
「さようならは言わない」なんて陳腐なセリフがあるけれど、この島ではそもそも不用な言葉だ。
「いってらっしゃい」と、手を振る父がいて、母がいる。兄弟姉妹がいて、友人がいる。
厳しさがあり、優しさがある。悲しい歴史があり、輝く今がある。
誰にとっても、いつでもふるさとになる場所だから、忘れ物を取りにまた帰ってくればいい。
心をたっぷり満たしたなら、応える言葉はただひとつ。
大きな声で、”行って来ます”と。
ありがとう、OGASAWARA。ボニンブルーのアイの海。


【5日目 AM 5:00】
朝、目が覚めて僕は宿を抜け出し、ギョサンを履いて母島唯一の集落・沖村を散歩しました。

明け方の海に、たゆたう船。

冬には島のすぐ近くまで、クジラがやってくるといいます。
クジラに会いたいな。

天敵がいなかった頃の名残で、島の生き物たちはどこかのんびりしています。
小笠原の生き物たちは、どこか日本人っぽい。
絶えゆくキミたちはもう少し危機感を持ったほうが良いけど、それが小笠原らしさでもあるんだよね。

そろそろ島に日が昇る頃。

「月ヶ岡神社」はフェリー待合所の裏手にありました。

ドヒ~ィ。

登り切ってからの、

隙を生じぬ2段構え。

苦労して登った先に、南国チックな鳥居がありました。

手水も良い感じです。

月ヶ岡神社の祭神はよくわかりませんが、集落の氏神として祀られているとのことです。

古代の聖地ではないのでしょうけど、素朴でいいね。
月ヶ岡の名の由来はなんだろう。
月の祭祀をした丘っぽい名前だけれど、ひょっとすると案外。



【AM 8:00】
いったん宿で朝食をいただいて、まだブラブラしてます。

島一番の、オシャレなお店「JA」ストア。
JAさんは父島でも大変お世話になりました。
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JA小笠原アイランズの母島支店さんは、リニューアルしたてのホヤホヤです。
だからとってもオサレなんだよ。

お土産やフルーツもお求めやすくなっております。

そして注目すべきは、カフェ!

ワイルドロッカー・コニシさんが、パパイヤスムージーはオススメだと言っていたんだよね。
お値段はそこそこだけど、小笠原産フレッシュ素材のスムージーだからね、買わない手はないよね。

そしてこれ注目!
母島限定別注カラーの”母島ギョサン”ボニンブルー✨
メーカーは”ニシベケミカル”のVIC。ベンサン(便所サンダルタイプ)でも有名なメーカーです。
これも買わぬ手はないのですが、大足の僕にはLサイズでもやや小さく、息子の土産に一つ買うことにしました。
自分用にこの色ホチ~ぃ。

JAスーパーの向かいに、ロマンチックなガジュマルの木があります。
ベンチに腰掛け、モーニング・スイーツタイムを楽しむことに。

パパイヤスムージーと冷凍ドラゴンフルーツのカットをいただきましょう。

みて、スムージー、パンパンやから。
一口すすると、南国の香りが脳天まで突き抜けるよね。う~ん、トロピカル🌴

ドラゴンフルーツは見ため地味だけど、やっぱ美味しいのよ。
これが島恋の味。
船出まではまだたっぷり時間があるから、しばらくまったりと、島時間を楽しみます。
のどかだな。


【AM 10:20】
まだ出航には時間があるので、母島での宿「アンナビーチ母島」さんに一度戻りました。
ハハジマメグロのような、可愛いおうち。
チェックアウトは9:00ですが、”リビングは出港まで使っていいよ”とオーナーご夫妻のお言葉でした。

リビングに入ると、船出を待つ数人の宿泊者がいて、話が盛り上がります。
するとアンナビーチの奥様が、スイカを切ってくださいました。
これぞ、夏の味ですね。

アンナビーチ母島さんも、いわゆるゲストハウスタイプのお宿で、相部屋のベッドをお借りするのですが、父島のシャンティバンガローさんとは違って、完全にご自宅の中に泊めさせていただく感じです。
食事も1日2食が基本的についていて、料理は島食材をふんだんに使った奥様の手料理。これがとても美味しいんです。
お米も日本銘柄米で、おかわりOK。
それなのに、驚くほどお安いお値段でした。

