幻の三瓶そば と さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林)

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三瓶町池田の「浄善寺」(じょうぜんじ)に立ち寄りました。
そこにある大銀杏(おおいちょう)の木が、見事な黄金色に色付いていました。

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浄善寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、本尊は阿弥陀如来となっています。
元は石見銀山百ヶ寺の西蔵坊であったとの伝承があり、天文年間より浄善寺と呼ばれるようになったそうです。

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江戸時代には坂根谷(旧池田小学校跡地)にありましたが、明治5年(1872年)の浜田地震により倒壊。
その後、お寺は数々の災害に耐えてきた大銀杏が聳える当地に移されました。

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それにしても、境内を秋色一色に染めあげる美しさ。

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浄善寺は大田市民の憩いの場となっていました。

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「お腹が空きましたね」

ということで、シズさん、モモさんに「三瓶そば」のお店へ連れていっていただきました。
三瓶そばの名店「木の香」さんです。

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三瓶そばは、三瓶山麓の大田市三瓶町および山口町で古くから栽培されている在来種のそばで、小粒で引き締まっており、苦味の強さに起因した深味のある濃い味が特徴です。

三瓶山の麓は火山灰土壌で、地表を流れる川がありません。また寒暖差が激しく、そうした気候がそばの生産に適しているそうです。
佐比売大神の大地が育んだ恵み、それが三瓶そば。

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10割そばをいただきましたが、色は淡く、姫神の肌のようにツルツルの麺で、のど越しがとても良い。
香り高く、とても美味しいそばです。
2024年に行われた『おいしいそば産地大賞』でも3位に入賞し、美味しい三瓶そばを求める人が増えているとか。
生産量が多くないこともあって、「幻のそば」となりつつあるようです。

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三瓶山麓に点在する豊富な湧水を使って育てられた、三瓶の上質なワサビとの相性も良い。
こモモちゃんも「おいしいっ♪」と言って、一人前ペロリと平らげていた姿が、印象に残りました。

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物部神社 鎮魂祭前の最後の行程として、「さんべ縄文の森ミュージアム」(三瓶小豆原埋没林公園)に連れてきていただきました。

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かねてより気になっていた場所です。

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そこは地下に掘り下げられた発掘現場が、そのまま保管された展示場となっています。

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三瓶小豆原埋没林は、約4000年前の三瓶火山の噴火に伴って、奇跡的な条件が重なり、スギを中心とする巨木が根を張って直立したままの状態で地下に林立している、世界的にも稀な埋没林だということです。

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この噴火は、ゆっくりと溶岩を噴出しながら火砕流を発生させる「雲仙岳平成噴火」と同じタイプのものでした。
噴火によって三瓶火山の山体崩壊が発生し、流れ下った土石流の堆積物によって土砂ダムが形成されたことで立木がぎりぎり持ちこたえることができる程度まで土石流の勢いが衰え、そこへ密閉するように土砂や火山灰が覆い被さりました。

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施設内にはこの土砂も展示されていますが、これは噴火によって噴出されたもので、いわば佐比売山(三瓶山)の中身、と言えます。

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埋没林は「森の化石」と呼ぶに相応しいものですが、他の埋没林の大部分は根もと付近が残るのみであるのに対し、長い幹を残す三瓶小豆原埋没林は世界的にも珍しいのです。
しかも土砂ダムに溜まった水が、樹木が熱で炭化するのを防ぎ、発見当初は樹皮を削ると瑞々しい木の香りがしたということです。

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しかし浦島太郎の玉手箱よろしく、外界の空気に触れると時間を取り戻すように、一気に黒ずんでいったそうです。

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この埋没林の年輪を見ると、非常に細かくなっています。
これはゆっくりと成長していったことを示しており、樹内に油分をたっぷり保っていたことも、こうして今に姿を残す要因となっています。

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4000年前といえば、ちょうどドラヴィダ族が出雲にやってきた頃です。

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彼らが三瓶山の大噴火に立ち会ったかどうかはわかりませんが、まさにそんな時代の空気が、ここには残っているように感じました。

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埋没林には特殊なコーティングが施されていますが、それでも劣化を完全に止めることはできていません。
試行錯誤を続けながら、なんとか保存できるように尽力されていますが、10、20年先も今の状態で保存できるかは不明とのこと。
クナト王が生きていた時代の空気を感じるために、さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林)は富王家伝承ファンならば、ぜひとも足を運ぶべき場所の一つです。

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