母島:小笠原帰郷記 4日目

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母島に暮らす、というのはどんな感じなのだろう。
父島よりも遥か遠い南の島で、町と呼べるものもなく、海が荒れれば物資が届かぬ日も続く、そんな島だ。
それでも、故郷を離れ、荷物一つでこの島に渡り、暮らしていこうと考える人がいる。
生計を立てるのでさえ、苦労するのが目に見える。
だが、「なんとかなりますよ」とあの人は言って笑った。
島風が吹いて、ゆらめく光が眩かった。

小さな島にも小さな諍いはあるだろうが、結局は協力し合い、助け合っていかなければ生きていけない。
生まれた時から島にいる人も、他所からやって来た人にも、自然とそういった空気がここにはあるように感じた。
我々の最初の先祖たちも、この国を狙ってやって来た人たちも、手を取り合わなければ生きていけない島、それが”日本”という島だった。
そこで古い人々は、”大いなる和の国”と呼んだのだった。

僕らは忙しくなり、人との関係も難しくなり、多くを得たけれど、同時に大切なものを失いつつある。
だから多くを捨て、本当に大切なものを守りたい、そんな思いをどこかに抱いて母島で暮らすのではないか、とそう思えた。
まだ僕は多くを捨てきれずにいるのだけれど、いつかそんな生き方を選べたら、幸せだと思った。

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父島に2泊して3日目の早朝、僕は港に向けて車を走らせました。

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ササモクレンタカー」さんのご厚意で、前日の燃料満タン、港に乗り捨てを許していただき、「ははじま丸」に乗り込みます。

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ははじま丸はチケットの予約ができないので、当日購入しなければなりません。
人が多すぎて乗れない、ということはまずないそうなのですが、心配症の僕は早めにチケットを手に入れます。

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で、乗船を待っていると、ザァーっ。

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母神の洗礼、お清めの天気雨が、僕の頭上を通り抜けていきました。

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この日、朝早くにもかかわらず、お見送りに来てくださっている方々がいらっしゃいました。

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なんでも、都議会員さんが母島のソーラーエネルギー推進のために来島されるそうで、僕はその便に乗り合わせていたようです。

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ソーラーエネルギーというと、僕は良い印象をこれっぽっちも持ち合わせていないのですが、小さな島で暮らす人々にとって電気は欠かせぬ問題でしょう。
都議さんも島愛をアピールされてる方なので、釧路湿原のようなことにはならないことを願います。

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【4日目 AM 7:30】

ともあれ、「ははじま丸」は父島から母島に向けて、2時間の航海に出たのでした。

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ははじま丸が出航すると、すぐに母島の姿が見えてきました。

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背後に父島、

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横に南島。

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小笠原では冬に、出産のためにやってきたザトウクジラを見ることができるそうですが、

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さすがにこの時期はいないか。

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小笠原の海は透明度が高く美しいのですが、それは言い換えればプランクトンが少ないということになります。
クジラにとっても食料が少ない海となるのですが、それでも天敵のいないこの海に、母クジラはやってきて子を産み育てるのだそうです。
そして育児が終わる3ヶ月ほどの間に、体重は1/3ほどになってしまうと。
母とは偉大なものです。

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母島までは2時間の船旅ですが、24時間の船旅を終えた後ではあっという間に感じます。
だんだんと近づく母島は、まるでジュラシックな孤島のように見えました。

ご覧ください、翼竜たちが船から落ちた人々を狙っています。

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そんなショーを楽しんでいると、母島に到着しました。

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【4日目 PM 2:30】

母島到着はAM9:30で、翌日12:00には帰路につかなければなりません。
なので母島観光は実質、この日1日だけということになります。
この1日をどう有効に使うか、と考えた時、移動の心配もないツアーでお願いしようと決めました。

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母島観光協会のサイトを見ると、たくさんのツアー会社によるたくさんのツアーが紹介されています。
どれも魅力的ですが、ここは丸っと母島を楽しめる「母島1日ツアー」を申し込むことにしました。
このコースは島内観光に加え、トレッキングも楽しめるという欲張りメニューだからです。

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次にどのツアー会社にしようかと迷いましたが、母島で小さな農園を営みながらツアーガイドをされている「PoCo*TaeKoni」さんに決めました。
「タエ&コニ」とは、こちらを営んである”コニシ”さんと”タエコ”さんに因むお名前のようです。

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母島1日ツアーの前半はトレッキングで、タエコさんが案内してくれましたが、後半の母島島内観光から先に記事にしました。

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島内観光はロック・ワイルドな風貌の”コニシ”さんが案内してくれました。
最初に訪れたのは、母島の沖港からほど近い「ロース記念館」でした。
この建物は大正時代の砂糖貯蔵庫を復元したもので、郷土資料館になっています。

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ロースとはロース石のことで、建物の外壁に使われています。
ロース石を発見したのは、明治2年(1869年)頃に母島に定住し、開拓に貢献したドイツ人「ロルフス」氏でした。