宿泊客の皆さんは、3泊以上されている長期滞在者の方がほとんどですが、1泊のみの後来の者である僕にも、とても気さくに接してくれました。
これはアンナビーチご夫妻の人柄によるものではないかと思いました。
実は母島の宿を探す時、2ヶ月前であるにもかかわらず、ほとんどの宿で予約を断られました。
本当に予約が一杯だったのだろうと思われますが、一人旅であること、3泊が基本の小笠原において1泊のみの予約であることも考慮されたのではないかと僕は考えてしまいました。
最後に電話をおかけしたのがアンナビーチさんで、すぐに快く、受け入れてくださいました。この時の嬉しかったこと。
アンナビーチさんのおかげで、僕の小笠原旅のプランが完成できたのです。

そろそろ出航の時間が近づいて来ましたので、奥様にお別れを告げて、港に向かいます。

ははじま丸の出航は12:00。

チケットを買って、荷物を置いて、、、
ま、まだ時間はある!走れっ!

おっさ、大人な僕が駆け足で向かったのは、例のJAストア。
もう一つのスムージー”マンゴースムージー”を飲まずしては、きっと後悔すると思ったのでした。

【PM12:00】
ははじま丸、出航の時です。
船内の椅子に座っていた僕に、アンナビーチでご一緒になったお姉さんが声をかけられました。
「上の甲板に行きましょ」
甲板に出てみれば、なんと驚く数のお見送りが。
小笠原旅の最大の感動は、最後にありました。
見てみると、宿の方々、アクティビティの方々なども、見送りに来てくださっています。
小笠原では野宿・キャンプが禁止されており、必ず宿をとっています。
また大体の人は、何かしらのアクティビティに参加しています。
つまり、僕にもアンナビーチのご夫妻やコニシさんらがお見送りに来てくださっているように、船に乗っている人には必ず、ゆかりの方が見送りに来てくれているのです。
そして汽笛と共に船が岸から離れると、桟橋を走る子供達の姿が。

桟橋の端まで来たら、そのままドボン💦
両手を広げて手を振ってくれています。
なにこれ、映画で見たやつじゃん😆
そんな感動を、母島の方々は最後にお土産に持たせてくれたのです。

船は港を出て、余韻に浸っていると、

なんと沖合までボードに乗ってきたおっさ、大人の方が、さらにお見送りをしてくれました。


【PM 2:00】
2時間の船旅を経て、父島に到着です。
1時間後の3:00に”おがさわら丸”は出航するので、チケットの入手と簡単なお買いものを済ませます。
そしていよいよ出航の時。
この動画、ちょっと長いのですが、最後まで見て欲しい。
人口の分だけ、母島よりも多く、盛大に、お見送りの人たちが集まってくれていました。
船が出航すると・・・!

父島の人たちは、毎回こんなお見送りをされているのだろうか。
これは胸と目頭が熱くなります。

小笠原では2つの暦があるのだと言います。
一つは僕らのよく知る、月曜から始まって日曜日に至る暦で、公務員の方などはこれに準じています。
もうひとつは、おがさわら丸の入港、出港に合わせた暦です。おがさわら丸が入港すると週が始まり、出港した翌日はお休みするという暦です。
これは商店、飲食店、あるいはお宿などが準じており、島の活気に繋がる職業の人々の暦です。
おがさわら丸が出港した翌日は、ほとんどの店が休業し、日曜日であっても島中がシーンと静まりかえるのだそうです。
おがさわら丸に始まり、おがさわら丸と共に休息する島の暮らし。
僕は今回、小笠原父島・母島のエッセンスを体験しつくした気でいましたが、その半分もまだ知らないままなのだと、東京・芝浦に向かう船の中で、気がついたのでした。



小笠原までの航路には、テクノスーパーライナーという高速便が平成17年(2005年)に就航する予定でした。
しかし原油価格高騰の影響を受け、運航費用の問題で頓挫しました。
また父島列島に、以前からたびたび、空港建設・民間航空路線開設の計画が持ち上がっています。
2022年度においても、東京都は、小笠原諸島への航空路について約5億円の調査費を計上し調査を行いましたが、環境面への配慮や航空機の選定に時間を要することから、航空路線開設の見通しは未だ立っていないということです。

