黄泉比良坂 / 揖夜神社:八雲ニ散ル花 10

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黄泉の國の醜女達に追われ
ここに逃れてきたイザナギ命は
桃の実を投げつけ退散させた
最後にイザナミ命自ら追いきたり
大岩をもちて塞ぎ
生の國と死の國の境となせり
千引の大岩なり
これより西二百米に道祖神あり
追谷坂と呼ぶ急坂を下れば
揖屋村谷に通ず
又東四百米に峠あり
夜見路超えとて
中意東馬場に通ずる古道あり
ここの神を
塞坐黄泉戸大神なり

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出雲の外れに、大和朝廷から恐れられたという神社があります。
「揖夜神社」(いやじんじゃ)です。

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参道入口には、珍しい形の石灯籠が立っています。

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玄武のような亀の像です。

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境内には、涙のような、冷たい雨が降っていました。

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当社は玉垣の内側に入ることができます。
そこには3つの社が並んでいました。

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中央の本殿には主祭神の「伊弉冉命」(イザナミノミコト)が祀られています。

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本殿左側には「韓国伊太氐神社」(カラクニイタテ)があり、祭神は素盞嗚命、五十猛命とされています。

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本殿右側には、「三穂津姫神社」があり祭神は美保神社の祭神でもある「三穂津姫命」です。

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祭神として名に上がってませんが、ここの主祭神は「三嶋溝杭姫命」(ミシマミゾクイヒメノミコト)ではないかと思っています。
溝杭姫を後にイザナミに変えたのではないだろうかと。

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東出雲には、えびす神(事代主)と溝杭姫の次のような伝承が伝わっています。

えびす神は、中海を渡り美保の対岸にある東出雲町揖屋の「三嶋溝杭姫命」のもとに夜な夜な通われ、明け方になると美保の社にお帰りになっていました。
ところがある夜、一番鶏が時刻を間違えて、まだ夜も明けないうちに刻の声をあげてしまいます。
えびす神は急いで帰路についたところ、あわてられたせいか途中で船を漕ぐための櫂(かい)を海中に落とされ、仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ不具になられました。
やっとの思いで美保に帰り着いたえびす神の耳に、今度は正確な刻の声が聞こえました。
怒ったえびす神はそれ以来ニワトリを忌むべきものとされました。

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実際に里の人は江戸時代まで、鶏肉、鶏卵を食べず、鶏を飼うこともご法度としました。
また参拝者にもこれを勧めたと云います。
えびす神が、右手に釣りざお、左手に鯛を持ちながら片足を曲げておられるのは、この時傷を負ったからだそうです。

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事代主の通っていた相手「三嶋溝杭姫命」は「活玉依姫」(いくたまよりひめ)とも呼ばれ、事代主との間に「蹈鞴五十鈴姫」(たたらいすずひめ)、「五十鈴依姫」(いすずよりひめ)、「天日方奇日方」(あめのひかたくしひかた)の2女1男を儲けます。
これらの子らは、事代主殺害を知ると、渡来人との共生を嫌い、大和葛城方面へ移住します。
後に葛城へは、徐福の孫「天村雲」(アメノムラクモ)王も移住して来て大和王朝を築き上げますが、その初代大王と2代大王に蹈鞴五十鈴姫、五十鈴依姫と相次いで嫁ぎ、大和王朝は次第に出雲王家の血が濃くなり、磯城大和王朝と呼ばれるようになります。
長男の天日方奇日方は「登美家」(トビケ・富家)または「磯城家」(シキケ)と呼ばれ、奈良の地に新たな出雲王家の繁栄をもたらします。

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先のえびす神の伝承ですが、三嶋家溝杭姫の屋敷があったのが揖夜神社だったのではないでしょうか。
本殿の大社造は神魂神社などと同じく、古代の屋敷の形を残していると云います。
そして足を噛まれたえびす神とは、孤島の洞窟に幽閉された事代主を示しているのでしょう。

