
帰りの便の出港まで少し時間があったので、もうひと神社、参拝することにしました。

新潟県佐渡市両津の大川港は、江戸時代から廻船の港として栄えていました。

当然そこには、商売繁盛と航海の安全、海難からの守護を願う信仰が生まれます。

大川集落に鎮座の「津神神社」(つかみじんじゃ)も、そうした聖地の一つでした。

津神神社の創建は平安時代後期の仁平2年(1152年)。
元々は集落背後の「井戸の上」に鎮座していたといいます。

境内入口には、陸上火山の噴火で誕生したとされる巨石に「安産の松」が根を張っていました。

なるほど、岩から松が生まれているように見えます。

そしてこの子。
佐渡も至る所で、サイノカミ信仰の痕跡を感じます。

津神神社は寛政3年(1791年)に、現在地の津神島に遷されました。
境内には、近年引き上げられた江戸時代の錨が立て掛けてあります。

質素ながらも洒落た社殿。
どこか龍宮を彷彿とさせる趣があります。

祭神は「底筒男命」「中筒男命」「表筒男命」の住吉三神となっていますが、

祭神は「落乃水の海中より出現」と縁起に記されています。
これは胸熱!

落乃水とは、もうこれは変若水(おちみず)のことでしょう。
元の鎮座地が井戸の上だったというのも、意味深くなります。
海中にあって落乃水と呼ばれる場所には、龍宮信仰があったのではないでしょうか。

津神神社社殿の背後、津神島の先端に、これまた龍宮チックな建物がありました。

これは私設灯台で、1階に善宝寺が祀られているとのことです。

さらにその先は、溶結凝灰岩で形成された遊歩道がありました。

ネットでは足場が崩れているため、通行止めの柵が設けられているとありましたが、僕が訪れた時は無かったので、普通に入って行きました。

縁起にあった、水津と大川の境の海中といえば、この辺り。
そこを落乃水と呼んでいたということでしょうか。
東寄りの場所には、順徳上皇ゆかりの龍王岩もあります。

僕はスピリチュアリストではないので、変若水も龍宮も、実際に存在していたとは考えていません。
神へのアプローチも、そうした方々とは根本的に違っています。
しかし常世に通じる龍宮信仰には大いに惹かれるものがあり、それは僕の中の、先祖の血が騒つかせているのかもしれません。

富家では、龍宮は出雲の龍神信仰と秦国からもたらされた蓬萊信仰が習合されたものだと説明されます。
蓬萊、それは東方にあって仙人が住む不老不死の国。
徐福が求めた不老長寿の妙薬とは、変若水のことだったのではないか。

佐渡こそが蓬莱国・龍宮の入口であった、そんな思いが、島を立ち去る僕の脳裏を掠めたのでしたっちゃ。
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