「明治神宮」(めいじじんぐう)を訪ねてきました。
そこは初詣で毎年、日本一の参拝者数を誇る広大な神社です。
明治神宮は東京都渋谷区にあります。
駅を降りて神宮橋を渡ると、境内に入ります。
すぐに社叢が広がる境内。
ここは内苑であり、外苑まで含めると、当社の境内は莫大な広さになります。
それにしても、東京の大都会の真ん中に、これだけの杜が広がっていることに驚きます。
明治神宮を設営する場所として選ばれた代々木御料地付近は、元々は森がない荒地でした。
そこで神社造営のために人工林を作ることが必要となり、造園に関する一流の学者らが集められたといいます。
この内苑には、日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられました。
この社叢は、人工林が意図的に自然林化されたものとしても注目されており、通常都心では見られないような生物が生息し続けている非常に貴重な杜となっています。
参道を進んでいくと、他の神社でもよく見られる酒樽が積まれた光景がありました。
が、さすが明治神宮、その数もハンパないです。
しかしその反対側には、
なんとワイン樽が奉納されています。
明治天皇はとてもワイン好きだったため、日本全国の蔵元やフランスのブルゴーニュ地方のシャトーから、今も明治天皇にワインを献上しているそうです。
西洋の文化に非常に興味をお持ちだった明治天皇らしいエピソードです。
参道の中程、巨大な鳥居がありました。
明治神宮の顔、日本一の大きさを誇る「大鳥居」です。
高さ12m・柱間9.1m・柱の直径1.2m・笠木の長さ17m、そして重さはなんと13t。
昭和41年(1966年)に落雷によって破損し、現在の大鳥居は昭和50年(1975年)に立て直された二代目です。
これほどの巨大な鳥居を造営するにあたって、当時大きさに見合う木が日本にはなかった為、台湾の樹齢1500年のヒノキがはるばる運ばれてきました。
今なおヒノキの香り漂う大鳥居は、日本と台湾の友好の鳥居でもありました。
明治神宮はその名の通り、「明治天皇」と「昭憲皇太后」を御祭神とします。
明治神宮の正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」。
御朱印でも確認できます。
明治45年(1912年)7月30日に明治天皇が崩御され、大正3年(1914年)4月11日にお妃の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が亡くなられました。
その後、御心霊のお祀りを熱望する国民の声が湧き起こり、大正9年(1920年)に明治神宮は創建されました。
明治天皇は京都の伏見桃山陵に葬られましたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民から起こります。
鎮座地を選ぶ際には、いくつもの候補地が挙がりましたが、陛下のご庭園として深いゆかりのあった代々木の地に決まりました。
当時の代々木の地は、東京のはずれた田舎で何もない荒野でした。
そこに、当時の林学者達が緻密な計算をし、百年・二百年先にいかに自然により近い森になるかを想定しつつ造営していったそうです。
造営にあたっては、時の人である実業家「渋沢栄一」も参画していたそうで、全国から延べ11万人以上もの青年たちによる勤労奉仕によって成し遂げられました。
こうして国民の想いが込められた明治神宮が、五年の歳月を経て大正9年(1920年)に鎮座されたのです。
鎮座祭には大正天皇の名代として皇太子「裕仁親王」(昭和天皇)が行啓されました。
神宮本殿は大東亜戦争(太平洋戦争)の時、アメリカ軍による空襲によって焼失しました。
現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたものです。
