
神功皇后の三韓征伐に同行することになった「安曇磯良」。
その安曇族が信奉するのは志賀島を中心とする「綿津見神」(わだつみのかみ)です。
そして対馬にも「和多都美神社」(わだつみじんじゃ)がありました。
つまり対馬も安曇族の支配する聖域だったのです。

和多都美神社は対馬の西にありました。

海に浮かぶ三つの鳥居が美しいと聞いて期待していましたが、茶色の海にびっくり。

前日に雨が降ったこともあるでしょうが、近くで大きな工事を行っていることも影響ありそうです。
ワダツミの聖地といえば「龍宮」のことですが、これでいいのかと心配になります。

気を取り直して境内を進みます。

境内の池に「三柱鳥居」があります。
この池の水は海に繋がっていますので、潮が引くと

下に何かが見えてきます。

そこにはウロコ状のヒビの入った石がありました。

「磯良恵比須の磐座」といい、「古い祭祀における霊座か御神体石だったのではないか」と伝わります。

和多都美神社は海彦山彦の神話の地と云われます。

御祭神は「彦火々出見尊」と「豊玉姫命」ですが彦火々出見尊とは山幸彦のことです。

龍宮の王、「豊玉彦」には子に一男二女の神がありました。
男神は穂高見尊、二女神は豊玉姫命・玉依姫命といいます。

ある時、彦火々出見尊は失った釣り針を探して龍宮にやってきます。
そして豊玉姫と出会い、恋に落ちます。

二人が出会う場所が「玉の井」として境内から少し離れた場所にありました。

井戸の水は汲むことができるみたいです。

飲むことはできなさそう。

さて、拝殿横の松の木がすごいことになってます。

拝殿に沿って這うように伸びた幹というか根というか。

まさに蛇か龍の化身のようです。

本殿の脇にはこれまた三柱鳥居があり、「亀石」がありました。

本殿と

小さな祠などがあります。

本殿の反対側にはゆったりと川が流れています。

そして和多都美神社の奥に神聖な場所があります。

そこにあるのは、

「豊玉姫の墓」と言われる磐座です。

ここが和多都美神社の心臓だと思いました。

豊玉姫は物部イニエ王の意志を継ぎ、畿内へ東征する最中、広島の厳島(宮島)で亡くなります。
遺体は豊王国へ運ばれ、宇佐神宮がある場所に埋葬されたとありますので、ここが本来の墓ではないと思われます。
しかし分霊したのか、確かにここには、敬虔さを促す何かを感じました。

さて、潮が引くと鳥居はこんな感じです。

海に浸かる鳥居も良いですが、

これはこれで侘びて良いです。

ここが龍宮というのもうなずけます。