御蔭神社(賀茂御祖神社摂社)

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比叡山の麓に「御蔭神社」(みかげじんじゃ)という社があるというのを、下鴨神社の案内図を見て知りました。
そこは下鴨神社の境外摂社になるのですが、何気に気になった僕は、行ってみることにしました。

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御蔭神社のある山は「御生山」(みあれやま)といい、「御蔭山」とも呼ばれています。

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御生山は比叡山の南山麓の八瀬にあって「東山三十六峰」の第一番「比叡山」に次いで第二番目の山になります。

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御蔭山は下鴨神社の神体山とされています。
この地は、賀茂の大神が降臨した場所と云われ、玉依姫命が賀茂別雷命を産んだことから、御生山(みあれ / みしょう)と呼ばれたとも云います。
御生(みあ)れしたばかりの神霊を「荒御魂」と云って、下鴨神社の祭神の荒御魂を祝祀する場所なのです。

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過去には「御生」のほか「御荒」「御顕」「産霊」の字も当てられたそうですが、「太陽がただ射すところ」から御蔭山と呼ばれ、御蔭神社の由来になったと言い伝えられています。

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また、この山は上賀茂・下鴨神社の神紋でもあり、葵祭に欠かせない「二葉葵」が自生していたそうで、「二葉山」とも呼ばれたそうです。

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さて、山道を10分ほど歩くと、唐突に朱色の鳥居がありました。

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神社の紀元は不明ですが、この地は、古代から山背族の聖地だったようで、天武天皇6年(677年)に山背國司が造営したと伝えられる賀茂神宮は当神社ではないかと云われていて、付近には数々の遺跡も存在しているそうです。
以前は現在の本殿の北東の麓、高野川沿いに鎮座していたそうですが、地震や洪水に遭って社殿が埋没したため現在の地に遷座したと云うことです。

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立派な石垣と、社殿が見えてきました。

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入り口には手水鉢のような石塔があります。

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そして、そこだけが天界であるかのような、目にも鮮やかな朱の玉垣に覆われた社があります。
すばらしく美しい調和の世界です。

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御蔭神社は「賀茂祭」(葵祭)の重要な神社でもあります。
「賀茂祭」に先だって、五月十二日に、御影神社から神霊を本宮の「賀茂御祖神社」(下鴨神社)へ迎える神事が行われます。
これを今は「御蔭祭」(みかげまつり)と呼びますが、かつては「御生神事」(みあれしんじ)と呼ばれていました。

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本殿は下鴨神社と同じ、東殿に「玉依姫命」、西殿に「賀茂建角身命」を祀りますが、その本体は「荒御魂」(あらみたま)であると云います。

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「御蔭祭」(御生神事)の起源はとても古く、平安遷都以前からこの地に住んでいた鴨氏族の信仰形態を伝える祭祀と伝わります。

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御蔭祭当日、本宮の下鴨神社では、「樹下神事」(じゅげしんじ)が行われ、行列を整えて多くの供奉者が葵桂をかざしながら本宮を進発します。
行粧が御蔭神社に到着すると、御神霊は榊の御生木に宿り、神霊を「神霊櫃」(しんれいびつ)という小箱に移す「御蔭山之儀」を行い、再び本宮を目指します。

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本宮にたどり着いた神霊は、河合神社で神馬に遷され、下鴨神社の参道で切芝神事が行なわれます。
これは重要な祭礼であり、本殿の御神体に神威を込めるための祭儀と云います。
荒御魂は、御生れとなり、下鴨神社の和魂と合体して再生するのです。

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500年代半ば、凶作で飢餓疫病が蔓延したために「鴨の神」の祭礼を行いましたが、これが葵祭と一体化して、平安時代には葵祭の神事の一つとなっていったようです。

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神が生まれるに相応しい、そんな聖地がここにありました。

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4件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    【 和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま) 】 の[荒魂]と[和魂]の融合の[御陰祭]を経て[葵祭]へ。
     大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】からの自然数のシンタックスとセマンテックスを十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号などをウマクウマク纏め上げている数の言葉ヒフミヨ(1234)の世界は、
    【 式に、数式の数式たる、魂が宿り、数式が光ると思えたのである。 】 との記事から、
     [荒魂]と[和魂]の融合が、数の[1]の存在量化であるとのコト。
     この物語の淵源は、絵本の力で・・・
     もろはのつるぎ (有田川町電子図書館)

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  2. 摂津御島 のアバター 摂津御島 より:

    いつも楽しく拝見しております。先日御影の祭りを見て参りました。行列も八咫烏の容姿かなと思われる鬘をつけておられる方も多数おられました。また、行列の御旅所に加茂波爾神社があり、行列がついた後、神楽殿で舞楽を舞われます。舞っている最中に登場したのが、トグロを巻いた白蛇でした。それを持って演舞されます。その方が女性であったように思われます。歴史的にそうなのか、今回だけなのかは聞けなかったのですが、また、下賀茂神社社務所前には埴輪が出迎えていました。土師氏など私は思いながら、富家伝承の繋がりを感じていました。なお、三島鴨神社では昨年より秋祭りに高張提灯の宮入を再開しており、昨年見て参りました。溝杭社から鴨社へ姫嫁入り(婿入り?通い夫?)のような高張提灯が鳥居をくぐる瞬間は、おもわず、誤った古事記の一文を想像してしまいましたが、三島家と出雲家が互いにリスペクトしている祭りだと確信しました。本日15日は葵祭りがあり見学に行こうと思っております。どのような、祭りなのか、伝承を思いながら、見させていただこうかと考えております。五条様の方も今後もお体に障ることなく、活動の方続けてください。今後も楽しみに拝見させていただきます。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      摂津御島さん、『偲フ花』へご来訪とコメント、ありがとうございます😊

      詳細な祭りの様子に、情景が思い浮かび、とても興味が湧きました。白蛇の舞、見てみたいです。ぜひいつか、御蔭祭りに参加したいものです。
      葵祭もさぞ優美なものだったのでしょうね。

      三島鴨神社の高張提灯も気になっておりました。昨年、宮司さんとお話をさせていただきましたが、とても有意義な時間でした。また訪ねたいと思います。
      もうすぐ率川神社の三枝祭もありますね。行けそうだったら見てみようかと考えているところです。

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