
佐渡島国中平野の北東部にひろがる加茂湖。

その湖面を見下ろす高台に「椎崎諏訪神社」(しいざきすわじんじゃ)が鎮座しています。

原黒地域にあるため、原黒諏訪神社(はらくろすわじんじゃ)とも呼ばれています。

ユニークな佐渡狛犬。

ヒダヒダが付いてます。

創建は不詳ですが、『佐渡神社誌』(大正15年/1925年)には「棟札に永和2年8月とあるも創建か再建は明らかならず」とあるようで、当地の地頭であった久知(くじ)本間家の守護神だったようです。

祭神は「健御名方命」と「八坂戸女命」で、信州上諏訪神社と信州下諏訪神社から勧請されたと伝わります。

他に「若松大権現」と「塩筒男命」を合祀しますが、若松大権現は当地に配流となった順徳帝の御子「成鳴皇子」のことと説明されています。

当社には有名な能舞台があるのですが、戸が閉まっていてちょっと残念。
1902年に建築された瓦葺き切妻造りの能舞台(県の有形民俗文化財)で、島内で演能される回数が最も多いのだそうです。

境内はさほど広くはないのですが、

奥に加茂湖を展望できる場所がありました。

加茂湖は佐渡島にある汽水湖で、新潟県内、および国内離島の中では最大の湖となっています。

周囲約17kmにおよぶ加茂湖は元来、淡水でしたが、明治期に湖水の氾濫を防ぐために開削し、海水が流れ込むようになって汽水湖となりました。

正面に見える山は、佐渡最高峰の金北山(きんぽくさん/1,171.9)で、湖面に浮かぶ筏は昭和7年から始まったカキの養殖場です。

カモ湖にスワ社があるのも大変興味深いのですが、対岸に樹崎神社があるそうなので、気になります。

なぜなら、その付近では最近、古墳が発見されているからです。



樹崎神社へ向かう途中に「両津郷土博物館」がありました。
古墳はこの奥の森のあたりで発見されていました。

2025年5月、僕が佐渡旅を模索していた時のニュースでしたから、とてもタイムリーだなと思っていました。
古墳は4世紀ごろのものと考えられていて、前方後円墳を含む、そこそこ大規模なもののようです。
そんな情報を思い出して、樹崎神社をぜひ訪ねてみようと思い立ったのですが、

雨降って来たし、道細いし、暗くて怖いし。
これ、道合ってんの?突然道が途切れて湖に突っ込んだりしないの?とか不安になるわけです。

まあなんとか、たどり着きましたけれどね。

まあまあの雨が降る中、傘をさして外へ出ます。

あの辺が古墳があった場所か。

由緒を見たら、「樹崎神社」は応永2年(1394年)の創建とあります。
室町時代です。

立地の条件から、もともと聖地であった場所に社が建てられたのではないか?
と思い、樹崎神社で検索していたら、開物発事さんの『ものづくりとことだまの国』でも同じような考察がされていました。
磐座、なるほどね。

社殿は左側がなんか足りない、不思議な形をしています。

祭神は市杵嶋なのに向拝の彫刻はなぜか布袋。弁財天やないんかーい。

中を見たかったけど、ガッチリ閉まっています。

お賽銭は、このジェリーさん🐭の巣穴から投げ入れるシステムでしょうか。

さて、当社は室町時代に建てられて、市杵嶋姫を祀ったのだとされています。
開物発事さんは古来はそこに磐座があったのではないかと。
僕が思うには、当地は古来、島だったのではないかと考えます。もちろん磐座があったとしてもおかしくない。
長い年月の末に島と岬の間に土が盛られて、陸続きになったのではないか。

もう少し地図を広げると、手前に似たような岬があり、ここから樹崎神社を遥拝していたとも考えられます。
磐座があったなら、それは出雲王国時代初期の、豪族の墓であった可能性が高いと思われます。

さらに新潟日報さんの地図を重ねると、今回発見された古墳はこのようになります。
つまりこの辺り一帯が、古来から佐渡の統治者の墓、聖地だった可能性が高いということです。

この二つの岬を線で繋ぐと、その延長に椎崎諏訪神社の鎮座地が重なります。
加茂湖は、先祖の御魂を鎮める「神(かも)湖」だったのかもしれません。

「こんな雨の中、よう来なはりましたなぁ」

「ところで佐渡牛は、幻のご当地牛って言われてるの、知ってはりますかぁ?」
それは聞き捨てなりませんね。

とまあ、狛さんたちの助言はさておき、本殿の裏手、岬の先端に出てみました。

絶・・・景。

雨が降りしきる加茂湖が映し出した世界は、まるで水墨画の世界でした。

やはりこの湖には、神がいらっしゃるようで、呑み込まれるような景色の中で、しばらく雨音を聴いていたのでした。

お世話になります!とても素敵な神社ですね( ^ω^ )四国にも素晴らしい神社が存在しています🥳退院したらまた、神社巡りがしたいと思っている今日この頃です📸
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四国は訪ねたい神社がまだ残っており、僕ももう一周したいと思っています。
頑張って療養してください😊
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妻の父方の姓が加茂、山城国ではなく味耜高彦根命系の一派で、実際に佐渡に江戸時代までいたために加茂湖の由来や新潟県加茂市(こっちは縁ではなかったです) についても興味深く妻も自分で調べていました。 ”神の湖” という言葉はジーンと来ますね☺️
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アジスキタカヒコの足跡は、伯耆富士の大山や四国にありますが、佐渡もそうなのでしょうか?
彼らは何を求めて佐渡に渡ったか、それが気になります🤔
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味耜高彦根命自身の時代よりはずっとあとの時代のお話で、言葉足らずですみません。賀茂-加茂の二系統のうち三輪側の賀茂朝臣の子孫で、戦国後は実質落人として北陸から越の国へ移り住んで姓を加茂の字にしていると聞きました。
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要するに、単なる観光レポートの域をはるかに超えた、非常に豊かで喚起的な文章なのだ。それは、その場所の魂を感じ、熟考し、身を委ねることへの誘いである。 美しい!
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身に余るコメント、ありがとうございます。
歴史と大いなる自然の美しさへの、崇敬の気持ちで旅しております。
Thank you for your thoughtful comment. I travel with a deep respect for history and the beauty of nature.
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