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大和朝廷が当社を恐れたのは、大和朝廷とその豪族たちほとんどの祖先となる秦国の渡来人が、出雲王朝の大国主と事代主を殺害したので、そのたたりを恐れたからだと云います。

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揖夜神社に漂う空気には、偉大な王と副王を同時に失った、その悲しみと恐れが複雑に絡み合っているように感じました。

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境内の隅に、隠されたように稲荷社がありました。

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ここはとてもヤバい感じがしました。
写真を撮ろうとすると、焦点がスッと横に流されるのです。
それも何度も。
めちゃ不気味です。

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「日本書紀」斉明五年(659)の条に、
「是歳、出雲国造に命せて厳しの神の宮を修らしむ。狐、於友郡の役丁の執れる葛の末を噛い断ちて去ぬ。又、狗、死人の手臂を言屋社に噛い置けり。言屋、此をば伊浮瑯という(天子の崩りまさむ兆しなり)。」とあります。
ここに出てくる言屋社は伊浮瑯(いふや)であると言っており、この揖夜神社のことであろうと思われます。
社に仕える巫人が手にした葛のはしを狐がかみちぎって去り、犬が死人の腕をくわえて神社の前に置いたことを、同社の巫人が天子の崩御する凶兆として筑紫の行宮に早馬を走らせたと記してあります。

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言屋社が死に縁付けられた所以は明確ではありませんが、揖夜神社からほど近いところに、古事記が伝える黄泉の入口「黄泉比良坂・伊賦夜坂」があり、揖夜神社は死後の世界である「黄泉の国」と深い関わりがあると言い伝えられて来ました。

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本殿と対面する場所に、恵比寿社などの摂社・末社が祀られていますが、

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そこには藁で編まれた巨大な龍神が祀られています。

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古代出雲では塞の神として「クナト大神」を主神としていましたが、また同時に龍神信仰も持っていました。

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出雲族は龍を藁で作り、それを木に巻きつけて祭祀してきたそうです。

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この龍が巻きつけられた木は御神木として「斎の木」(さいのき)と呼ばれています。

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『故に、其の謂はゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)と謂ふ』

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古事記によると、この世とあの世の境目を「黄泉比良坂」といい、出雲の国の「伊賦夜坂」と呼ばれています。

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「揖夜神社」から少し離れたところに「黄泉比良坂」は実在します。

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そこには現世と死後の二つの世界を隔てる「千引の岩」(ちびきのいわ)があります。

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揖夜神社の主祭神「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)は大いなる母神と記され、火の神「カグツチ」を産んだことにより死に至った女神と伝わります。

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イザナミはは黄泉の世界を統べる母神となりましたが、その黄泉の国をイザナギが封印したのが千引の岩と云われます。

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事代主殺害の衝撃が出雲を黄泉の入り口と呼ばせ、さらに古事記の創出でイザナミ・イザナギの伝承に置き換えられたのではないでしょうか。

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古代出雲では王族の死後は風葬されたと云います。
朱を流し込み防腐処理をされた遺体は、藤と竹で編んだ篭に、膝を曲げた状態で死体を収め、高い山の常緑樹に吊されました。

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三年間が過ぎるとこれを降ろして洗骨し、山の大きな岩の近くに埋められます。
死体を吊るした木が「神籬」(ひもろぎ)として御神木となり、山や岩が祖霊の座す「磐座」(いわくら)となったのです。

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この千引の岩はどう見ても磐座です。

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事代主は出雲熊野山の磐座に葬られましたが、例のえびす神の伝承を踏まえてみると、事代主の死後、遺体の一部をここに埋め、三嶋家の聖地と崇めたのではないでしょうか。

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神話は創作であったとしても、確かにここには、異界に通じる気配が漂っています。

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最近になって手紙ボックスが設けられていました。

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天国というより、鬼太郎に届きそうなボックスです。

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「黄泉比良坂」の横に池があり、そこに「伊賦夜坂」もありました。

