佐渡・清水寺

投稿日:

6240280-2025-07-5-17-36.jpg

佐渡島にやって来たのですが、雨なんです。

6240282-2025-07-5-17-36.jpg

この頃は梅雨だったので、仕方がないね。

6240283-2025-07-5-17-36.jpg

せっかくなので佐渡の観光名所でも巡ろうと思いまして、ここに来たわけですが、

6240285-2025-07-5-17-36.jpg

すっご。
大雨のせいか、人は誰もいません。

6240288-2025-07-5-17-36.jpg

京都市の清水寺を模して造られたという「清水寺」(せいすいじ)が、新潟県佐渡市新穂大野の山中に鎮座しているのですが、

6240290-2025-07-5-17-36.jpg

土砂降りング。
写真だけ見れば雨の景色も良いよね、ってなりますが、ずぶ濡れですわ。

6240292-2025-07-5-17-36.jpg

こちらは本堂。

6240293-2025-07-5-17-36.jpg

地面は雨で、グジュグジュになっていました。

6240294-2025-07-5-17-36.jpg

佐渡・清水寺は真言宗豊山派の寺院で、大同3年(808年)賢応法師の開基と伝わります。
本尊は千手観世音菩薩で、京都市の清水寺と同様に「清水の舞台」(求世殿)が作られています。

6240295-2025-07-5-17-36.jpg

舞台に登る石段が横にあるのですが、上から流れる雨水で川になっていました。
すでに足はビチョビチョですし、せっかくここまで来たので登ってみます。

6240296-2025-07-5-17-36.jpg

ふおぉ・・・
荘厳、というか、ひと気のない山中の寺、めちゃ怖いです。

6240298-2025-07-5-17-36.jpg

第50代桓武天皇は、京都、清水寺の本尊千手観世音菩薩を深く信仰し、この遠い佐渡の地の人々が容易に京都を参拝できないことを嘆き、延暦24年(805年)僧、賢応法師に佐渡に赴く勅を下す。
法師がこの地を訪れ川の流れに光るものを見つけ、その源流をさがし当山に至り、松の根に一夜を明かす。
すると翌朝法師が目を覚ますと不思議なことに、光明赫々たる童子が出現し法師に向かい「善き哉、善き哉、仏子末世衆生二世悉地を祈らんと頼む。奇特なり、この地は大悲応現の地なり。願わくば一宇を建立し、聖容を安置し、敬礼供養せば諸願を成就せしめん。」と告げる。
法師はこの出来事を桓武天皇に伝えると、天皇は歓喜しその出来事が起こったこの地の東面の山腹を撃ち、当寺を創設する勅を法師に下し、大同3年(808年)開基される。

「清水寺の由緒」
(明治36年当山第17世円山在職時由緒書より抜粋)

6240300-2025-07-5-17-36.jpg

当寺では、最近の調査で平安時代作の二十八部衆像が見つかったそうです。
これは非常に珍しく、全国的に見ても1つの寺に集約された平安時代作の二十八部衆像はここだけとも言われています。

6240301-2025-07-5-17-36.jpg

雨がさらに激しくなって来たので、舞台の上から下界を望み、しばし時を過ごしたのでした。

6240303-2025-07-5-17-36.jpg

c1d-2025-07-5-17-36.jpg

6240304-2025-07-5-17-36.jpg

少し時間があったので、佐渡市新穂大野にある「根本寺」(こんぽんじ)に立ち寄りました。

6240305-2025-07-5-17-36.jpg

ここは文永8年(1271年)年11月に、僧・日蓮が佐渡に流刑となった時、最初に住んだ場所だといいます。
その住まい「三昧堂」は佐渡の死人の捨て場所(塚原)にあり、大変荒れ果てた入一間四面(畳二畳分)のあばら屋で、雪が深く積もる場所でした。

6240306-2025-07-5-17-36.jpg

日蓮はここであらゆる難を克服し、正月16日には、越後、越中、出羽、奥州、信濃の諸国より集まった他宗の法師等数百人と問答し
「利剣を以て瓜を切り、大風の草を座かすが如し」
と後に伝えられる程の大勝利をおさめたとのことです。

6240311-2025-07-5-17-36.jpg

日蓮は文永9年(1272年)初夏には、この塚原から一谷へ移りすんだとのことで、実際に三昧堂にで過ごしたのは約半年ということになります。

6240315-2025-07-5-17-36.jpg

実のところ、僕は幼少の頃に某宗教団代に入信していた祖父に、まったくもってひどいDVを受けていたので、その教祖とされる日蓮のことが好きではありません。
だからここに来る予定は全くなかったのですが、なんで来たんだろうね。

6240320-2025-07-5-17-36.jpg

あの宗教の日蓮と、実在の日蓮は別物だという話もありますから、まあいいか。

6240322-2025-07-5-17-36.jpg

境内の隅っこにある「犬塚」は、食事に毒を盛られたことを察した日蓮が、それを犬に与えると、犬は即死してしまったとのことで、弟子の何某が供養のために築いた塚だそうです。
やっぱひでぇやつだな、日蓮は。
ワンちゃんよ、冥福を祈ります。

6240321-2025-07-5-17-36.jpg

9件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    日蓮さんは過去の仏教全否定法華経唯一がために、近代において排他的新興宗教との親和性高めたのは最大の失敗と感じています。これじゃ法華経の良い部分も最悪なイメージになってしまいます。個人的には本来神道であるべき北辰妙見信仰がイコール日蓮宗になっては困ると思っており、維持するのに日蓮宗の寺を使わざるを得ない現状が(T-T)

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      コメントありがとうございます😊

      北辰妙見信仰と日蓮宗を同一視する傾向があるのですね、知りませんでした。
      神の事は色々調べますが、宗教自体はあまり興味がなく、知らない事が多いです。
      僕が日蓮に良い印象を持っていないのは祖父の影響で、それはもう近所でも有名なくらい、ひどい祖父でした。なので八つ当たりに近いものである事は自負しております。
      祖は素晴らしい志をお持ちでも、取り巻くものに私利私欲があってダメになる信仰団体はあるよね、と思います。

      いいね: 1人

      1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

        ログイン失敗していましたが私でした🙇‍ 宗教団体…そして関わる人々の心次第で大きく変わってしまうのは悲しい限りです。 お辛い事でしたね。

        関東では妙見宮を日蓮宗の寺が持っている場所も特に千葉には多く、龍神堂もある銚子の寺は日蓮宗と意識全くせずお参りさせていただいています。

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          Kanekoさんでしたか😊
          教えを打ち立てる人がいて、それを信奉するひとがいるだけのことなのですが、邪念を持ち込む人がいたりしてむずかしいものですね😌

          いいね: 1人

  2. 不明 のアバター mstk より:

    佐渡編の追記事にはどこが紹介されるか気になってました。

    日蓮。愛読書「代表的日本人」の中に登場する5人の中で特異に感じてました。

    今年9月に又行くので巡ってみようと思います。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      日蓮さんは一神教に近い排他主義だと聞いているので、それも苦手な理由の一つです😌

      いいね

  3. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥食事に毒を盛られたと察した日蓮は、自分の食事を弟子が毒味して死ぬことを危惧したのでしょう。それで仕方なく、犬に毒の入った食事をわざと与えた…犬も可哀想ですが、弟子が毒入りの食事を食べなくて良かったとも言えるのです…

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほどね🤔

      いいね: 1人

      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐣ワンちゃんは可哀想でしたな…犬が死ぬのと人が死ぬのとどっちがマシかは分かりませぬが、日蓮は弟子が苦しみながら死ぬのを見ていられなかったのでしょう…

        いいね: 1人

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください