筑後・ミシマめぐり ㊃

投稿日:

1260331-2026-02-22-12-45.jpg

長かったミシマ旅もいよいよ最終回です。たぶん。

1260332-2026-02-22-12-45.jpg

⑯ミシマは、三潴郡大木町蛭池の「蛭池三島神社」です。

1260333e381aee382b3e38394e383bc-2026-02-22-12-45.jpeg

こちらのミシマ社は、数々の筑後ミシマの中でも群を抜いて立派です。
宮司家は宮崎家、とのこと。
最近、宮﨑さんともご縁がありましたので、少し興味が湧きます。

1260334-2026-02-22-12-45.jpg

由緒によれば、延応元年(1239年)三潴郡西牟田の領主、西牟田彌次郎家綱が地頭職に補せられ、豆国より入国する際に領地の中央にある廣池村、当地に来て伊豆国の三島神社(三嶋大社)を当地に勧請した、とのこと。

1260337-2026-02-22-12-45.jpg

その後、寛元2年 (1244年)に庶子の牟田筑前守・家村が郷士の宮崎治部大夫を大宮司に任命し、神社を創建したと伝えられます。

1260343-2026-02-22-12-45.jpg

祭神は「事代主神」の他、「春日大神」「住吉大神」「八幡大神」「高良玉垂命」となっています。

1260338-2026-02-22-12-45.jpg

久留米藩にも崇敬されたという当社。

1260344-2026-02-22-12-45.jpg

神仏習合時代は宮司坊を慶雲寺と称し、蛭池三島神社は三潴郡南部二十二ヶ村の総社だったということです。

1260335-2026-02-22-12-45.jpg

当社が創建された当時、鎌倉幕府は八幡神を崇敬していたので、守護地頭として赴任した御家人は、各地に八幡宮を建立した、と語られます。

1260347-2026-02-22-12-45.jpg

本殿の隣に置かれている境内社は「若宮八幡宮」ですが、

1260348-2026-02-22-12-45.jpg

ここは「元つ宮」と称され、三嶋大神が勧請される前の氏神だったということです。

1260351-2026-02-22-12-45.jpg

若宮八幡宮の中には、白蛇の像が置かれていました。

1260350-2026-02-22-12-45.jpg

八幡神と白蛇神は関係あるのか、どうか。

1260346-2026-02-22-12-45.jpg

地名である「蛭池」(ひるいけ)は、かつてあった筑後久留米藩の三潴郡蛭池村に由来します。
明治22年(1889年)蛭池村、上八院村、上牟田口村、侍島村、絵下古賀村、八町牟田村、上木佐木村が合併して木佐木村が発足して、蛭池村は消滅しました。
由緒に「廣池村」とあったので、こちらが本来の呼び名だったのかもしれません。

1260353-2026-02-22-12-45.jpg

さらに昭和30年(1955年)、木佐木村・大溝村・大莞村が合併して大木町が発足しました。
大木町はとにかくミシマ社が密集していますが、当社より久留米側は三潴郡の領主・西牟田氏の影響が強く残ります。

1260357-2026-02-22-12-45.jpg

西牟田氏は鎌倉時代に三潴郡の領主となりますが、氏は伊豆の藤原氏の末裔とされ、氏神が三嶋大社であったことから一帯にミシマ社が建てられたというのが、このミシマ密集現象の理由だと、一般的には考えられています。

1260341-2026-02-22-12-45.jpg

この日、当社を参拝していると、宮司さんらしき年配の女性に声をかけていただきました。

1260360-2026-02-22-12-45.jpg

その方がおっしゃるには、蛭池三島神社のミシマは、正確には「鳥」の下に「山」を書いて”シマ”とするそうです。
その時はなんのこっちゃ、と思っていましたが、よくよく考えてみると深い意味があるのかもしれません。

1260359-2026-02-22-12-45.jpg

ただこの時の僕は、ミシマ巡りも後半で、ミシマ疲れていましたので、会話を深めることをしませんでした。
御朱印だけでもいただいておけば、よかったかも。

1260354-2026-02-22-12-45.jpg

尚、当社に関する古文書が、宮崎神官宅に保存されている、とのことでした。

1260345-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

1260364-2026-02-22-12-45-1.jpg

⑰ミシマ、三潴郡大木町大角の「三島神社」です。

1260365-2026-02-22-12-45.jpg

長い参道の途中に、猿田彦大神の石碑があります。

1260366-2026-02-22-12-45.jpg

案内板には、俗に「さえの神」とも云う、とありました。

1260367-2026-02-22-12-45.jpg

集落の奥まったところに鎮座しているミシマ社ですが、なかなかの風格を感じます。

1260368-2026-02-22-12-45.jpg

ただ全体的に風化が激しく、隋神門の中の像も写真を撮ることが憚られる感じでした。

1260372-2026-02-22-12-45.jpg

創建・由来は不詳。

1260375-2026-02-22-12-45.jpg

『福岡県神社誌』には、「社説に曰く、人皇第七十二代白河天皇御宇承暦二年(1078年)伊豆国より石川日向守三島宮の御告により大神を守下し奉る」とあるようです。

1260374-2026-02-22-12-45.jpg

また、蛭池三島神社の分霊だという話もあるようです。

1260376-2026-02-22-12-45.jpg

祭神は「事代主神」ほか、「春日大神」「住吉大神」「仁徳天皇」「應神天皇」「菅原神」「宇迦之御魂神」「素盞鳴神」。

1260379-2026-02-22-12-45.jpg

とにかく朽ちかけた摂社から覗く、朽ちかけた像が怖くて、あまり長居はできませんでした。

1260369-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

1260383-2026-02-22-12-45.jpg

⑱ミシマ、筑後市西牟田久保地区の「三島神社」です。

1260384-2026-02-22-12-45.jpg

公民館の敷地の奥に、

1260385-2026-02-22-12-45.jpg

小ぶりな社殿があります。

1260386-2026-02-22-12-45.jpg

当社の情報はほぼ皆無。

1260387-2026-02-22-12-45.jpg

石祠や石碑の数が多いことから、本来はそこそこ大きな神社だったのではないかと思われます。

1260391-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e383882026-02-1816.13.06-2026-02-22-12-45.jpg

⑲ミシマは久留米市三潴町西牟田の「三島神社」です。
実はここは参拝し忘れていました。
久留米は比較的近い場所なので、また行けば良いのですが、もうミシマはお腹いっぱいなので、もういいかな。
Googleマップの写真を載せておきます。
ただ、西牟田という地名が隣接して、久留米市と筑後市にあるのは面白いです。
元々一つの地区だったものが、分断されたのでしょうか。

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e383882026-02-226.58.49-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

1260394-2026-02-22-12-45.jpg

⑳ミシマ、久留米市三潴町西牟田本町地区の「三島神社」です。

1260395-2026-02-22-12-45.jpg

とても立派な隋神門です。

1260396-2026-02-22-12-45.jpg

うさ発見。

1260397-2026-02-22-12-45.jpg

由緒によれば、当社は西牟田彌次郎家綱が、伊豆の三島神を勧請したもので、西牟田郷の宗廟として祀ったもの、とあります。

1260398-2026-02-22-12-45.jpg

西牟田彌次郎家綱は、社領供田を寄せて郷中第一の神として崇めた、とのことです。

1260399-2026-02-22-12-45.jpg

⑯ミシマの、「蛭池三島神社」も、延応元年(1239年)西牟田彌次郎家綱が伊豆国の三島神社を蛭池の地に勧請したと伝えていました。
西牟田彌次郎家綱が本町と蛭池、両地にミシマ神を勧請したのか?

1260400-2026-02-22-12-45.jpg

筑後・ミシマ巡りをしてみて分かったことは、由緒が比較的はっきりしているもので、
③ミシマ「蒲池三島神社」が、崇徳天皇天治2年(1125年)に蒲池城主の何某かが、伊豆国三島神社から勧請
⑦ミシマ「小入三島神社」が、嘉元2年(1304年)に富安蔵人が伊豆国より勧請
⑧ミシマ「大藪三島神社」が、正安3年(1301年)に大薮地頭・高橋丹藤兵衛藤原基氏が、伊豆国より勧請
とあります。
年代順にすると、
1125年「蒲池三島神社」、1239年「蛭池三島神社」「本町三島神社」、1301年「大藪三島神社」、1304年「小入三島神社」といった具合です。

1260401-2026-02-22-12-45.jpg

筑後の一角に、なぜ代々伊豆ミシマを勧請していったのか、一般には鎌倉時代にこの地を治めた領主・西牟田氏の氏神であったためと説明されますが、それだけではないような気がします。