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何てことはない林道ですが、とても幽玄です。

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300mも歩くと、民家に出てしまいました。

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が、一人で歩くのは勇気がいります。

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どこからともなく、何かが動くような音が聴こえてきます。

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この林道はかつて、あの世へと通じる磐座へ、参拝するための道だったのかもしれません。

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22件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    五条さんこんばんは☺ 揖夜神社の穂掛祭にこないだ行ってまいりました。一ツ石神事が目当てでしたが、波がこの日は高くてあいにく船が来ませんでした。6人くらいの方、カメラマンの方々が待機しておられ私も首を長くして待っておりましたが。。。5時半には船が通常なら来るところ、来られなかったので皆がやっぱり波が高かったねーとションボリしましたけど、それはそれで、波打つ風情ある一ツ石がまた見れたのでよしとします。神社前の屋台も花火も賑やかでよかったてす。

    。ところで。。。話はかわりますか、私が揖夜神社の不思議と呼んでいる解けない謎(笑)があります。境内にある、二つの恵比寿社の右側の方。その奥には荒神さん(藁蛇)があり、その手前の左の祠には経津主神の御札があり、右側の祠の方には以前は、建御名方神の御札が確かにあったのですが、いまはなくなっているのです。とてもとても不思議です。一体どうしてなくなったのか。。経津主神のほうが残ってて建御名方神の方がなくなっているのが、かなり悲しいです(T_T)

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      こんにちは😊
      一ツ石神事は揖夜神社の祭りの一部になるのですね。
      ぜひいつか、参加したいものです。

      札はなんででしょうね。宮司さんに聞いてみるしか。

      いいね

  2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

    カフェやグルメ情報はありがたいですね😋

    稲荷はよく分からない部分もあり、大元出版情報では物部寄りな印象を受けます。
    しかし最近は、いわば越智が絡んでいるような気がしています。
    でもよく分からんですね🤔

    オカルトというものは、霊的現象というより、自然現象であるか、または単なる思い過ごしかもしれません😌

    いいね: 1人

    1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

      出雲大社の歩き方さんのブログでやっと見つけることができました。ちょっと参照させて頂きますね。

      https://izumo-enmusubi.com/entry/iya-jinjya/

      この記事の下のほうに、「右側には建御名方神」と書かれていました。どうやら私の記憶違いではなかったようです(^_^;) 

      いまは、左側の経津主神のみで建御名方神の方はただの木札になっています。ひよっとしたら木札が裏返ってしまってるのかもしれないと、ふと今思いました。また確かめに行って参ります。

      前回、社務所におられた方に伺ったところ、荒神さんとこは別団体が管理しとるけえわからんなあと言われてしまいました。

      次回、木札が裏返ってるだけなのか確認に行って、そうならば一言お断りしてから裏返すか、裏返ってるのではなくてホントに無くなってるのだとしたら、ここはちよっとちゃんと宮司さんにお会いしてお尋ねしたいところです。いつもお会いできなくて(T_T)

      しかしどう考えても、この現代において、建御名方神の方だけ名前を消すような深い意味はないと思われます。

      すみません、コメント返ししようのない、仕様がないことをとりとめもなく書いてしまいましたm(__)m

      これで風が吹いちゃって落ちたところを、拾った方が裏返してしまってそのまんま、的なオチだったら、この私の一年越しのモンモンは一体(笑)

      いいね: 1人

      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        ぜひ結果を教えてください。

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  3. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    あ〜(-_-;)今年は日曜日に当たっちゃいましたか。。う〜む残念です(T_T) 

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      いや、僕の勘違いで、今年は水曜日ですね。
      どのみち行けませんが😅

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  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    五条さんこんにちは。

    私が一番好きなお社、一ツ石幸神祭8月28日が近づいて参りました。

    夕方17時30分に、神社を出発したお神輿が近くの弁天灘で御座船(神船)に移られ、一ツ石と呼ばれる場所に到着します。ここが波打ち際で夕焼け映え素敵。昼間も明け方もほんとに素敵。

