蚊屋島神社:八雲ニ散ル花 29

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鳥取県西伯郡日吉津村にある「蚊屋島神社」(かやしまじんじゃ)は、斎木雲州氏によると、出雲9代大名持の「鳥鳴海」(トリナルミ)王が祀られた神社であると云うので、訪ねてみました。

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松林の風情ある参道を進むと、立派な社殿が建っていました。

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鳥鳴海王は亡くなられた後に、伯者国日吉津の蚊屋島神社に祀られたので「賀夜奈流美命」(カヤナルミノミコト)とも呼ばれたと云います。
その社には、事代主命や高照姫命・下照姫命も共に祀られたと伝わっています。

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早朝の冷たい手水の水が、清々しさを増していました。

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御由緒をみてみます。
祭神は「天照皇大神」「高比賣命」(タカヒメノミコト)
合殿「豊受姫命」「大年神」「天萬栲幡豊秋津姫命」「天手力雄命」「天若彦神」
合祀「級長津彦命」「月夜見命」「猿田彦大神」「神倭姫命」「天太玉命」「素盞鳴尊」「大己貴命」「事代主神」「金山彦神」

錚々たる神が名を連ねていますが、「賀夜奈流美命」「鳥鳴海命」の名はどこにも見えません。

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さらに由緒を調べてみると、蚊屋島神社の創建は不詳で、古くから蚊屋ノ庄の産土神として信仰されてきた神社だと云います。
室町時代には尼子氏に祭祀されていた神社のようですが、近隣の旧家では現在の祭神と昔の祭神は違うと言い伝えられており、平安時代中期に成立した「日本三代実録」に記載されている伯耆国正六位上「天照高日女神」とは当社の事で、何時の頃から間違って「天照大御神」が祭られるようになったとあります。

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「天照高日女神」とは「高比賣命」のことであると勧請合祀され、2柱が主祭神として祭られるようになったとも云われています。

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この「高比賣命」とは、大国主の娘であり火明・徐福に嫁いで海部家の祖母神となった「高照姫」のことであると思われます。

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また伝承では、高比賣命の夫神である「天稚彦」(アメノワカヒコ)が神の遣いである雉を弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で射ち殺し、その矢が天に届くと天稚彦に邪心があるとして、下界に打ち返され、その矢に天稚彦が射抜かれた死んだという神話から、蚊屋島神社の神官や社家は代々キジ肉を氏子は鹿の肉を食するのが禁じられていると云います。

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しかし天稚彦に嫁いだのは高照姫ではなく、異母妹の「下照姫」であって、この伝承も真実をどこまで伝えているのか不明です。

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蚊屋島神社に「賀夜奈流美命」の痕跡は残っているのか。
ネットをみていましたら富氏の伝承を詳しく伝えてある「蘇える出雲王朝」というブログで調べてありました。

http://yomiagaeru.exblog.jp/24979683/

『鳥取県神社誌』にかろうじでその名が見られるということです。

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また別の調べでは、「出雲国造神賀詞」(かんよごと)に、出雲から大和に遷宮された神々の名があるそうです。
そこに、「カヤナルミノ命の御魂を飛鳥の神奈備に鎮座させて」と述べられていると云います。
飛鳥の神奈備とは「飛鳥坐神社」のことで、それは蚊屋島神社の諸祭神を一緒に遷宮したことを表わすそうです。
鳥鳴海命も事代主命も一緒に祀られているということですが、飛鳥坐神社では今は事代主命を中心に祀られています。

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拝殿には、3匹の見事な龍の彫刻がありました。

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拝殿と向拝の上部に彫られた龍は、江戸中期松江藩の木工方「小林如泥」の晩年の作と伝えられているようです。

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記紀が制作された頃の権力者の間では、出雲王国の存在を隠したい思惑があったようです。
王国の話は、古事記ではおとぎ話のような神話に変えられ、日本書紀ではほとんど記されなくなりました。

