森宗意軒神社/油すましの墓

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天草はとても遠い、というのが僕が抱いているイメージです。
熊本市内は高速で1時間くらいで行けるのに、そこから天草までがやたら遠い。
そんな場所だからこそミステリースポットもあったりします。

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【森宗意軒神社】
江戸時代前期にかけて「森宗意軒」(もりそういけん)という人がいました。
天草・「島原の乱」において、天草四郎率いる一揆の参謀者の一人だったと云われている人です。
その森宗意軒を祀る神社が天草の大矢野町にありました。

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そこは辺鄙なところにあり、すぐには場所が分かりませんでした。
民家裏の丘の上にあるようです。

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丘の上を登っていると、お墓から覗く視線が・・・

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猫でした。

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森家の墓もありました。
宗意軒の末裔の墓でしょうか。

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さらに藪の小道を行くと、

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丘の上に出ます。

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ありました。

森宗意軒は生年不詳 、幼名は傅之丞といいます。
小西行長に仕え、南蛮、オランダなどで学び、さらに中国で「入廟老」という者に火術、外科治療の法、火攻めの方法などを伝授したと伝わります。
日本へ戻って来ると、小西行長は刑死しており、宗意軒は高野山にしばらく身を潜めます。
大坂の陣では真田軍につき戦いますが、落城し、肥後国天草島へ落ちのび森宗意軒と改名してそこに住むことにしました。

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その後、幕府のキリシタン弾圧、島原の圧政で一揆が起こると、「天草四郎」を盟主として、一揆軍を指揮しました。
宗意軒は風を起こし、海を歩いて渡った「怪人」と伝わり、江戸初期の兵学者「由井正雪」の妖術の師ともいわれています。

由井正雪について少し紹介すると、治右衛門の妻がある日、武田信玄が転生した子を宿すと予言された霊夢を見て、生まれた子が正雪であると云います。
慶安4年(1651年)、徳川家光の死の直後に、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、各地で浪人を集めて挙兵し、幕府転覆を計画しました。
決起の寸前になり計画の存在を密告され、正雪は駿府の宿において町奉行に囲まれ、自刃します。

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僕が「森宗意軒」に興味を持ったのは、彼が「山田風太郎」の小説「魔界転生」に妖術師として登場していたからです。
原城落城の際に命を落としたとされていますが、生き延び、秘術で「天草四郎時貞」を始め、「宮本武蔵」など、数々の武人を魔人として世に蘇らせ、幕府転覆を企むというものです。

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僕は小説を読んだわけではないのですが、角川映画で、沢田研二が天草四郎を演じる映画「魔界転生」を見たときの衝撃が、今も忘れられません。
おどろおどろしく、エロティックな魔界の面々に、思春期の僕は興奮したものです。

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地元では「もりすけさん」の愛称で親しまれる宗意軒。
妖しげな伝承を持つ彼ですが、民思いの人物で、
祈ったら歯痛が治ったなどの宗意軒の”霊験”を伝える逸話も多いそうです。

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【油すましの墓】
有名な妖怪「油すまし」の墓が天草の栖本町にあるというので行ってみました。

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そこはいたずらカッパの伝承もあるらしく、道々にカッパの像なども置いてありました。

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しばらく行くとわずかながら整備された駐車場がありました。

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車を駐めてのどかな道を少し歩きます。

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ありました。

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妖怪「油すまし」は、水木しげる氏の作画でも有名な妖怪です。
しかし、実際には実態を伴ったあやかしではなく、声と物品の怪異現象であると考えられていたそうです。

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元々の伝承では、孫を連れた老婆が草積(くさづみ)峠を歩きながら、孫に「ここには昔、油瓶下げたのが出よらいたちゅうぞ」と言うと、物陰から「今も出~る~ぞ~」と言いながら飛び出してきた、という話だそうです。

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この妖怪の初出は、地元の民俗研究家であった浜本隆一の『天草島民俗誌』(1932年刊)であり、後に柳田國男の『妖怪談義』(1956年刊)に紹介されました。
油すましの墓には頭や顔のない像が三つ置いてありますが、土地の古老のお墨付きで本物と判断されているとのことです。

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油すましの「すまし」とは、天草の方言で「しぼる」を意味する「すめる」という言葉が変化したものではないかと推測されています。

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墓の周辺には、油づくりの原料となる山茶花の木がありました。

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あぶらすましは、油の瓶を片手に通行人や子供を驚かす怖い妖怪という一面ももちながら、
天草では、河童の天敵として、河童から子供を守る存在だったとも伝わっていました。

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