    この一ツ石に稲穂と甘酒を捧げ、豊作豊漁記念の神事が行われます。その後、御座船は西揖屋へ移動し、陸船である神幸丸に乗り換え。神社までの1km、神幸丸が担がれ進む祭りが夜にあります。

    揖夜神社の御祭神に、神様が逢いに来るという伝承

    もちろんそれは、三嶋溝杭の娘である玉櫛姫に八重波津身さまが会いにくるんですよねえ。。美保から。

    絶対にこれは実話であり、その舞台はここであると、私は一ツ石を見た瞬間に感じましたよ。間違いないと。小さな一ツ石と、しめ縄。草ボーボーの陸から見下ろし袖師ケ浦の波が打ち寄せなんともいえません。

    袖師ケ浦の名前は駿河、静岡にありますが、ここが由来でしょう。数ある和歌に袖師ケ浦が謳われていますが、宍道湖の袖師ケ浦とともに、ここのことも謳われているのではないかと思われます。

    今年は初めて行こうかなと思っています。五条さんは、最近こちら方面への旅路はなさげですが。。なかなかオススメではありますよ。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      一ツ石は是非見てみたいと思っています。
      ただ、日曜日の祭りは、当分観ることが出来ないんですよね😌

      いいね

  5. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    あ。肝心なことを追記するのを忘れてました。

    一ツ石は場所がわかりにくいです。というか見えにくいです。とりあえず、Googleナビ先生が、目的地などどこにも見えないのに、「目的地附近です」「目的地に着きました」と、何度も言うのを無視しました(笑)

    そして、その辺りをウロウロしていると、2つ会社があるのですが、恐らく駐車場に停めてもいいとおっしゃるはずです。昼休憩前後になると作業服姿のものづくり、電気工事系の中堅おじさま社員や、制服姿の女性社員が出てこられます。

    一ツ石の真正面は、それを見るために整備されていない、何の変哲もない草だらけのとこ。会社の裏手にまわり、雑草と大根の花がこんもりしてる中を掻き分けて入ると、突然それが眼の前にあります。あら、こんなとこに♥という感じ

    8月28日の一ツ石神幸祭以外の日にこれを目当てに来られる方はいないし、なんかウロウロしてて会社の方に怪しまれたくないから、私は物好きな観光客のふりをしました(笑)

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      詳細な情報、ありがとうございます。
      くれぐれも通報されないよう、怪しげな行動は謹んで参ります😅

      いいね

  6. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    久しぶりに揖夜神社と黄泉平坂のセットで再訪しました。

    ここは神話的に幽玄かつ、怖いという方が多いかもですが、

    わたしは、地元山陰で回ったお社の中でも、ここが一番ホッと落ち着くというか、

    ここで1時間くらいボーっとしてしまいます。氣のエネルギーみたいなものがなんか合うなあと

    行く度に思います。

     ところで五条さんは、ここから一直線にある、中海の波打ち際の「一ツ石」の神蹟にお社とセットで

    行かれていますか。(おそらく行かれてますね)

    毎年ご神事がある場所ですが、ここであの海の中にある古代の小さな鳥居と、シンプルな一ツ石を見る

    度に、そこは八重波津身さまが、美保神社から三島溝杭姫こと玉櫛姫に会いに船でやってきた

    船着き場であるような気がしてなりません。(ここから意宇川(王川ですね)に入るスポットかも)

    だから揖夜神社が古来大事にしているご神域なのでしょう。伝承は調べていませんが、そんな気がしてなりません。

    神魂神社の横の出雲大神宮の磐座や出雲井社も三歳社も、ものすごい神聖な空気を感じますが、この

    一ツ石も、すごい場所。。なのに、地元民はほとんど知りません。駐車場もなく、会社の駐車場を借りて

    車を停めています。近くにある会社の女子社員が優しくて、初めて行ったときには停めていいですよ、場所連れていってあげますよと、連れていってくださいました。雑草をかきわけていくとひっそり見えますよね。波打ち際に

