寒戸神社:たぬカタリ case of 関の寒戸

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むか~し、むかしのぽんぽこぽん。
佐渡の島の関の入江に、一匹のぽんぽこ雌ムジナがおったっちゃ。
関のムジナは夜な夜な”お杉”ちゅう美しい娘に化けてな、入江にやってくる船男たちを騙しておったっちゃ。
「ちょいとそこのお兄さん、一杯おごってくんなせや」
美しいお杉に、男たちは喜んで酒おごったっちゃ。
そして中にゃ、お杉に誘われていっしょに寝る男もいたんだがよ、その度に男どもは急に眠くなり、気がつけば朝になっとったっちゃ。
「はて、あの美しい娘はどこへ行った?」
そうして自分の隣を見てみれば、そこには細うてすべすべの石が置いてあんだと。
「関のお杉は魔性の肌よ、一夜抱せの石となる」
こうして関に寄る船男たちは、歌い伝えていったっちゃ。

普段から用心深い関のムジナやったが、ある時、ちょっとした不注意から罠にかかってしもうた。
罠はムジナの足にガッチリと食い込んどって、どんげしても外すことができね。
もはやこれまでか、と命諦めかけた時
「おやおや、どうした、ちいさなムジナよ」
そう言うて通りがった1人の若男が、罠にかかった関のムジナの元に近づいて来たっちゃ。
「おお、おお、罠にかかってしもうたか。いかにも賢そうなムジナであるが、こうなると不憫よの。待っておれ、今罠はずしてくれよう」
そうして関のムジナは無事に逃れることができたっちゃ。

それからちゅうもの、関のムジナの頭からは、あの若男のことが離れね。
そんで恋しさがつのって、関のムジナは美しいお杉に化けて、彼の姿めっけてはその元へと駆け寄っていったっちゃ。
すると男は、能登からやってきた船頭で、明日にも関を発たんばならねんだと。
魔性の肌を持つお杉は本気の恋をしてもうたから、ついにその夜、その肌も許してしもうたっちゃ。
実はムジナには掟があっての、よそものに肌許すんでねえ、とされてたっちゃ。
さらにの「庚申の晩は男女いっしょに寝るんでねえ」て禁まで破って、庚申の晩に能登の船頭と船の中で寝てもうたんぢゃ。
するとその夜、裏の知行山が大きな地響きをあげて崩れてもうて、転がった大きな岩が一夜にして港を埋めてしもうたんじゃ。
あっちゅう間のことであったが、お杉も船頭も、能登の船とともに土砂の下敷きになって死んでしもうた。
「関の寒戸(さぶと)で燈明がとぼる どこの十九(じゅういく)がソリャ出てとぼす」
村人たちは関のムジナ・お杉をあわれみ、船が埋もれとると思われる場所に祠を建てて、側に一本の杉の木ぃ植えてな、その霊を弔うたんだとよ。
ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこりん。

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新潟県佐渡市関、県道45号線沿いの一角に、「寒戸神社」(さむとじんじゃ)があります。

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車を走らせていると、たまたまこんな案内板を見つけて、まあ大きな杉でも祀っているんだろうか、と立ち寄ってみることにしました。

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サムトは「左武徒」とも書くようで、昭和のヤンキーのようなヤンチャさも感じさせます。

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しかしですよ、、、
こっわ。。

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何?この妖気。
怖すぎなんですけど~~~。。

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雨も僅かに降っていて、蒸した参道を150mほど歩いたでしょうか。

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この少し開けた境内に入った途端、ヒヤリ、と全身を霊気が襲います。

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ひゃ~っ!貞子ハウスから冷たい霊気が漏れ出しているよ~~~。

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いえ、実はこの外海府海岸の寒戸崎(さぶとざき)は、背後の知行山が中世に岩崩れを起こし浜を埋めて出来た岬なのだそうで、その時に風穴のように地底から冷たい風が吹き出すようになったのだとか。
以来、この場所を寒戸と表記するようになったと云われています。

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そして「大杉」というのも、この社殿を塞ぐように倒れている巨木のことではなく、関の知行山の岩山が崩れた時に生き埋めになった「お杉」という女性が由来なのだと云われていました。
では、そのお杉という人が、あの井戸に棲む貞子なのか!
いえ、お杉さんは人ではなく、佐渡に棲む貉(ムジナ)だったのです。

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佐渡貉の親分に「二ツ岩の団三郎」というものがおり、彼には佐渡貉の四天王と呼ばれる子分がいました。
その四天王のひとりがここに棲んでいた貉で、お杉に化けていた「関の寒戸(左武徒)」(せきのさぶと)であり、団三郎親分の妻だったとも伝えられています。

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佐渡で言う貉とは、いわゆるぽんぽこのたぬきのことで、村人は生き埋めになった関の貉を哀れに思い、寒戸に祠を建て、お杉の霊を弔ったと言い伝えられています。

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また、関の寒戸貉に関しては他の話もあるようで、知行山の岩山崩れの時も命からがら生き延びたというものもあるようです。

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この社殿の横には人が入れそうな丸い穴が空いており、これは寒戸が棲んでいて、そしてここで亡くなったと云われています。

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またこの穴は、相川の団三郎の祠にも繋がっているということです。

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関の寒戸は四天王の中でも頭脳明晰で、頓智にかけては団三郎より上手で禅問答も得意だったといいます。
団三郎から寒戸へ荷物を預かるときはいつも追い風が吹き、船頭は舟を漕がなくてもよかったのだと。
それは寒戸の神通力のおかげだったのかもしれません。

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彼女は強い神通力で時に村人を助けていたので、村の者は畏れ敬い、浜に揚がった新鮮な魚を岩屋に届けたり、収穫した初穂を献上したりして、寒戸を祀っていました。
関の村人は、身体の不調や悩みなどがあったときは修験者にお祈りをしてもらうのですが、その修験者たちは寒戸の言葉を人々に伝えていたという話もあります。
安政年間に佐渡に疫病が流行したときも、寒戸の貉に祈れば疫病にかからないという噂がたち、多くの参拝者が訪れたのだと伝えられていたのでした。
ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽんぽこりん。

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