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現在では出雲王国を思い起こさせる神々は「大国主」と「事代主(大物主)」くらいなものとなっていますが、彼らが亡くなった後、若き出雲の王子達は出雲と大和の次の時代を担ってきました。

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大国主の息子「アジスキタカヒコ」は西出雲の神門臣家を継ぎ、さらにその子「塩冶彦」と共に西王家を守り続けました。

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事代主には3人の后がおり、それぞれに若き猛る息子がいます。
沼川姫の息子「タケミナカタ」は東国へ渡り、諏訪王国を建国します。
玉櫛姫の息子「クシヒカタ」はアジスキタカヒコの息子「多岐津彦」と共に畿内の大和王朝の礎を築きます。
そして鳥耳姫の息子「鳥鳴海」は東出雲に残り、富王家を守り慕われ、息子の「国押富」に王位を譲ります。

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出雲王国は王・副王を同時に失うという危機に陥りながらも、それがきっかけとなって、力ある若手が羽ばたき、さらに出雲王国圏を広げる結果となったのです。

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穂日家の誤算は、これら若い才人を見くびっていたことにあります。
故にタケミナカタのように、記紀では故意に貶めるような神話を創作しなければならなかったのかもしれません。

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蚊屋島神社の裏参道には銀杏の葉が散りばめられていました。
それはあたかも、黄金の道のように見えていました。

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10件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    追記です。

    島根半島に能海、鳴海という地名はありません、野浪があります。野浪は前身として能海、鳴海からノナミになった可能性があります。

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  2. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    カヤとかナルミという名前から伽耶。下照姫やアカルヒメ、そのつながりで新羅。それから神功皇后。。その流れで豊玉姫、豊姫。時系列で枝分かれをちゃんと調べないとなかなか難しいですね。各地の神社を見れば、これらの姫君が祀られまくくりですよね。。

    いま系図から、始まりの宗像三女神、玉櫛姫(三島溝杭姫)、下照姫、高照姫。この姫君の出自のことをちゃんとわかってないとその後の互換性がわからず、いつも先に勧めてないと気づきました。豊彦の后の常世織姫、スセリヒメが気になれど、やっぱり始まりはどーなんだ?アタカタスは。。と、宗像三女神に戻る。。

    これまで読んできた書籍も、流れがどうしても各氏族の男性の御子中心に進んでて、ヤマトでも、姫巫女が当時は立場が上で重要な役割をマツリゴトで担っていた、というのが正直見えにくいんです。。そして、一番大事な時系列。これでは進んでるのか戻ってるのかわからなくなること、五条さんにはありませんか?

    きっとわざと時代に整合性が見えなくしてある。いろんな系図をニラメッコしてますが、どうやら、記紀や各地伝承、神社の由緒にある被るストーリーは、かなりの確率で同一人物、同一神、と、多くの人が書いてますけど私もそう思えてくる部分が出てきました。極論では、八重事代主は、その代から先の少名彦8代分も総称して、八重事代主として各地に祀った、なんて極論説。これにはさすがに頭が朦朧としてきましたが(笑 各地の神社の宮司さんとお話しする機会が増えて、なかなか神職に就いておられる方も、裏歴史を語れる時代になったんだなあと思いました。

    言い方は悪いのですが、この国は、昔から平和のために政略結婚の手段として嫁ぎ、時に争いに巻き込まれてしまった姫君たちのことは、歴史に残すことを避け、表に出さないようにしてる気さえします。例えば沼河比売やその娘の御穂須須美命などがわかりやすい例ですね。つまり見えにくい女神。また、歴史に残っていても後の采女など、古代中国大陸的な、中央朝廷に貢物にされた女性たちのことはマイナーな本にしかないので、県立図書館から取り寄せる始末です。

    話を戻します。このカヤシマ神社にも痕跡はあるようですが、任那、つまり伽耶、アラカヤが、インド、トラビタをルーツに持つ出雲族のアラハバキ信仰に絡んで、伯耆国エリア、鳥取県西部や安来市、出雲郷あたりの荒神さん信仰に変わっていったんじゃないかと思います。

    それから中国語を学ぶ上で昔から思ってたのですけど、普通語(いわゆる北京語)の発音には、小さい「ッ」は存在しません。ハッキリいって、漢字や文法以外で学ぶ上で、日本語話者にとっては北京語の発音は難関で違いが大きい。ところが広州や香港などの母国語、広東語にはたくさんあります。そもそも、日本のことを日本では、「ニッポン」とも言いますよね、広東語はこの漢字を「ヤップン」と発音します。

    私は語学は研究すれど、言語学には精通しておりませんので詳しいことはわかりません。しかし、日本語はどちらかというと北京語ではなく、中国南から朝鮮半島を経て(逆もありか)来てると思うのです。私自身、広東語から先に喋れるようになり、普通語には結構苦労しました。韓国語は恐らく日本人にとっては発音は簡単でしょう。古代は伽耶の人たちから、かなり日本語の日常会話に影響があったのではないかと考察します。

    私達日本人は渡来人を受け入れ融合していった(その逆もあるでしょう。)。その過程で争いもたくさんあったでしょうが、恩讐を乗り越えて融合していった歴史が確かにあります。そして互いに協調して未来を創るシンボルでもある美保神社の神殿ような器の大きい出雲族がたくさん子孫を残していますよね。

    たとえ損に見えても迫害されて逃げてきた人を保護する。しかもそれが、過去に自分の先祖を迫害した子孫であっても出自がどこであっても。丹波でいう豊姫の出来事もそうですけど、(ワナサ?)似たような痕跡を伽耶から逃げてこちらに移った人々と各地の地名にも感じました。

    言葉から来る関係や、もう少し、きちんと朝鮮半島のこと、高句麗、百済と新羅、そして任那、金官伽耶と呼ばれてた時代のことわかりたいですなあ。。山陰古代史との関係性を知る上で、歴史倶楽部や古代出雲文化センターの動画に頼る今日この頃、なんとも時間かかるなあ、て感じてす。

    今の五条さんのテーマとは、かな〜り反れてそうなので、このカヤシマ神社のことをアップされるくらいもう少し前の段階でこのブログのことを知ってたら良かったわと☺思いました。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      僕の今のテーマは、富家でも語られない母系つまり女神の系統の探究と言えます。なので、全く絡まないということでもないと思います。
      また、色々な方の考察が、突然繋がるということもありますので、古代史は面白いですよね😌

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      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        なるほどです。今気が付きましたが、私はこちらのブログで姫君の後追いを結構させて頂いてます☺ 神功皇后シリーズ、月読み豊姫さまシリーズとか。大和姫のことも、マルチタスクな姫巫女さんだったのかもと想像しました。また、姫君のその後や、時の権力者の政の都合上、消されたクシヒカタや大彦のこと。歴史の裏で、真に民に慕われていた出雲族ですよね。プロジェクトXの地上の星〜古代編〜みたいな番組があると面白そう!! 

        そうですね。こちらのコメント欄はたくさん色んな方からの貴重な情報があり、ヒントの宝庫ですね。まあ、たいていが私は理解がまだできてませんけど(^_^;)でも楽しんでます。

        古代史は未来人の探求心とそのコミュニティに繋がるのですね☺

        これからも、富家や散自出雲からも語られずか、こぼれてしまった方々のアナザーストーリー、(NHKの回し者ではありません)期待しております。姫君目線があるのはとても嬉しいです✨

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  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    ここは、古い形式ではなく、四国式の忌部氏の祭祀形態が持ち込まれている事が特徴であると思われます。

    天橋立の様に昔からあった近いかと思って調べましたが、どうも、昔は別の所にあったのかと思わされます
    ttps://www.pref.shimane.lg.jp/infra/kankyo/kankyo/shinjiko_nakaumi/kosyou_suishitu_hozen_keikaku/03/sn_03keikaku_oitachi.html

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      貴重な情報をありがとうございます!
      リンク先の解説も参考になりました。島根半島は古くは離島だと思っていましたが、佐太付近は本土と繋がっていたのですね。