    あって、その上を飛行機が飛ぶのも見えたりして、「事代主さん、ワニに足をかまれてまでも彼女に会いたかった

    のね、今は車や飛行機なんてものがあるの、生きておられたらびっくらするやろね」なんて話しかけたりしてます。

    一ツ石の前で、ブツブツいってる変なおばさんです。

    一ツ石⇒揖夜神社⇒黄泉平坂⇒出雲大神宮の拝み墓 このコースがお気に入りです。

    ところで、イフヤサカ=言社=イフヤで、事代主っぽいですよね。一言主みたいな。

    あと、この神社の横の表の由緒書きに「伽耶」のことが書いてあり、すごいなあ出雲っていっつも思います。

    最近は奈良や滋賀や京都、兵庫のお社をめぐっていますが、感動しつつわかったことがあります。

    自分の氣に合う、行くだけで身体の内側の細胞が喜んでる~と思うお社があるなあ。反対に、「ここはやばい、

    なんかやばい・」というところ。前者は、揖夜神社、来待の菅原天満宮(生誕地)と野見宿祢のお墓。奈良の

    十二柱神社、だいたい野見太田彦、菅原道真系と所縁があるご神域は、ものすごく心地よく感じます。

    後者は理由もなにもありません。命主社の裏の眞名井遺跡、こないだ行った若桜神社の高屋安部神社、

    葛城にある長柄神社です。姫の宮ともいわれて下照姫(高照姫かもしれない)の長柄神社、大彦ゆかりの

    高屋安部神社で、ひやっとするなんてちょっと悲しかったです。祭られている神様は好きなのに。

    まあ、よくわかりません。わたしには、霊感もなければオカルトも信じる気持ちは一粒だにないのに。。不思議ですね。五条さんはこういった

    肌で感じる感覚はありますでしょうか。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      出芽のSUETSUGUさん、こんにちは😊

      「一ツ石」の事は知りませんでした。僕も未だ知らないことで溢れております。
      確かに王川に繋がっていたであろう、水路のようなものの角にありますね。
      今度こっそり訪ねてみます。貴重な情報、ありがとうございます。

      イフヤサカ=言社という発想も斬新かつ的を得ていますね。さすがです。
      今度出芽のSUETSUGUさんの考察を踏まえて、一ツ石⇒揖夜神社⇒黄泉平坂⇒出雲大神宮の拝み墓のコースを辿ってみます。

      自分に合う場所、合わない場所というのはあります。日によっても、時間によってもそれは変わったりします。
      またそれとは別に、畏れ多い場所というのもがあります。全身の毛穴が開くような、感じの場所です。
      先祖神はさておき、古来の日本の神というのは、”決して見てはならぬもの”そんな存在なのだと思います。そういった神の氣配の強い場所は、足がすくみます。命が在るだけで、幸いなのです。
      なので、容易に神を見ただとか、声を聞いただとか話されるものは、あまり信じていません。それはたぶん、僕が思っている神とは、違うものなのでしょうから。

      いいね

      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        出雲風土記に、伊賦夜坂はもともとは言屋社(いふや)とも呼ばれていた、と書いてあり、それがイヤ=揖屋になったとありました。それを見て、あっ事代主が「言ふ社」だと感じました☺

        こないだ社務所におられたおじいさんは御朱印とかも書いておられましたが、宮司さんではなさげでした。話しかけたらなにやらファイルを持ってきて下さり、突然、事代主のワニに足かまれて〜の物語の絵を見せて下さいました。大阪の恵比寿さんを祀る神社の人は、事代主さんは立っとる、足は怪我してないと言い張るんだわ、こっち出雲では怪我の後遺症でいつも座って怪我しとるほうの足を曲げとるんだと言っても、そんなん嘘や立っとるでと言い返されるとちよっと不満気でした。