1260405-2026-02-22-12-45.jpg

西牟田氏について、Wikipediaに次のように記されています。

『筑後国豪族旧家系図』の西牟田系図(佐賀藩西牟田家に伝わるもの)によると筑後の西牟田氏は、天児屋根命から21世の中臣鎌足、それから15代を経た松殿家一門の権中納言藤原家房の子である讃岐守家直を始祖としている。

西牟田氏の系図は、①生葉郡大石村庄屋(西牟田氏の流れを汲む彌吉氏)家蔵のもの(矢野一貞の『校訂筑後国史』に収録)、②佐賀藩西牟田家に伝わるもの(『筑後国豪族旧家系図』などに収録[6])の二点がよく知られている。これらはいずれも西牟田氏の始祖である藤原家直を、藤原北家流で関白藤原道隆の後裔としている。
また、①の系図では、その3代後の西牟田彌次郎家綱入道藤原行西は、嘉禎年中(1235~38)に、豆州三島より三瀦郡西牟田村に(地頭として)赴任し、村の名前を取って「西牟田氏」を名乗ったとされている。 筑後市西牟田にある寛元寺や三潴郡蛭池村の三島明神などの社寺の正式な「縁起」「開基帳」にも同様の内容が記されている。
②の系図では、初代家直の時に筑後国西牟田之邑へ下向したこととなっていて、①の系図と比べると九州へ移った時期が相当早い。

等々。

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e38388-2026-02-22-9.31.56-2026-02-22-12-45.jpg

筑後市西牟田の寛元寺は、西牟田入道行西(西牟田彌次郎家綱)の願によって寛元元年(1243年)に建立され、筑後市西牟田地区の三柱神社はかつて「三島宮」と呼ばれ、下の宮として行西が建立したと伝えられているそうです。
三柱神社をミシマ下の宮とした場合、上の宮はどこかと考えると、位置的には蛭池よりも本町の方が適っているように思えます。
しかしながら、西牟田氏が筑後に大きな勢力を有していたことは間違いないようです。

1260393-2026-02-22-12-45.jpg

本町三島神社の境内の隅に、年季の入った石鳥居がありました。

1260407-2026-02-22-12-45.jpg

これは肥前鳥居と呼ばれる形式のもので、元は隋神門の前にあったものを移築したようです。

1260408-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

1260411-2026-02-22-12-45.jpg

残り2社はサクッといきます。
㉑ミシマ、久留米市三潴町西牟田の「三島神社」です。

1260412-2026-02-22-12-45.jpg

境内入口に「清道寺」のバス停があります。

1260413-2026-02-22-12-45.jpg

社殿はコンクリート製で、シンプル。

1260415-2026-02-22-12-45.jpg

かつては豪奢な作りだったようですが、燃えてしまったのか。

1260416-2026-02-22-12-45.jpg

シンプルではありますが、白い壁が印象的です。
個人的には、少し教会っぽい印象。

1260417-2026-02-22-12-45.jpg

祭神は「大山積命」のよう。
筑後地区のミシマ社としては、珍しいです。

1260418-2026-02-22-12-45.jpg

たくましげなエビスさんもいらっしゃいました。

1260419-2026-02-22-12-45.jpg

c1d-2026-02-22-12-45.jpg

1260420-2026-02-22-12-45.jpg

㉒ミシマ、ラストミシマは筑後市西牟田の「三島神社」です。

1260421-2026-02-22-12-45.jpg

集落を抜けた道沿いに、ポツンと鎮座。

1260423-2026-02-22-12-45.jpg

情報は皆無。
筑後のミシマめぐりは、ひとまずこれで”みしまい”です。

1260424-2026-02-22-12-45.jpg

4件のコメント 追加

  1. KYO のアバター KYO より:

    ミシマ巡りお疲れ様でした〜
    こちらを拝見していて、次回三島に行く際には
    三嶋大社にお参りしなくては、と思いました。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      是非ともご参拝ください。
      その際はぜひ、ジョジョっぽい餅もみしまがれ。

      いいね

  2. nakagawa のアバター nakagawa より:

    >御朱印だけでもいただいておけば、よかったかも。
    かもかも。
    随分前にここの紋の話をしたと思うのですが、ご感想聞きたかったです。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      あ”〜っ!交差紋!!
      そうでした〜!
      こ、こんどうなぎ食べるついでに、再訪してきみしま。

      いいね

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください