奈良県御所市東持田に、背後の御歳山を御神体とする「葛木御歳神社」(かつらぎみとしじんじゃ / かつらぎみとせじんじゃ)が鎮座します。
全国にある御歳神社・大歳神社の総本社を称し、高鴨神社(高鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)に対して「中鴨社」と呼ばれています。
富家の伝承によると当社もまた、出雲の「アジスキタカヒコ」の息子、西出雲王家「神門臣家」(カンドノオミケ)の「多岐津彦」が建てた神社であると云います。
拝殿まで足を運ぶと、山の気がどっしりと覆いかぶさってくるような、そんな気配を感じました。
主祭神は「御歳神」(ミトシノカミ、三歳神 / 御年神)、相殿神に「大年神」(オオトシノカミ)「高照姫命」(タカテルヒメノミコト)を祀るとあります。
「古事記」によると御歳神は「スサノオ」の孫にあたり、大年神(スサノオの子)と香用比売(カヨヒメ)の間に生まれたと記しています。
「古語拾遺」では御歳神の祟りで苗が枯れたので白馬・白猪・白鶏を献じるようになったという説話が見えるほか、「日本三代実録」には、三歳神には古くから神主が無かったため新たにこれを置いたが、祟りがあったため停止したとあります。
しかし祭神の真の姿は、御歳神は豊年の神であり、大年神は正月祭の神であるということです。
高照姫は多岐津彦にとっては叔母にあたる人でした。
高照姫は海家の祖「徐福」に嫁いだ八千戈王の娘でしたので、母の「御梶姫」でなく敢えて彼女を祀ったのは、海家に配慮してのことかもしれません。
神社の形式はやや独特で、元は本殿などなく、神の宿る神奈美「御歳山」を直接拝したのではないかと思われます。
本殿のある位置に自然石の磐座をたて、神を迎えてお祭りするという古式の形式だったようです。
現在の本殿は、江戸期に春日大社の本殿第一殿を移築したものと伝わります。
摂社は「味鋤高彦根命神社」の他に、「事代主神社」「天稚彦神社」「稚日女神社」「一言主神社」が並んで鎮座していました。
事代主と一言主は同じ人物です。
天稚彦(アメノワカヒコ)はアジスキタカヒコの異母妹「シタテル姫」の夫です。
稚日女(ワカヒルメ)は宇佐の豊王国の「豊玉姫」の娘「豊姫」(台与)のことです。
これら祭神を見ると、当社も複雑な経緯を経て来たことを窺わせます。
現在、私たちが正月に祭り親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神であると云われているそうです。
鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源だということです。
富士林先生の本からすると郷門家の幸の神信仰の一面が御年の講ということの様に思えます。
中鴨神社だけ、いつも気になっていて、本当に純粋な出雲系の神社だったのかと考えています。
御年神社は大家姫が持ってきたのでしょうか?
立場的に大家姫は御年教の後継者の様にも思えます。
しかし、大屋から離れている上、現在の大屋には御年の神はありません。
ただし、北側には珍しい祭神不明の神明神社+神明古墳があります。
さらに、御年神社の北東には秋津原という海童系を思わせる地籍があり、その北には笛吹神社があります。
女系と男系の両方を持ってきて神さまごと引っ越してきたのではないかと思うのです。
その後、御年神社(水戸?海童の水戸?)は独自色が仇となり単独で衰退した。そんな気がします。
話は変わりますが、現在の宮司さんは、独学で宮司になられ、神社入口向かって左のカフェをやられています。
神社復興の中興の祖の様な方です。
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そうですね、御歳神は大屋姫によるものかもしれません。しっくりきますね。
葛木御歳神社に参拝に訪れたのは夕刻でしたので少々気が引けましたが、カフェの方を訪ねて御朱印をいただきました。
女性の方が快く書いてくださったのを覚えています。もう少し早い時間でしたら、カフェにもお邪魔したかったです。
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葛城古道からは外れた場所にあるこの神社はなかなか訪れる機会がなかったのですが、鴨都波神社で会った老婦人から御所市のコミュニティバスの話を聞き、乗ってみたいと思ったことと、そのコミュニティバスでまあまあ近くまで運んでもらえそうなので、今年の2月後半、世間的にいよいよコロナがヤバいという空気になるギリギリで行ってきました。
コミュニティバスは老人福祉センターか「かもきみの湯」に行く高齢者の皆さんの送迎バスの如くで、お邪魔します…という感じでしたが、100円で葛城古道に沿う道からの絶景が見られ、とても良かったです。御所市に税金納めていないのにごめんなさい。
鴨都波神社で、「御歳神社の宮司さんは女性で、とても頑張っていらっしゃる」という話も耳にしていましたが、この記事の最初の写真にも看板が写っている「みとしの森」というカフェもどうやらその宮司さんがやっていられるようですね。立ち寄りたかったのですが、私にはコミュニティバスの時間があり、断念しました。次回はきっと!
それにしても、御歳神。お正月の神様で、日本人に最も馴染みがあって良さそうなのに、よくわかりません。御歳神・大年神・若年神と並べられると夫婦とその子、と言われているよう。無理矢理かもしれませんが歳はサイと読めるし、サイノカミを連想します。一方で鏡餅が依代、と言われると、稲魂神を連想します。高照姫と大年(五十猛)に象徴されるように、サイノカミと社稷神を融合させた神様なのでしょうか。
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『出雲王国とヤマト政権』に
『大屋姫は、イソタケにサイノカミ信仰を教えた。サイノカミは、「正月祭りの神。大年神」でもあったから、イソタケは「大年神」の信者になった。』
と書いてありますので、サイノカミ=御歳神・大年神・若年神とするなら、それはクナト神・幸姫・サルタ彦を示すのかもしれませんね。
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