        そんなおじいさんをよそに、私の目が釘付けになったのは、ワニに足を噛まれてる絵のほうではなくて、その横に挟んであったA4の紙に書かれていた文字、「事代主は三島溝杭姫に会いに。。」と書かれていたもの。

        なので、神社関係者も、ここに祀られているのは三穂津姫命ではなくて、玉櫛姫だとわかっておられるのかなと思いました。

        ところでまたこちらに再訪される際には、東出雲王家墓所に行かれる前に、

        「東岩坂珈琲」というカフェに是非お立ち寄り下さい。ランチやサンドイッチプレートがとても美味しいのです。

        サンドも5種類から選べます。ほして何よりもオーガニック珈琲が美味しいのなんのって。私はそこで豆をひいてもらって買って帰ります。販売してます。手作りケーキ模どれも美味しいです。

        波打ち際の一ツ石でボーッ→揖夜神社でボーッ→黄泉平坂、東屋の引き出しの中のパンフレット見てボーッ(東出雲の歩きマップ、あれ好き)→東岩坂珈琲でランチ☺→東出雲王家で歴代王にご挨拶、新緑を見上げてボーッ

        これで5時間。どんだけボーッとしてるんだ、という感じですが、オススメいたします。

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          ぜひぜひ、東岩坂珈琲さんにも立ち寄らせていただきます。コーヒー大好きなもので。
          次回、出雲でゆっくり時間が取れそうなのは秋ごろとなりそうです。少し先ですが、出雲旅が楽しみになってきました♪

          いいね

          1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

            是非ぜひ☺

            紅葉シーズンは出雲は鰐淵寺も綺麗ですね🍁

            東岩坂珈琲の珈琲は美味、毎日飲めます。あとは、松江のこちらの珈琲もオススメです。珈琲はフルーツなりをコンセプトにイートインもてきます。器も素敵。フルーツパウンドも良いです。こちらも珈琲買えます。味のレベル、好みにより選べるシステム。モーニングもやってます。(カフェの回し者ではありません(笑))

            https://cafe-libre.net/

            また、宍道町、来待方面に寄られることありましたら、湖畔を見ながらの珈琲喫茶、「梢庵」を激推しいたします。ランチ。モーニング全て美味しい、器も買える、景色よし。珈琲は人によるかもしれません。

            珈琲は私も好きです。きっと血液の一部(笑)

            五条さんのブログを読まれてる方々にも、松江出雲は水が美味しいからとにかく珈琲が最高で、こだわりの焙煎をされてるこれらのカフェに是非ともお社巡りの合間に行ってくださったら山陰のよき思い出になるかと☺

            お社的には、宍道町方面でしたら、

            あれ?石宮神社、石野宮神社どちらだったか。。どっちかは五条さんがこちらに載せておられました。(猪を大国主大神さまが追いかけて、狗さまとともに。猪も狗も石に変わりそれで御神体が狗様のお社)

            そっちの有名なほうの神社ではなくて、もう一つの石宮神社(石野宮神社?)があります。ひょっとして行かれてるかもですが。。

            驚くことに崖のようなところに拝殿があり、一歩下がれば落下ですわ(^_^;) その裏に所狭しと苔むした巨石があり、大国主大神さまが腰掛けて休憩されたとの伝承があります。

            ここもなんともいえず素晴らしい雰囲気があり、お気に入りです。狛犬の前に恐らく昔は拝殿があったのではないかという、広さがあります。木漏れ日が指して新緑が綺麗です。晴れ☀のときが最高です。

            長々とまた失礼しました

            m(_ _)m 

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          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            石野宮神社ですかね、写真で確認したところ、磐座の前に無理やり拝殿を建てた感じですね。
            これは写真のテクニックを試されそうです😅
            カフェ情報もありがとうございます。
            島根がカフェの聖地だとは知りませんでした。教えていただいたところは全て、僕のマイマップにマーキングさせていただきます😊
            秋の出雲旅が、楽しみになってきました♪