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      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        やはりここに戻ってきてしまいました。。。

        蚊屋島神社は、地元では、なぜこんなとこにこんな立派な神社があるの?というくらい、行ってみたら結構立派でビックリしたと言われる方が多いです。

        日吉津や淀江と呼ばれるこの地域は、伽耶の匂いがどうもします。出雲族は伽耶を守り、大和朝廷は百済を偏重し守るという図式が私にはこの地域から見えてくるのです。後から大和という地名がここら辺りについたとしか思えません。大和公民館があります。その裏手に亀甲社。幸神ことサイノカミ信仰があり、夫婦神がたくさん祀られています。その地域には、佐陀という地名も残されており、サダという名前から佐陀神社のある島根半島も関わってきそうですね。島根半島には、能海、鳴海→野浪(ノウミ、ナルミ、ノナミ)と呼ばれる地域があり、ここも私の気になる所でもあります。

        淀江の佐陀地区の近くには真名井の水、三輪神社、サダ神社、日吉神社、天神垣社(大元シリーズの書籍に写真がある石馬で有名な)がありもろ事代主、もろ出雲族。サイノカミ信仰。あ、これ、以前からくどくコメントしてますね。(またきたか?ですね)相当くどく五条先生に、その地域推しをしてますね。は〜や〜くフィールドワークして欲しいなあという呪文を唱え続けてますね(笑)。我ながらクドい。

        話を戻します。色々考えてみては、やっぱり違うかなと考えを改めたりもしましたが。。個人的には、鳥鳴海はもしかして。。女性だったような気がしてなりません。そしてちょっと話は飛ぶように思われるかもですけど、時系列的には随分とその後の時代に活躍してるはずの神功皇后が、なぜか下照姫や高照姫に繋がってきたりして、現在混乱中です。宗像三神と神功皇后はとても深い関わりがありますしね。。やはり新羅、伽耶との関係性を示唆してるような気がします。

        神功皇后の各地の気になる伝承とかを繋ぎ合わせていくと、神功皇后の時代は本当に今考えられている時代と合っているのだろうか?と検証している本を今読んでいますが、私にはちょっとまだ難しくてわかりません。

        神功皇后って一体。。カヤナルミって鳥鳴海って一体。。これに+赤留比売命だけが関係ないとは言い切れない気もします。神功皇后とヒボコ繋がりで。まあ全て繋げる必要もありませんけど(^_^;) 飛躍しすぎですかね。

        今、私の中で神功皇后とは?となりつつあります。とんでもなく出雲で新羅で姫巫女で。。大日孁貴尊。。きっと書紀が隠したかったのは、下照姫、高照姫、神功皇后、宗像三女神。ここの出自と出雲族との繋がりではないかなと。

        それから全くの憶測ですが、そこから後に天智天皇、天武天皇との確執にも、百済と新羅と伽耶の関係が絡んできて、持統天皇があんな書紀にしてしまったのでは。。とはっきりと理由はわからないけれど、カンです。はい。頼りないカンです。すみませんm(__)m

        いいね: 1人

  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    でも姫君ですよね、字をみても。。
    うーん。分かりません。検討違いかもですね

    いいね: 1人

  5. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    加夜奈流美命 カヤナルミという字は、地元伝承でこちらの漢字で見たことがあります。

    阿陀萱神社がある地域を成実地区と呼びますその近くには成実小学校がありまふ。この成実という地名はカヤナルミに由来するという説があるそうです。こちらには行かれましたでしょうか。愛宕山という山があり、古墳などあります。

    阿陀萱神社は、タキキヒメ(木俣姫路)で、八上姫と大国主大神の間に生まれ、こちらの木に指が挟まって。。という伝承のアダカヤヌシとも呼ばれる神様が主祭神です。下照姫のことではとか、高照姫のことでは
    とか諸説あります。

    カヤナルミって同じ呼び方が気になりました。謎。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      阿陀萱神社は未訪問です。気になりますね。

      いいね

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