おがさわら丸に乗ったことのある島外の人間から見れば、こんなに素晴らしい24時間はなく、飛行機などいらないだろうと思ってしまいますが、生まれて来た時から島暮らしの方からすれば、出ていきたくでも出ていけない事情の中で、航空便は切なる願いとなっています。

忙しい世の中で、こうした船旅もさらに少なくなっていくのかもしれませんが、まあ今宵は月も一層美しく、今しばらくはこの世界に酔いしれていたいと願うのでした。



【6日目 AM 7:00】
朝食を食べて、

【PM 12:00】
昼食を食べれば、もうすぐ竹芝です。
ほんとうに、あと数時間船に乗っていても構わないのに、名残惜しい気持ちでいっぱいです。
小笠原とはその島の名の通り、父の島であり、母の島であり、家族の島なのだと思われました。
「いってらっしゃい」に込められた思い、「いってきます」に込められた思い、それが島の全てを言い表しています。

こんなにも感慨深い旅ではありましたが、不思議と寂しくはありません。
“きっとまた、みんなに会える”
そんな予感が自然と湧いてくるから、その日のためにまた頑張ろう。
終わりとは”始まりの物語”の、始まりなのですから。
そうして明日もまた、ボニンブルーの風が吹くのです。

たくさんの動画、ありがとうございました!
まったりした景色の動画は、確かに海の風を肌で感じました ^ – ^
しっかし、すごいお見送り。みんなどんどん飛び込んで、歓声が上がって盛り上がりますね ^ – ^
沖合でも、ぜーんぜんへっちゃら、さずが島の人たちです。ヒヤヒヤしました(笑)
夢の旅から、現実におかえりなさいませ
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現実世界に戻っても、また夢の世界に行けるのが、ブログの良いところです☺️
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でた!😭 小笠原シリーズで必ず撮影されると期待してました。長回し、当然です!
これぞ島マインドの結集、行ったことある人は絶対再訪を誓う瞬間ですよね。
ボートからの飛び込み、一回やりました😅 ちょっと長めの滞在だったのです。
更に翌週は長く島に残る姉媛の飛び込みに見送られ… ダイビングショップの誰よりも
泳ぎの速い乙姫はエンジン切っても惰性でまだ走るボートを追い抜く泳力。
伝説になったとかならないとか…
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交通に関しては、飛行艇を使用する航空会社が採算取れるかという試算のコンサルをしたことがありました。
空港建設は環境面と既存航空会社が就航に難色(八丈島ですら80-90年代4-5便、今補助金あっても3便)
急病人対応などは海自の飛行艇に頼っている現状をどう見るか。
*私感です
島で暮らすのなら、高度医療など期待せずそのまま自然に還りたいです。
生活掛かってる島民の方の気持ちもわかりますが😑
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島外から来る人と、島内に縛られる人の思いは複雑なようですね。
旅の者からすれば、あの不便さがあるから、小笠原の良さが守られているような気もしますし。
“どこでもドア”ができてしまえば、それこそ旅の終わりということでしょうね。
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乙姫なら、やりかねませんね😆
見送る側と見送られる側、おがさわら丸のいる小笠原といない小笠原、それを全て体験しての小笠原だと思いました。
1クールではなく、2クールの旅が今度はやってみたい。まあ、いつのことになるのやらですが。
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五条桐彦様 おはようございます。船旅の別れって感無量と言った感じですよね。若い頃、奄美大島へ行った時、島で知り合った可愛らしい女子高生が見送りに来てくれました。2つの紙テープの端を結びそれぞれがテープを持って別れたのですが、他の人たちのテープは切れても私たちのテープはいつまでも繋がっていました。青春の懐かしい思い出です。☺️
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asamoyosi様
旅先での思いがけない出会い、ご縁。
そうした思い出は色褪せることなく、一生の宝物になりますね。
旅を続けてきて、本当に良かったと思います☺️
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