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  7. れんげ のアバター れんげ より:

    揖屋神社はJR揖屋駅から徒歩圏内のため訪問しましたが、少し離れた黄泉比良坂は行けていません。怖いイメージが植え付けられているのでビビってもおりましたが、夏の晴れた日の揖屋神社は清々しく、ほっとしました。しかし、雨だと雰囲気ありますね。
    主祭神は三嶋溝杭姫ではないかとの考察、なるほどと思いました。
    たぬきさんのコメントも、また納得です。
    えびす神と鶏のエピソード、先月テレビ番組「ナニコレ珍百景」で、「美保神社の氏子の男性で、くじで決まった人は一年(四年の人もいる)鶏肉・鶏卵を食べない」というのが紹介され、珍百景に登録されていました。えびす様がお姫様のところを訪問した時に云々…と紹介され、沼川姫や三嶋溝杭姫の名前はさすがに出てきませんでしたが、でも、今もこの話がきちんと残り、氏子さんがしっかりこれを守っているのが嬉しかったです。なお、その間は代わりにウズラの卵を食べているそうです。
    稲荷社、怖いですね。私は見たっけ? と自分の写真を見返しましたが、少なくとも写真には残していませんでした。私はスルーしたようです。

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    1. 五条 桐彦 のアバター CHIRICO より:

      揖屋神社も黄泉比良坂も、溝杭姫やその一族の深い悲しみが残されているようで、それが黄泉の入り口のように伝えられてきたのでしょうね。
      稲荷社の起源は物部族にあるようです。
      稲荷社だけが、あの場所では異質に思えました。

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  8. たぬき のアバター たぬき より:

    揖夜(イヤ)は、熊野(イヤ)の文字を転嫁したものでしょう。
    熊野は熊野大社に由来して?、主宰は旧王宮(神魂神社)を物部勢に明け渡した旧出雲王家の富家が当地に遷って、旧来の出雲族の祭祀を行った場所で有ったらしい。
    当然ながら(熊野大社に)旧王家が祀る神さまは 出雲の大御祖神の幸之神三柱。並びに龍蛇神。となり、

    揖夜(イヤ≒熊野)神社もそれに倣ったと考えられます?

    あと、ヱビス神さまのあのお姿にはヱビス顔(幸福)になる為の深い示唆が込められています。

    先ず、釣竿等の道具類には古代、釣竿や釣針、釣糸等は大変貴重なモノ。(海幸彦、山幸彦の神話を思いだしてください)
    転じて、十分な準備と投資を示唆しています。

    また、鯛(成功、幸福の象徴)を釣る(得る)ことは現代に於いてもベテラン漁師と言えど
    大変な忍耐力と洞察力、経験が必要で簡単に獲がたいモノ
    ≒成功、富貴、幸福
    それに当たるに就いてはどっしり腰を据えて辛抱強さや忍耐強さが必要。

    その結果(成果)がヱビス顔であり小脇に抱えた大鯛。
    とか?

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    1. 五条 桐彦 のアバター CHIRICO より:

      なるほど、揖夜と熊野が結び付くとは思いませんでした、納得です。
      まだまだ、富家の話には、僕の知らない情報が多くあるようですね。
      先日、福岡で有名な十日えびすの祭りに行ってきましたが、小店の経営者でもある僕はずいぶん励まされたものです。
      僕もヱビス顔になれるよう、どっしり腰を据えて頑張らないとですね!

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      1. 不明 のアバター narisawa110 より:

        熊野=イヤ(iPadでもイヤで熊野に変換できるんですね)で調べて見ました。
        https://ja.wikipedia.org/wiki/熊野_(曖昧さ回避)

        下の方に、奥深い谷を意味するともありますので、まさに奥出雲に逃げ込んだ王家の熊野神社のようです。
        子孫の言い伝えの残り方を示すかのような語源があるのですね。

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