井光神社:常世ニ降ル花 井氷鹿皓月篇 05

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奈良県吉野郡川上村、奥吉野とも呼べる山道を辿って、「井光」(いかり)の里を目指します。

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そこに鎮座するのが「井光神社」(いかりじんじゃ)です。

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思った以上に、山。

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「奈良で美味しい飯は知っとるか」

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「三輪そうめんと柿の葉寿司や」

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いや、それしか食ってないし。
ああでも、この前食べたお好み焼きは美味しかったな。
あと彩華ラーメンもある。

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さて、当社祭神ですが、それはもちろん「井氷鹿」(いひか)媛なわけです。

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イヒカ媛は、『古事記』では「井氷鹿」、『日本書紀』では「井光」と表記され、『新撰姓氏録』では、「加弥比加尼」(かみひかね)、「豊御富」(とよみほ)、「水光姫」(みひかひめ)、などと呼ばれています。

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古事記の記述には、初代天皇が東征のおり、熊野から吉野へ入り、贄持之子の次に出会った神とされ、光る井から出て来た上に、尾のある人であったとしています。

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また、「天皇がお前は誰か」と問うと、「私は国津神で、名を井氷鹿」と答えたとあり、続いて”吉野首等(よしののおびとら)の祖なり”と記されています。

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井光神社の本殿の横には、小さな社がありました。
当社には弁財天も祀られているそうなので、その社なのかもしれません。

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神体は13体あり、うち1体は井光神、残る12体は十二社権現なのだそうですが、境内社はそれにちなむものか。
当社の情報はあまり多くありませんので、正確性に欠けます。

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本殿後方に磐座のような巨岩があるそうですが、それは確認しませんでした。

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さて、この井光神社は里宮のようで、奥の山中に「奥の院」(奥宮)があるというので、行ってみましょう。

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と、思ったらまさかの通行止め。
凍結のため3月20日まで「全面通行止」とのことでしたが、訪れたこの日は3月18日。
残念すぎる。。。

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と、いうことで、改めて出直してきました。
遠いんよ、井光の里は。

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井光の里は、吉野川の上流に流れ込む「井光川」を遡ったところにあります。

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集落までも遠ければ、奥宮はさらにその奥。

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しかも怖いし。

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風流な「岩戸の滝」のそばに

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入口がありました。

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あるには、あったんですけどね、道?

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道というか、獣道というか。

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この道で合ってんのか?と心細くなっていたら、

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ちゃんとした道が別にありました。

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もう少し車道を登ったら、ちゃんとした入口がありました。
なぜあそこから登らせようとした。

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それでも山は深く、やはり怖い。

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どこまで歩くの~って思っていたら、5分ほどで何か見えてきました。

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「神武天皇御舊跡井光井蹟」

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ここが初代天皇とイヒカちゃんが出会った場所なのだそうです。

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石碑の奥が窪地になっており、そこがイヒカの「井」ということのようです。

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でもこれ、あれだ、女神の磐座でしょう。

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イヒカの井とは、地中を掘った井戸ではなく、川岸に木を井の字形に組んだ「桁」を意味したものと考えられており、「イヒカが井から出て来た」とは、「イヒカちゃんが川から上がって来た」と考えられているそうです。

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しかしここは、どちらかというと井戸に近い印象ですね。

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圧がすごい。

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そしてこの窪地を越えた先には、無数の岩があるのですが、

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これなんて、爬虫類っぽいよね。

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さらに、おお、

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おー、

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磐座の王がおりました。

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手前に狛犬のような小岩があり、

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巨圧!

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これは岩陰祭祀の場所じゃないですかね。

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この岩の圧と言い、

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岩陰祭祀の雰囲気と言い、

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紀伊の熊野地方の遺跡に近いものを感じます。
ここを聖地とした一族は、熊野の一族、丹敷戸畔一族なんかと同族ではないでしょうか。

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磐座の王が見る風景。
そしてさらに後ろを振り返ると、

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また何かおる~っ!ヒエ~。。

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この聳り立つ、ギザギザの磐座は男神でしょうか。

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とすると、君は王ではなく女王様?

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このギザギザ磐座の圧はもうなんか怖くて、あまり近づける気がしませんでした。
本来、奥宮周辺は禁足地とされ、井光神社の旧社地に玉垣で囲われた巨岩があるそうですが、これがそうなのかな。

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僕はちびりそうになりながら、ガクブルと、転げ落ちるように退散してきたわけですが、

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まあ、ほんと岩だらけ。

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で、また石碑を見つけたのですが、

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イヒカさんちがここにあった、ということのようです。
でもここは住居というよりは、祭祀の場だったのでしょう。

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横を見れば、ピラミッドのような磐座もありました。

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車まで戻って、さらに山奥に進むと、「御船の滝」というのがあって、そこにも「王塔」とかいう磐座があるそうですが、

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う、うん。

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この先は、ま、いっか。

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山道を戻ってきて、せっかくなのでイヒカの里も、もう一度行ってみることにしました。

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こんな道の先に、

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集落があるんだよね。

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集落の一番上にお稲荷さんがあるので、そこへ行ってみます。
稲荷は萌え。

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これまでの検証から僕は、イヒカ媛は大和王朝初代大君「天村雲」の后の一人「伊加里媛」(いかりひめ)だと考えています。
イヒカ媛と出会った神武は天村雲ということになります。

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彼がイヒカ媛と出会ったのは吉野の山中ではなく、おそらく旧丹波国。
イヒカ媛の一族、便宜上「イヒカ族」としますが、彼らは四国から吉野川を伝い、吉野山中に移住してきたのでしょう。
そこで二上山のサヌカイトや、水銀、その他鉱物資源を採掘していたのではないか。

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採掘のための道具か何かを腰からぶら下げており、それがいわゆる「尾のある人」と表現されたのだと思われます。
やがてイヒカ族の中に、水銀を求めて丹波地方に移住した者がおり、そこから海家の村雲に后が出されたのだと。

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村雲を大和に導いたのがイヒカ一族でしたが、彼を大君に持ち上げた出雲系大和族の「登美家」の力が大きかったため、イヒカ媛(伊加里媛)は子を連れて里帰りし、子の天御蔭は丹波に海部家を築いた、そんなストーリーが思い浮かびます。
しかし天御蔭は大和で生まれたことから、大和宿禰とも呼ばれたのでしょう。

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それにしても、この井光の里に伝わる伝承が正しいとしたら、何故イヒカ族は、こんな山奥に定住しようとしたのでしょうか。
やはり鉱物採掘が目的だったのか。

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地元では、「井氷鹿は神武天皇を案内して、土地神谷を過ぎて休石(やすみいし)に腰をかけた後、御船山の尾根にある拝殿で波々迦(ははか)の木を燃やし鹿の骨をもって卦を立てて占い、御船の滝巖上に宮柱を立て天乃羽羽矢を納め、進軍の勝利を祈願したと伝えられています。

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波々迦、天乃羽羽矢とは、越智の天津羽羽神を指し、一族の母神をここに祀ったのかもしれません。

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2件のコメント 追加

  1. mame58 のアバター mame58 より:

    ホント、苔の生え具合といい、大きさといい、なんかありそうな神妙な雰囲気を今回も味合わせて頂きました。写真いっぱい、解説つき!!ありがとうございます😊
    熊よけの鈴は、持ち歩いて見えますよね?熊よけのスプレーとかもあるのかなぁ?

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      鈴は持っていますが、今一つ心許ない感じですね。
      スプレーも買ったことありますが、飛行機に持ち込めない😅
      山に入る時はスマホの音楽を大音量で流す事もあります。

      いいね

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