
ん、

なん

じゃ、

こりゃ~っ!!

これは和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群「橋杭岩」(はしぐいいわ)だそうで、大小約40の岩が、北北西から南南東方向におよそ850mもの長きにわたって一列に連続してそそり立っているんだそうです。
直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれているそうですが、むしろこりゃゴジラの背中じゃろうて。

せっかく丹敷戸畔ちゃんのお墓に来たので、串本地区をウロウロしてみました。
ここは矢野熊(やのくま)の「矢倉神社」(やぐらじんじゃ)と呼ばれる場所です。

密集した民家の細道の先、紀勢本線の線路沿いにありました。
ずいぶんと探したゼ。

神社だとは聞いて来ましたが、社殿はありません。

そこにあるのは、これだけ。
井戸跡か?

「昔、神様が1本の矢となって天から下られた。矢の落ちた所が井戸となってそこから清らかな水が湧き出した。人びとは、この井戸を御神体としてこの森を矢倉様と呼ぶようになった。(中略)戦前までは、森の入口にある三段の石段の手前で履物を脱ぎ、素足で参入する習慣が守られていたという」(野本寛一『生態と民俗 人と動植物の相渉譜 』講談社学術文庫)だそうですが、とても南国チックな聖域です。

井戸を神体とする聖域は、沖縄をはじめ、離島に見られますが、ここ串本でも水は貴重品だったのでしょうか。

いや、立派な川もありますので、南国離島の風習がそのまま伝わり残された聖域なのではないか、と思います。



少し離れて、古座川町(こざがわちょう)にやって来ました。

大正時代の木造洋館「互盟社」(ごうめいしゃ)の裏手にある「神戸神社」(こうどじんじゃ)を訪ねます。

社名の神戸は「こうべ」「かんべ」などとも呼ばれるようですが、やっぱ「ごうど」なんじゃねって、思いますよね。そうであって欲しい。

神戸神社には鳥居はなく、赤い社殿はのちに勧請された稲荷社で、神戸神社の本殿ではありません。
神戸神社に社殿はないのです。

『紀伊続風土記』によれば、「神殿(こうどの)明神森 村の中にある。木を神体とする」とあるそうで、この神殿明神森が今の神戸神社になるのだそうです。

つまり神戸神社は森そのものが神社であり、御神体というわけです。

この雰囲気、出雲のようでもあり、別物のようでもあります。
やはり、南国系の信仰を感じてしまいます。
ドラヴィダ族も出雲にやって来た際、原住の南国系縄文人をリスペクトしたのではないでしょうか。

ともあれ、よくぞこのような聖域を、今に残してくれたものです。
ありがたい。

木・森・岩・石・水 これだけで十分と思わせるものがありますね☺️ 今日もそんな日を過ごしました。
橋杭岩や由良町の白崎海岸など、紀伊半島の岩達はめちゃめちゃ語ってくれて嬉しいのです。
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社殿は僕らが祈りやすいようにしているだけのことで、本当はいらないんですよね。
圧倒される景色に出会った時、それは一体いつからそうであるのか、彼らからしたら僕らの時代なんてほんの通過点に過ぎないんだろうな、と感嘆します😌
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