一水神社:常世ニ降ル花 天之高原篇 05

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宮水神社に行ってきたことを報告したら、Bruchollerieさんがおっしゃいました。

「薄暗い宮水神社から少し歩いたところに、一水神社があり、古文書には瀬織津ひめを祀っていたことが記されています」

・・・なんですとーっ!!

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というわけで、年を跨いで令和7年正月、再び僕は高千穂に来ていました。

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宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折、宮水神社から歩くには遠すぎる奥地に「一水神社」(いちのみずじんじゃ)はありました。
扁額が、しゃれおつです。

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当社勧請月日は不詳ですが、古老の言い伝えによると、村中で申合せて雷除のため寛永年間に祀ったといわれています。

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祭神は「水速女命」と「菅原道真公」となっており、旧称天満宮だったものを、明治4年に現社名に改称したとされます。
雷除なので道真公を祀ったということでしょうか。
一方、当社は高千穂郷88社のひとつとされ、神仏習合時代は「四十九体(躰)妙見(妙現)社」と呼ばれていました。
この社名については、宮崎県北では水神を妙見と呼び、高千穂十社大明神・大宮司田尻物部系図には、「四十九体妙見即ち『瀬織津姫神』是也」とあることから、当地では古い時代から瀬織津姫信仰があったことを窺わせます。

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みんな大好き瀬織津姫、ですが、僕の中では、彼女は圧倒的に越智の姫「常世織姫」ということになっています。
神々の穢れを祓う変若水の巫女、裏のヒミコ。
が、まあ、一水神社の瀬織津姫が彼女のことかどうかは分かりません。
当地に水神が祀られる理由、地名の由来としては、『高千穂郷八十八社名録』によると「その昔、三毛入野命が鬼八退治の時、路傍の清水を掬って飲まれたところ、”珍”なり”一ノ水”と言われたことによる」と伝えられているそうです。

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地名の由来となった遊水地には、「慶應三卯年」(1867年)八月二十六日建立の祠があるそうですが、辺りに水の気配は感じません。

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境内には、なにやら文字が彫られた石板のようなものもありますが、解読不能。

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そもそも、水神が祀られるような大きな川は、少し離れた場所に流れる五ヶ瀬川になりますので、洪水の影響などによって奥地に瀬織津姫が遷されたのかもしれません。

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で、日之影町なのに五ヶ瀬川??と思って、Googleマップ上で五ヶ瀬川をなぞってみると、おおーすごい。
五ヶ瀬の山中に端を発した川は、橋本を通り過ぎ、高千穂峡を渡って延岡まで流れていました。
五ヶ瀬川って、五ヶ瀬に源流があるから五ヶ瀬川なのでしょうが、いや待て、イツセがこの川を下って大和へ向かったから五ヶ瀬川なのではないですか?

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イツセ家の嫁の実家が橋本である。
イツセの実家は、五ヶ瀬である。
そうすると、ちょっと違和感を僕は抱いてしまいます。
イツセって、そもそも物部族なの?

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物部族といえば、吉野ヶ里集落を中心とした、筑紫平野を拠点とした一族であるというのが、僕の認識です。
その本家が高千穂の山中、五ヶ瀬にあるというのは、なんだかしっくりと来ません。

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第二次物部東征のイニエ王は、さも筑紫の物部族、というイメージです。
しかしイツセは、物部族とはいってもちょっとお人好しな、混ざりモノの物部のイメージになります。

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そしてこの手作り感のある社紋。
「剣梅鉢」(けんうめばち)という紋ですが、梅花紋は菅原道真を祀る天満宮が神紋としたことが始まりとされています。
旧称が天満宮だったことによる剣梅鉢なのでしょうが、

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橋本家も、この紋なんですよね。

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佐織さんは一時期、日之影町に身を寄せていたことがあるのだそうですが、親戚がいるとかいうことではなかったようです。
日之影町では、親切なご一家にお世話になっただけだと。

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あと、梅花紋は、公家では高辻氏、唐橋氏、清岡氏、桑原氏、東坊氏、そして花山源氏の白川氏などが用いているそうです。
武家では加賀前田氏、相良氏、久松松平氏、美作菅家党などが代表的で、菅家党の漆間氏からは法然上人がでており、法然上人とゆかりの深い京都清涼寺は寺紋として梅鉢を用いています。

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ともあれ、この後、阿蘇・雨宮媛の末裔を称するアシュラさんに、阿蘇一帯は多氏王国だった痕跡を、丁寧に教えていただきました。
この時から、イツセは多氏の王だったのではないかと、僕は考えるようになりました。

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【 媛さんのブログ『ヒルコ』

12件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    女系という認識ですが、私たちが思う女系と、ご本人様が思う女系には少しズレがある様な気がしています。

    10代遡れば最低1024人のご先祖が最低でも存在します。自分を起点とすると歴史は本来は1024通りになるわけです。その中で一本の歴史を残すのは並大抵のことではないと考えられます