境内の旧御苑入口付近にはかつて、代々木の地名の起源ともなったモミの巨木「代々木」がありましたが、この名木もB29の直撃で焼失しています。
それにしても大正神宮や昭和神宮はなぜ造られなかったのでしょうかね。
昭和天皇を神と祀ることは、やはり当時は問題だったのでしょうか。
偉大な先祖を神として祀るのは、往古より続く日本人の文化なのですが。
僕がこれまで、この明治神宮や靖国神社参拝を失念していた理由の1つに、歴史の古い神社にばかり目が向いていたということがあります。
それは近現代史よりも古代史にしか興味がなかったことがあります。
それは僕が現代人に絶望していて、古き良き時代に逃避していたという事なのかもしれません。
僕が幼少の頃はまだ日本は平和で、家の鍵など掛けずとも、物を盗まれたりすることのない時代でした。
それが高度成長期を迎えるにつれ不穏な事件が増え、バブルとともにエコノミックアニマル・フリーセックス・浪費と退廃、それが近代的であるという錯覚、およそ日本的な美しい民族とはかけ離れた日本人の荒廃ぶりに、僕は人を好きになれなくなっていきました。
バブルが崩壊すると、バラバラ殺人や青酸カリ殺害・地下鉄サリン事件のような悲惨な事件が頻発し始めます。
そのうちにモンスターペアレンツやモンスタークレイマー、お騒がせ動画をアップし続ける若者たちと、もはや民度を疑う状況となります。
もう日本人も終わりだなぁと思いつめ、休日は人を離れた大自然や聖地に身を投じるようになりました。
が、ここにきて、心を鎮めて、改めて問うてみます。
本当にもう終わったのだろうか?と。
確かに高度成長期からバブル気にかけて、僕らの風俗は乱れ壊されていきました。
男は脆弱・軟弱になり、女はメス化し、世は乱痴気騒ぎの一歩前まで行きました。
が、今の若者を見ていてどうでしょうか、最悪の線まで超えることなく、また正常な方向へ、やや戻っている、そんな気もしているのです。
そして近年、神社などでもよく見かけるあのご一行を見て、ふと思うことがあります。
ああ、あの下品な振る舞いは、近年多くなった日本人と称して報道される、あの品のない事件の数々に似ていると。
明治神宮内苑の中程に、「御苑」(神宮御苑)があります。
ここの「清正井」(きよまさのいど)を訪ねることが、僕が明治神宮に来た一番の目的でした。
御苑は江戸時代から大名下屋敷の庭園として使われ、明治時代に宮内省が所轄する南豊島御料地となり、代々木御苑と呼ばれていました。
ここは明治天皇と昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、皇太后はこの地の風光をこよなく愛されました。
古来より穏やかで、風光明媚を愛する日本人が、どうして人の体をバラバラになどできるでしょうか。
理を大切にする日本人が、訳のわからない理屈をごねるモンスターとなるでしょうか。
日本人は小さな島国の農耕民族です。
そのDNAはそうそう変わるものではありません。
戦国時代の首切りは一見残虐ですが、苦しませずに命を奪う技ですし、名誉の腹切りも苦しみが長引かないように、介添え役をつけるのが常でした。
人の死を残虐に苦しませながらなし得たのは、大陸系の狩猟民族のDNAを持つ一族です。
昭和12年(1937年)に起きた、消し去られようとしている歴史的事件に「通州事件」があります。
これは支那「通州城」に日本人を閉じ込め、支那人が日本人の目を抉り取り、腹部を切り裂いて10以上も腸を引っ張り出し殺し、女性は犯したうえで無残に殺し、何人もの日本人を生きたまま針金で掌を貫いてつなぎ、なぶり殺しにした、悪魔の所業たる支那人の日本人惨殺の歴史です。
日本人の遺体は全て蓮池に放り込まれ、池は真っ赤に染まったとまでいわれています。
この信じ難い地獄を、日本人が理解できるでしょうか?
