えられ、勧請そのものは否定しません。
磯部氏の関与については後世のことで、元は別の氏族が当地を支配していたのではないか、と僕は考えます。

久美の海岸は、隠岐島・島後でも特に質の高い黒曜石が採れることで有名です。
古代原初の採石民族がこの場所に気づかなかったということはなかろうと思われます。
「国産み神話」でも3番目に隠岐島が生まれたとされているのは、大和原初民族が早い段階で当島に来て定住していたことを物語ります。

さらにN氏の話では、地名の「久美」(くみ)は、元は「久米」(くめ)だったらしく、福岡の久留米などとも関連が深かったようです。

久米は草部吉見神に連なる一族と見る向きもあり、隠岐に定住した原初民族と久米家は姻戚関係を結んだか、何らかのつながりがあったのかもしれません。
その久米家の先祖を辿ると、なるほど出雲神門系の「伊勢津彦」の姿があります。

謎の祭神「伊勢命」「伊勢明神」とは、伊勢津彦のことではないか、というのが僕の考察です。
「毎夜に海上を照らしながらやって来る神火」とは久米家の者らで、彼らは上陸地に祖神を祀ったのです。
伊勢命神社の祭神は祈雨に効験があるとの信仰もあるようで、風神としての伊勢津彦の性質にも合致します。
当社に伝わる「久見神楽」(くみかぐら)は、隠岐で1番古い祭りであり、大祭のある西暦奇数年は7月15日に西暦偶数年には7月16日に行われ、2畳ほどの狭い空間で舞いが行われます。
この古い形の舞いは、雨乞いや大漁祈願の意味合いが含まれているとのことです。

真の歴史の把握と時代考察、これを怠ると、オカルト、スピリチュアルのトンデモ説に流されてしまう恐れがあります。
日本の聖地には、そういった思考を満足させるだけの素材・ミステリーがいくらでも転がっています。
それを理解して、古代史をエンターテイメントとして楽しむのも一興ですが、素晴らしいDNAを遺してくれた祖先神に感謝を忘れぬためにも、あまり道は外したくないもの。

ただ、尾張氏の始祖を祀る「氷上姉子神社」の歴代の神主は久米氏であり、尾張=海部と久米も同族たる一面もあるので、「伊勢命神社」が「元伊勢の元宮」と言えなくもないのです。
