以前、仙台空港の帰り便が欠航になり、一泊追加を余儀なくされたのですが、その時ホテルまでお願いしたタクシー運転手さんから教えてもらったおすすめスポットが「竹駒神社」でした。
竹駒神社は仙台のお隣、宮城県岩沼市にあり、年間参拝者が160万人、初詣は40万人以上ともいわれる地元では有名な神社なのだそうです。
かつては松尾芭蕉も訪れたという当社、
そこには狛犬ならぬ、狛狐が鎮座しています。
そう、竹駒神社は稲荷社となります。
長い参道を歩いて行くと、荘厳な随身門が見えてきます。
随身門とは神社山門のことで、いわゆる神仏習合の名残を示すものです。
江戸後期の秀作と言われるこの随身門は東日本大震災にも耐え抜いた宮城の誇りでもあります。
更に随身門の先には、向唐門(むかいからもん)と呼ばれる唐破風(からはふ)の門があります。
宮城県内最大級の向唐門で、屋根は銅板葺き、各所に施された彫刻は見事で、総けやき造りとなっています。
この随身門と向唐門は1990年5月、岩沼市の有形文化財に指定されました。
いよいよ拝殿へとやってきました。
重厚な社殿、
当社は日本三大稲荷の一社を名乗っており、それに劣らぬ風格を持った社です。
しかしながら三大稲荷を名乗る稲荷社は多数あり、総本社「伏見稲荷大社」は外せないとしても、どれをとって三社にするかは選び難いものがあります。
竹駒神社の主祭神は「倉稲魂神」(ウカノミタマ)、相殿に「保食神」(ウケモチノカミ)「稚産霊神」(ワクムスヒノカミ)を祀ります。
この三柱の神を総称し「竹駒稲荷大神」と呼んでいるそうです。
境内摂社には、出雲大社の8分の1サイズという「出雲神社」や、
愛宕神社、八幡神社、総社宮、秋葉神社、北野神社が鎮座しています。
拝殿・幣殿・三間社流造の本殿からなる立派な社殿。
そこに、地下へ降りる道があります。
地下には、祭壇が設けられていました。
「元宮跡地」とあります。
伊達家にも崇敬を受けてきた当社ですが、平成三年の式年大祭を前に、社殿は過激派の放火によって焼失したというショッキングなことが書かれていました。
主義思想は自由でいいと思うのですが、他の差異を受け入れられず、暴挙にしか走れない思想に未来はないと思われます。
歴史的構造物にいたずらする人たちも後を絶ちませんが、浅はかに歴史を傷つてけ欲しくないと、強く願います。
さて元宮跡地の祭壇を通り過ぎると、二つの社が人目を避けるように鎮座していました。
手前の赤い鳥居の社は「命婦社」。
命婦社の祭神は、稲荷大神の神使である神狐と伝わり、
そこにある三つの如意宝珠は、竹駒神社の三柱の祭神を表わすと云います。
再奥にあるのは「奥宮」。
竹駒神社の創設は、842年、小倉百人一首に登場する「小野篁」(おののたかむら)が陸奥国司として赴任した時、東北地方の開拓と殖産興隆を祈願し、伏見稲荷を勧請して創建したことに始まるとされています。
小野篁といえば井戸を使って現世と冥府を行き来し、昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府で閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたと伝わる人物です。
小野篁が創建に関わった神社というなら、いっそう当社がただならぬ存在であることを感じ得ずにはいられません。
竹駒という名前は近くを流れる阿武隈川に由来し、最初は武隈(たけくま)と呼ばれていたものが変化して呼ばれるようになりました。
たまたまですが夕刻の逢魔時に訪れた竹駒神社、身震いをしつつ後にしようとした時、何気に拝殿を覗くと、
美しい巫女の舞を見ることができました。