
椎葉村「十根川」(とねがわ)地区。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されるこの山村集落は、谷間の南斜面に水平を生み出すように石垣が築かれ、その上に「椎葉型」と呼ばれる独特の建築様式の平家と馬屋や蔵が、列を為すように配置されています。

上段の民家は下段の民家の屋根より高い位置に作られており、どの家も十分に日光を受けられるようになっています。
精密に築かれた石垣は、高さ4m、長さ40mを越えるものもあるとのこと。
そこには村民の、椎葉で暮らすという覚悟と知恵、そして美意識が集約されているように思えました。

この十根川集落が見下ろす先にあるのが「十根川神社」です。

十根川神社は、十根川、大久保、椎原(しいばる)、鹿野遊(かなすび)、内の八重(うちのはえ)の五集落を氏子とし、縁結びの神様として崇敬されています。
古くは「八村大明神」(やむらだいみょうじん)と呼ばれていました。

椎葉村内に伝わる古文書『椎葉山由来記』、『椎葉山根源記』には、椎葉の山里に隠れ住む平家残党への追討使「那須大八郎」が、最初に陣屋を十根川に構えたと記しており、この陣屋を椎の葉で葺いたため「椎葉」の名が起こったと伝えています。

十根川神社については情報が乏しく、検索をかけてもありきたりなことを書いたものしか見つかりません。
本殿手前にあるこの建物に祀られているのは、どなたなのでしょうか?
賽銭箱もあり、神境も据えられているので、神がいらっしゃると思います。
ここは元の祭神である八村大明神が祀られているのでしょうか。

十根川神社と改称されたのが明治初年であり、以降、祭神は「大己貴乃命」(おおあなむちのみこと)となっています。

八村大明神という名は神仏習合の神の名でしょうから、明治の神仏分離令で変えられたのだと推察できます。
気になるのは「八村」という名が何を指すのか、ということですが、近辺に8つの集落があったというわけではなさそうです。

八村が「八叢」だったらどうでしょうか。
鞍岡の冠岳(かむれだけ)には、ヤマタノオロチが7巻半のトグロを巻いていたという伝説がありました。
さらには冠八面大明神、鬼八にも通じる可能性を感じます。

A氏が長期滞在している時に、ボーリング(地質)関連を職業にされている方から聞いた話があるそうです。
「椎葉村の地質は、複雑な地質から成り立っているので、他の地域とは明らかに差異がある」と。
秋元神社のある向山地区も同様だそうで、鞍岡では九州島発祥の地とされる石灰岩の特殊な地質があるといわれていました。

出雲にドラヴィダ族がやって来て鋼に近い鉄を生み出すまでは、黒曜石やそれに類する石が権力の象徴でした。
鉄がもたらされてからも、さまざまな鉱石は重要な資産であり、津久見から椎葉までの地質ラインに魅力的な何かが含まれていたとしたら、どうだったでしょうか。
それが鞍岡のヤマタノオロチ伝承の答えなのかもしれません。

十根川神社の社殿西側には「八村杉」、別名を「十根の杉」と称する国指定天然記念物の巨木が聳えています。
樹齢800年、樹高54m、根回り19。
八村杉は元久年間(1204~06年)に那須大八郎宗久が植えたと伝えられています。
【15分ver.】
十根川神社では旧暦11月17、18日に、「十根川神楽」が奉納されます。
椎葉の各集落に伝わる独自の神楽の中にも、歴史を紐解く鍵が隠されているのかもしれません。
【2時間ver.】
当神楽の祝子は十根川、大久保が勤め、昔は民家を神楽宿とし年次廻しで行っていたそうですが、昭和33年の神楽殿建設以降は神社で執り行われています。
神社本殿前に設ける注連立を高天原(たかまがはら)と称し、三十三本の御幣(ごへい)は三十三天を表すのだそうです。

3本の注連の中央から神社拝殿の扉に2本の綱を引き、右の綱には月光を表す赤と青で塗り分けられた御笠(みかさ)、左の綱には日光を表す赤の御笠が飾られます。
夜半より女性達によって神楽せり唄がうたわれ、座が賑わうのだそうです。



A氏は僕と『古代戦士ハニワット』の「武富健治」先生を、十根川集落の奥の山へと誘いました。

そこは、A氏のお気に入りの場所なのだとのこと。

山の斜面に忽然と姿を現したのは、国指定天然記念物の「大久保のヒノキ」です。
推定樹齢800年、樹高32m、根回り9.3m。

それこそヤマタノオロチのような姿ですが、案内板にある「ヒノキは火の木」という文言が意味深いです。

nari氏は椎葉村を調べた時、十根川神社の名前に関心を持たれたようでした。

それは
「トベの男性版がトネで、タケミナトネの利根でありますから、九州の十根川と関東の利根川と言う関係からも、九州と四国、関東の関係がまるで韻を踏むように重なる気がします」
ということです。

トベの男性版がトネだとは知りませんでした。
なるほど、古代の椎葉には、男首長が治めていた集落があった、と地名に残しているのでしょうか。
十根川は耳川に注ぐ支流のひとつとなります。

耳川の”耳”も、「菅之八耳」や「沼川耳」など、王位にある人に散見されますので、耳川とは”王川”のことではないかと僕は考えます。
翡翠色の王の川の上流には何があるのか。
日本最後の秘境・椎葉村の人たちが、更なる秘境と呼ぶそこには、驚くものがあったのですが、僕はなかなか辿り着けないでいました。

まるで順番が大事なのだと、言わんばかりに。

吞兵衛なので酒造には興味あります!(笑)
石灰岩地帯だと硬水でしょうね。
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鞍岡の水を調べてみましたが、水質に関するものは見当たりませんでした。
もともと海底にあったこの祇園山は、4億3千万年前より 堆積されたサンゴや貝の化石からなる石灰岩層の山です。
《水ダイヤ》はその分厚いサンゴや貝のフィルターを通ることで サンゴや貝に含まれるミネラル分を豊富に吸収しています。
とありますね。
酒造は古代は国家機密だったようです😌
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日本酒の起源について調べてみたら、西都市の都萬神社に日本酒発祥の碑が建てられているようですね。
ですがこの周辺は焼酎メーカーは多いけど、日本酒醸造所は少ないですねぇ・・・
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確か奈良の三輪さんも、京都の松尾さんも、日本酒発祥を謳ってたような気がしますね。
僕は酒は飲めませんが、そういえば宮崎で酒造というのもあまり聞かない気がします。うなぎは美味しいですが😋
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ここの石灰岩は、いわゆる秩父帯に属するものですね。秩父帯は名前の通り、関東山地の秩父地域を模式地とする地質構造体です。そのあたりでも繋がりがありそうです。
古代に石灰岩を生活に利用していたのでしょうか?
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秩父と椎葉が地質で繋がるとは、ムネアツですね。
石灰岩が積極的に利用されていたわけではないでしょうが、奥高千穂から椎葉あたりで希少な鉱石が採れたのではないかと想像します。
水は間違いなく、良い湧水に恵まれており、生活のほか酒造にも適していたのではないでしょうか。
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