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館内は昔の島の生活や伝統工芸品などを見学することができ、タコノハ細工の体験会も開催されています。

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館内に展示されている黒い木製の器は、小笠原諸島だけに分布する固有種・オガサワラグワで作られたものです。
オガサワラグワは非常に堅牢で、白蟻に強く、独特の木理の美しさから建材、家具、装飾、彫刻用に重用され、高値で取引されました。
そのため、明治期にはすでに多くの大木が伐採され、今では古来の原木は、島内で見ることが叶わなくなってしまいました。
昭和2年頃から苗木が植栽されていますが、オガサワラグワはとても成長が遅く、こうした材として活用できるまでに成長するには、あと数100年以上はかかるとのことです。

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ということでオガサワラグワの工芸品はもはや入手不可能と言って差し支えないのですが、なんと母島のJAスーパーで、ストラップが超格安で手に入るとワイルド・コニシさんに教えていただきました。
母島のレジェンド「星善男」さん作、秘蔵の材から削り出した”幻の!オガサワラグワ手作りストラップ”です✨
コニシさん自身が”買い占めてしまいたい”と言う幻のストラップ、これを入手しない理由がありません。
僕が見た時は4個ほどスーパーに置いてあって、それこそ買い占めようかと思いましたが、2個だけ頂戴いたしました。
カッチカチなのにスベスベで、母島の香りとぬくもりを感じる逸品です。

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ロース記念館を離れて、ダンディ・コニシさんの車はどんどん北上していきます。

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途中で立ち寄った「石門」(せきもん)の入口。

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この石門のコースは、原生に近い豊かな自然が残っている森を歩くもので、固有種の宝庫、母島でも憧れのトレッキングコースとなっています。
しかし自然が残っているということは、道も自然の状態に限りなく近いということで、整備されたトレッキングコースではありません。
また当然、今残されている希少な自然、生物を守るためにも厳格なルールが決められており、ガイド必須のコースとなっています。

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ただし現在、石門コースは崩落などで入山が禁止されているそうです。
僕らは入口の雰囲気だけ感じさせていただきましたが、それでもかなりの圧を感じ、古代の森の気配を垣間見たのでした。

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この母島を北上する車道は、舗装こそされているものの、かなり細い道が連続します。

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現在の母島は、ははじま丸が寄港する島南部の沖村が唯一の集落となり、あとはこうした森が広がっています。

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かつては他にも集落があったのですが、戦争で一度島を離れ、戦後アメリカから小笠原が返還された後も様々な事情があり、他の地区に人は定住しなかったようです。

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これは探照燈(サーチライト)の戦跡です。
状態が良く、台車の形状もなんとなく分かります。

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コニシさんは「東港」(母島漁港)にも連れて行ってくれました。
かつて、近海で捕獲された鯨の解体基地として利用され、往時には年間200~400頭の鯨を捕獲していました。

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東港は島民らの絶好の遊び場だったようですが、平成15年に防波堤が作られ、遊泳禁止になりました。
立派な防波堤ができましたが、結局諸事情でこの港が運用されることはなく、遊び場だけ奪われてしまったコニシさんも、悔しそうな雰囲気でした。

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コニシさんが最初に「行きたいところはある?」と聞かれて、僕が答えたのがここ「北村小学校跡地」(きたむらしょうがっこうあとち)でした。
ここだけは行きたかった。
母島の名所の一つになっているので、おそらく最初からコースには組まれていたと思いますが。

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北村小学校があったという場所には、現在は建造物はなく、石段と石垣、

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そして製糖圧搾機の石ローラーを積み重ねた門柱だけが残っています。

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他はというと、ただただ、ジャングルがあるだけ。

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昔の写真を見ると、手前右側に先ほどの門柱が見えます。
ここ北港には北村という集落があり、校舎も小さいながら、高等科を併設した小学校があったということです。

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ジャングルの奥に入っていくと、校舎の礎石らしきものがありました。

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これを見ても、小さなプレハブ程度の校舎だったことが分かります。

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昭和19年(1944年)、強制疎開により小笠原諸島の小学校は全て閉校となりました。
それから敗戦、米国の施政権下に入った小笠原は、昭和43年(1968年)6月26日に返還され、日本に復帰します。
この時すでに、北村小学校は「昼でも暗いほどにガジュマルにおおわれていた」ということです。

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北村小学校跡地から少し進んだところは「北港」と呼ばれます。

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母島北端の入江となっており、戦前はここに人口約600名の北村の集落がありました。

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今は使われることがなくなった桟橋は、ノスタルジック。

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かつては東京からの定期船も寄港していました。

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この辺りの海中にはサンゴ礁が広がり、アオウミガメもやってくるのだそうです。

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2件のコメント 追加

  1. mame58 のアバター mame58 より:

    綺麗な写真と動画と歴史を交えた解説、ありがとうございます😊
    森の圧 感じてみたい💦怖かったですか?

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      小笠原に限りませんが、山深い場所の森は、命の圧力が一際重く感じます。怖いとも言えますし、畏れ多いとも感じます☺️

      いいね: 1人

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