    女系の役目者、男性の役目者でワンセット。つまり役職が女系という考え方と、歴史的遺伝的な女系は違うのではと。

    役職と裏の祭司、この考え方を道標に据えておかねばならん気が致しております。

    いつ親戚同士になったのかは分かりません。物部守屋の様に中興の祖なのかもしれませんが、どういう訳かざっくりナニナニ系氏族と表現なされます。実際には記紀より古い歴史が明らかに存在しますよね。

    基本的には別の家とも言えますし、結婚しただけで第一世代が、お祖父さんクラスの方まで東征に説得して動員できるものなのか?とも思います。

    そこはロマンです。ロマンで感じるのですwww

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    1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      仰るように何処を基準にするかで全く意味合いが変わります。男系家督と女子祭祀者が各世代ごとに「具体的に”誰”だったか」まで答え合わせしながら口伝と家系図を見るように心がけております。書物ないしは口伝でも明らかな特定世代人物から他家へと移った者(これもその後数代記述や口伝あり)以外は親戚とは思わない程度のレベルには留めるようにしております。

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      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        確かに、男系と女系、父系と母系の考え方は慎重にならなければと思いますが、世にある系図は遠い親戚あたりでも直系のように表示されていたりして、外部の者がそれを正確に知るのは難しいですね。

        Kanekoさんのように、かなり正確に男系・女系、父系・母系の流れを知りうる情報は、貴重だと思えます。

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        1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

          線引きは難しいながら、血の濃さが色々現れていて調べるほどに面白くなります😅
          ここ3代の金子家をご紹介いたします。圧倒的に女子優勢です☺️

          https://photos.google.com/share/AF1QipNb2cuh_6CBSztpCr9SoQHiK3FnAZQPAQPWGcMxuLaJb7eRQy1Jvd90VXPEZDRQTQ/photo/AF1QipN2of1pJ0Z5IxeqdIfNyBjsFXVo7hVQG1EZprbT?key=QUlzR29MY0RtRG0wNi1Dai13YUlBeDFlMDBDVEtB

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          1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            これはすごい系図をありがとうございます😊
            圧倒的女子優勢ですね😅
            それとどうでしょうか、早く生まれた方が祭祀力が高いように思えますね。なんとなくですが。

            いいね: 1人

          2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            私共の場合でも「長女の長女」が一番強いケースが多いそうですが東京大学の遺伝子の先生ともお話する機会があり、「末子に出る家系もかなりあるんです」と調査例見せていただきました。縄文以前の日本人のルーツを探るのも遺伝子研究の成果だそうです。

            いいね: 1人

          3. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            そういえば、末子相伝、というのもありますね。

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        2. 不明 のアバター 匿名 より:

          narisawa110

          女系と男系の厳密なお話としては、出雲伝承においてもその記述があります。旧糸井造家の神床家は実際にはヒボコの女系のお宅で、ヒボコにお嫁さんを出した在来の豪族になります。故に、養父郡がある訳です。

          先代の伝承者の頃の書籍では、ヒボコに嫁をやった家としての証言が出ていますが、大元本においては次代の取材対象者はヒボコ寄りの発言となっており、まるで神床家が大国主に上陸を拒まれたかの様に描かれています。

          当事者の親の世代からすれば外孫の家系といえど自分の分家であるかの様に話すのはよくある事と考えられます。自分の子孫から天皇陛下(戦前までは神功皇后は天皇扱いでした)が出たという考え方は、言いたくなっちゃう〜気がしますw

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          1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            現世の社会的地位・名誉を「盛り」たがるのはいずこも同じと言われますが、勝てば官軍の武士はまだ許せるとしても、正式祭祀を行う者は厳しく神前に誓いを立てる故、虚飾はご法度と考えております。

            いいね: 1人

  2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    自分のブログ用に常世織姫と繋がる媛たちのことを思っていたらここに立ち戻りました。
    五瀬命は物部本家筋では無く、正確な時代不詳ながら、女系からならば? 
    出雲石見国境→志賀島→北阿蘇→南阿蘇→五ヶ瀬→高千穂→日之影→日向灘の海沿い→豊国と
    移ってきた伝承を持っている身近な者たちと極めて近い存在のように思っています。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほど、確かに。
      五ヶ瀬には、出雲の痕跡はあっても、物部っぽさはあまり感じませんね。

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  3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    宮水神社、一水神社と子供の頃から何度も行っていた所がドドッと出てきて、地味な仕事詰めだった頭を思い切りひっぱたかれた気分です;; 美しいですが偶に暴れ川となる五ヶ瀬川の流域は近年急速に災害対応で形を変え、馴染みの旧国道は県道格下げで災害から復旧させずバイパスに上がって移動するように・・と狭隘路は遺棄されて寂しい限りです。かつては名字の違う親戚もおりましたがほぼ常世に移り住むか街に降りております。イツセは物部と言いつつも我が一派同様に他家からの…だとすると何となくしっくり来そうであります。

    いいね: 1人

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