
一之宮貫前神社から、境外摂社の小舟神社に向かう途中、「蛇宮神社」(じゃぐうじんじゃ)なるものを見つけて立ち寄りました。
この神社は、両社ライン上の間に鎮座しています。

蛇宮神社の鎮座地は 群馬県富岡市七日市。
広めの境内に、社殿がポツンポツンと建っています。

境内の隅に八幡宮がありましたが、どうやらここは古墳のようです。

年季の入った八幡さん。

当社祭神は「高龗神」(たかおかみのかみ)になっていますが、創立年代は不明。
当地には元々、諏訪大明神が祀られていたそうで、室町時代の明応3年(1494年)に蛇宮大明神として再建されたそうです。
それには、白蛇伝承が語られていました。

富岡を流れる鏑川の淵には、白蛇が永年住みついていました。
白蛇は長く生き、ある日、全長3mほどの巨大な龍になったといいます。

龍は度々暴れては、川を氾濫させ、近隣の住民に恐怖を抱かせました。
ある夜、慈眼法師の夢まくらに白蛇が現れ言いました。
「われを神として祀るならば永く諸人を護ろう」
そこで1494年9月29日、法師は人々と相談し蛇宮明神を建てたとのことでした。

境内には玉垣で囲われた、二つの磐座があり、

一つは「龍の爪かき石」と呼ばれていました。

うーん、神籠石ですか・・・
何かの礎石ではないでしょうか。

もうひとつは「孕み石」。

確かにふくよかな丸みが、良きですな。

さて、蛇神ゆえに、水神の高龗神が祀られることになったのでしょうが、白蛇伝承は貫前神社の前宮「咲前神社」にもありました。

当地は富岡製糸場に代表されるように、古くから養蚕が盛んな地域でした。
養蚕の大敵はネズミで、ネズミから繭を守ろうと、群馬県では天敵である猫や蛇をあがめる風習があったといいます。

それにしても気になるのは、この位置に鎮座していた、前身たる諏訪大明神です。
一之宮貫前神社のミステリーに、お諏訪さんも参加されるということでしょうか。

しかもここ、小ぶりとはいえ、古墳があるんですよね。



一之宮貫前神社の境外摂社「小船神社」(こぶねじんじゃ)にやってきました。

社号標には少し見にくいですが、「舊祓戸」という文字が彫られています。

つまりここは、一之宮貫前神社の祓戸にあたる神社のようです。

江戸期の由来書によれば、一宮大明神が天竺から来る時に使った2艘の船のうち、1艘を祀ったので、小舟神社とされるのだとか。

当社祭神は「経津主命」となっていますので、経津主は天竺からやってきた、という設定です。

てか、祓戸なのに瀬織津姫じゃないんかーい。

小舟神社は、飛鳥時代から奈良時代へと変わる白鳳7年(678年)3月に鎮祭され、五穀豊穣、職業繁栄、家内安全、住民守護の祖神と仰がれてきました。
代々の国司及び武将からも篤く崇敬され、徳川家第三代将軍家光公より社領二十石の朱印を寄進された由緒ある神社だということです。

舟といえばフナトなのではないかと疑ってみますが、よくわかりません。

朝早くから無毛峠で雲海を見て、ここまで降りてきましたが、どうでしたかね、鈴ちゃん。

姫君がご機嫌麗しいことを願いつつ、僕らは最後の場所へと向かいました。

narisawa110
落ち着いて見てみると、社宮司(ミシャグジ)=蛇宮司の様にも思えますね。
お船祭りは、海神系と道祖神系があります。
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確かミシャグジにも、蛇の儀式がありましたよね。
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歴史と伝説に満ちた魅力的なツアーでした。この場所の雰囲気と古代の神秘をとてもよく伝えています。 👏🤗
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ありがとうございます😊
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