
大阪府和泉市府中町に鎮座の「泉井上神社」(いずみいのうえじんじゃ)を訪ねました。

創建年は不詳ですが、社伝によれば、神功皇后が仲哀天皇2年4月に当地を行啓した際に突如として泉が湧き出たため瑞祥として喜ばれ、この水を霊泉とし、宮を築いて祀ったとも、仲哀天皇9年に神功皇后が三韓征伐へ出発する途上、当地を行啓した際に突如として泉が湧き出たため、凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったとも云われています。

主祭神は「和泉大明神」(独化天神)、「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、「高産巣日神」(たかみむすびのかみ)、「神産巣日神」(かんむすびのかみ)で、
相殿神として「神功皇后」「仲哀天皇」「応神天皇」「従者四十五柱」を祀ります。

本殿の横には、和泉国の国名の起源とされる霊泉「和泉清水」があるそうですが、よく分かりません。

豊臣秀吉は大坂城在城の折には和泉清水から水を汲ませて茶の湯に用いていたとのことです。

境内には和泉国の国府がこの地に置かれた際、国内にあった和泉国一宮「大鳥大社」、二宮「泉穴師神社」、三宮「聖神社」、四宮「積川神社」、五宮「日根神社」の祭神を勧請して祀った「和泉五社総社」が建立されています。

また、付近にあった式内社の「和泉神社」も当社の境内に移されたといいます。
実は今回の参拝の目的は、この和泉神社でした。

が、いくつか小さな社はあるものの、和泉神社が見つかりません。
和泉五社総社と一緒に祀られているのでしょうか。

和泉神社の祭神は「五瀬命」「元正天皇」「聖武天皇」となっていますが、当社の古い社地が、古代豪族・珍県主(茅渟・血沼)の勢力範囲であった上泉郷にあったことから、本来の祭神は珍県主の祖神”ではないかと考えられるとのことです。

『新撰姓氏禄』によれば珍県主は、豊城入彦命三世孫の「御諸別命」の後也とあります。

御諸別王(みもろわけのみこ)は、毛野氏の祖となります。
また、播磨鴨国造には、御諸別の末裔の人々もいたということです。
