
大阪府岸和田市に鎮座する「山直神社」(やまだいじんじゃ)を訪ねました。

同じく岸和田市に鎮座の淡路神社から、南に5kmほどのところに位置します。

小高く上った先に広がる境内。

拝殿は割拝殿となっています。

割拝殿は横長の平面の中央を土間(馬道・めのどう)をとって通路としたもので、平安末期ころに現れたとされます。
珍しい拝殿形式だとよく表現されますが、各地の神社を巡っていると、わりとよく目にします。

当社は社伝によると、8世紀初頭の42代・文武天皇の時に、役小角が5間に7間の神殿を造営し、その後45代・聖武天皇の時代に行基が奏上して堂塔社殿を造営したといいます。

さらに境内にある由緒書きでは、ホヒの創建と記されていました。

祭神は「天照皇大神」「天穂日命」「速須佐之男命」を主祭神とし、他に「彦曽乃世呂命」「事勝国勝長狭神」「佐依比賣命」も合わせ祀ります。

境内には数多くの摂社が鎮座していました。

当社は元々山直郷にあった模様で、『新撰姓氏録』和泉国神別に「天穂日命の十七世、日古曽乃己呂命の後裔」と記される「山直氏」が祖神を祀ったものと思われます。

しかし実際の山直氏は、播磨の山直と同じく、伊勢津彦の末裔であるといい、播磨鴨国造族であった山直氏の酒見神社の元宮が鎌倉山の鎌倉神社といわれています。

播磨に酒見=さかみ(さがみ)、鎌倉の地名があるというのは、山直氏は、相武国造と兄弟に近い系譜であるという所以によるようです。

山直氏の祖が伊勢津彦ということは、例の偽装系譜に照らし合わせれば、ここでいうホヒとは神門家のサワケのことで、当社の本来の主祭神ということになるのかもしれません。

そう言われてみれば、参道から境内に入ってすぐのところに「塞神社」があったり、

所々に出雲的な雰囲気を感じるのでした。