が、心を鎮めて、今一度深く、大和の御心に触れてみます。
そう、一番大切なことは他国を非難することではなく、自分自身の心を気高く保つことです。
周りに人のふりをした邪鬼が騒ぎたてていようとも、悪魔のような情念がねっとりとまとわりつこうとも、僕の心の気位を地に落とすわけにはいかないのです。
そう決意した時に、惑い犯されつつある今の日本人も、まだまさ捨てたものではないのだということに、改めて気づいたのです。
御苑を歩いていると、明治天皇が建てた隔雲亭という御茶屋がありました。
今も天皇がお過ごしになられた、穏やかな温もりが残るようです。
その先にある菖蒲田は、は明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられたといわれています。
菖蒲田を過ぎると、パワースポットとして有名な「清正井」があります。
清正井は、都会では珍しい湧き水の井戸ですが、テレビ番組でパワースポットとして紹介されると数時間待ちになることもある人気スポットとなりました。
東京都の調査によると、水温は1年間一定して15度程度で、毎分平均60Lの水が絶えることなく湧き出ているそうです。
この井戸は、横に掘られた特殊な井戸で、江戸時代「土木の神」と呼ばれた清正が作ったに違いない、とされています。
この清正井を写真に撮り、待ち受けにすると幸運が訪れるというので皆写真を撮るのですが、同時に不穏な噂も聞かれます。
清正井は、陰陽の気がはっきりと分かれる「陰呼」(いんこ)の場所と云われていて、陰の気が満ちると逆に悪い気をもらいやすくなるのだそうです。
また女性が、人身御供(生贄)で井戸に封じられているなどという話もあり、負のパワースポットだと囁かれています。
清正が、神聖な井戸を造る上で人柱を立てるなど考えられず、それはあり得ないとは思いますが、夕暮れ時や雨の日の参拝は控えた方が良いのかもしれません。
少なくとも僕が訪れた限りでは、ここは確かに、とても美しく清らかな場所でした。
そして不思議なことに、僕の番になると10分ほど誰もいない、一人きりの時間をプレゼントしてくれました。
陽の気にも陰の気にもなりうるという清正井、まるで人の心のようです。
我が心もいたずらに濁らせないようにと、諌められたような気がしました。
心に湛えた清水を思い浮かべ、気位高く空を見上げ、日本人の聖地を後にしました。
Oh I see. Thanks for the information. Have a nice week end Chirico
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Great Photos. I always love to see those Arch. They’re Huge and beautiful. It shows a sense of POWER.
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Thank you very much Peculiar.
Does a huge arch mean “鳥居-Torii-“?
The 鳥居 has the meaning of the boundary that distinguishes the lower world from the sanctuary, and it is supposed that the god dwells.
It can also be said to be a symbol of Japanese shrines.
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Chirico per favore.. potrei sapere una cosa? Vedo spesso nei Santuari le cose fotografate nella foto nr 7 …. mi dici cosa sono esattamente?
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È un barile contenente il sake.
Sin dai tempi antichi, in Giappone, abbiamo dedicato il sake a Dio.
Ora, i produttori di birra di tutto il Giappone offrono liquori agli dei ovunque.
Si dice che il “大神神社”(santuario Omiwa) di Nara fosse il primo luogo in cui il sake era dedicato a Dio.
“杉玉”(Grande palla di cedro), che è sospesa dal tetto del birrificio del sakè, adora il dio del “大神神社”.
Quando una “杉玉” verde viene messa sul tetto, è un segnale che il nuovo sake è fatto.
Quando “杉玉” cambia da verde a marrone, è un segnale che il sake è maturato.
“杉玉” è la diciottesima foto dell’articolo successivo.
https://omouhana.com/2018/04/21/出雲屋敷・山ノ神遺跡:八雲ニ散ル花%E3%80%80追伸/
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Grazie mille Chirico della risposta perfetta! Cercherò di informarmi meglio. Sei molto gentile! m(_ _ )m
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Ho imparato una cosa nuova! Sono felice!! Grazie 😊
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Sei il benvenuto
Alessia, per favore parlami della bella Italia,anche a me!
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Sei molto gentile Chirico! L’Italia è davvero bella, io amo la mia Italia! Le prossime ricette che metterò avranno anche le foto dei paesi e luoghi d’Italia! Chiedimi pure quello che vuoi!!!
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Sì, mi piacerebbe saperlo!
Per favore, mostrami un sacco di belle foto!
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😱 素晴らしいところです。!!! Un altro, ogni volta più bello!! Quanta gente vedo! Anche molti stranieri!
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Il santuario Meiji Jingu è il santuario più visitato in Giappone e anche molti stranieri visitano.
Dio è l’imperatore giapponese quattro generazioni fa.
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はい!
素晴らしいところです。
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やはり行かれておりましたね!笑
いつアップされるかお待ちしておりました。
私も今、近くにいるところです。笑笑
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そういえば、今日は東京でしたね。
さすが日本一の神社のひとつ、素晴らしかったです。
行って良かったです。
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