風がない。
壱岐の勝本に神功皇后の船団は風を待ちながら停泊していた。
これから先、対馬まではさらに厳しい航海となる。
せめて良い風を得たいと思っていたが、なかなか風は吹かなかった。
神功皇后は里人より磐座があると聞き及び、そこへ足を運んだ。
小高い山を登ってみれば、確かに霊威を放つ大岩がある。
皇后は岩の前に座り込み、目を閉じた。
が、脳裏に浮かぶのはつい先日起きた出来事だった。
…
神功皇后の一行がこの壱岐の島にたどり着いた時、別の一団が駆けつけてきた。
四国にいた仲哀天皇の弟、十城別王だ。
「どういうことだ。」
十城別王は皇后の仮の宮で、重臣たちが居並ぶ中荒声をあげた。
大王の一軍が勇ましくも九州を平定し、新羅に向けて進軍したと聞いていた。
これに馳せ参じてみれば、兄の大王はすでに崩御しており、
皇后が男まがいの格好で兄の軍団を引き継いでいるという。
「ばからしい、私は帰らせてもらう。」
巫女風情が大軍を率いて遙か海の彼方にある大国を征服しようなど、聞いて呆れた。
しかもその巫女は身重だという。
やってられない。
「待ちなさい。」
十城別王が立ち上がり、背を向けて場を立ち去ろうとした時、皇后の声が聞こえた。
振り返ってみれば、皇后がか細い腕で槍を握り、こちらに向けている。
「このまま引き下がるなら、大王の弟といえど其方を射殺さねばなりません。」
見れば女の手は震えていた。
十城別王は鎧を床に叩きつけるように脱ぎ捨て、背を向ける。
戸口に手をかけたその時、ドスっと重い音と共に振動が十城別王に伝わった。
思わず振り向く十城別王、その目には足元に脱ぎ捨てた鎧に突き刺さる1本の槍が見えた。
そしてその目を上にあげると、青白く震える女の顔がある。
十城別王が見たその皇后の瞳には、今にも溢れそうな涙があった。
…
今、十城別王の目の前には、巨岩の前に瞑想する神功皇后の姿がある。
「姫さま、」
十城別王は声をかけてみたものの、次の言葉が出なかった。
やがて神功皇后は目を閉じたまま、十城別王に話しかける。
「大王の死を、弟君であるあなたにまで伏せていたことは申し訳なく思っています。
大王の死は神懸かっていたとはいえ、私の口から予言されました。
そしてその神は今身ごもっている私の子が国を治めるだろうとも言いました。
未だ生むことを叶わぬ皇子を王に成すためには、すでにあります他の后の皇子たちに、大王の死を知らすわけにはまいりません。
私は大王の死を伏せ、その仇である羽白熊鷲を討ち、山門の巫女を含むまつろわぬ者どもを誅してまいりました。
大王を祟った神々を祀り、幾度も神意を問いました。
それでもまだ、私には此度の異国征伐の決心がつきませんでしたが、
それは私が女だから、と思い至りました。
ゆえに一時、私は女を捨てたのです。
ここにいるのはあなたが軽んじる女の巫女ではありません。
あなたの尊敬する兄の意志と、その意志を受け継ぐ皇子を宿す者なのです。
十城別王よ、あなたが必要です。
どうか私に力を貸していただけないでしょうか。」
十城別王は神功皇后の背後で、自然に膝をついていた。
「全てのことに納得がいったわけではない。
しかしあなたの決意は受け止めました。
私の軍勢は兄の意志を全うしましょう。
これより我が軍は姫さまの軍勢に加わり、その力を思う存分に奮わせていただきます。」
神功皇后の一軍に、強力な力が加わったその時、
大岩の方から勢いの良い風が吹き始めた。
【白沙八幡神社】
壱岐空港のそば、筒城に大きな鳥居があります。
「白沙八幡神社」(はくさはちまんじんじゃ)です。
神功皇后の主軍は玄界灘を渡り、壱岐に到達します。
これまでの穏やかな内海と違い、海流の激しい外海の旅は皇后には初めての体験だったことでしょう。
臨月も迎えた女性には酷な船旅でした。
白沙八幡神社の大きな鳥居の後ろには、小さな石の鳥居があります。
これも元は高かったらしいのですが、島風が強く当たるので地中に埋めたそうです。
ようやく島が見えた時には、皇后らも安堵したことでしょう。
港に着くと早速宿をとったようです。
しばらく参道を歩くと、階段の上に拝殿が見えてきます。
日もまだ昇りきらない頃に訪れましたが、とても神秘的です。
本殿は青白く輝いていました。
本殿横には「見猿・言わ猿・聞か猿」の像が愛らしく鎮座しています。
そして境内には皇后が腰かけた石がありました。
これもそうでしょうか。
この井戸は神功皇后が御飯を炊いたので「御飯井」(おめしごう)と言います。
ここから住吉神社に向かう途中に「印通寺」(いんつうじ)という場所があります。
神功皇后の三韓征伐には、仲哀天皇の弟にあたる「十城別王」(トトキワケノオウ)も同行しました。
しかし、この王は途中でこわくなって逃げ出したそうで、皇后は槍をとり、逃げていく王の背中をめがけて、投げつけます。
その槍がみごとに、十城別王の背中を射通したことから印通寺の地名が起こったといわれています。
しかし十城別王がそんなに臆病だったとは僕は思えず、
実際に平戸の志志岐神社にも三韓征伐から生還後ここに祀られたと伝わっていますので、
このようなストーリーに仕上げてみました。
【住吉神社】
神功皇后は那珂川の現人神社を訪れたのち、行く先々で住吉三神を祀っています。
壱岐の中心に当たる場所にも住吉の神を祀りました。
大理石の狛犬がいます。
壱岐最大と伝わるクスノキが御神木です。
比較的新しい拝殿がありました。
【爾自神社】
壱岐の西側、有名な「猿岩」にほど近い小高い山の中に「爾自神社」(にじじんじゃ)があります。
石の鳥居から進み、
参道に入ると、とても神聖な空気が満ちています。
参道途中の祓戸です。
拝殿はとても古く老朽化しているように見えました。
この爾自神社が祀るのは「東風大明神」といい、その磐座「東風石」(こちいし)が鎮座しています。
拝殿の横から裏へ回りましょう。
そこには何とも存在感のある東風石があります。
その経は3mほどあります。
壱岐の勝本港に集結した皇后の軍船らは、追い風が吹くのを待っていました。
しかし数日待ってもなかなか風が吹かなかったそうです。
それで神功皇后はこの大岩の前で祭祀しました。
すると大岩が裂け、その隙間から勢いの良い風が吹いたということです。
これにより皇后の軍船は無事出港することができたと云います。
【聖母宮】
壱岐の北端、勝本港のそばに「聖母宮」(しょうもぐう)があります。
聖母宮は皇后の行宮(あんぐう・仮の御所)の地でしたが、その後ずっと放置されていました。
ある時、毎晩海中から光るものが上がってきて建物の周囲を照らすというできごとが続きます。
そこで、地元の人たちは鏡を行宮に納めて神功皇后を神として祀ることにしました。
また神功皇后が敵の首101,500個を持ち帰り、ここに穴を掘って埋めたという話も伝わっています。
そばに「馬蹄石」があります。
皇后の力強さが移った馬がつけた蹄の跡と伝わっています。
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