比叡山延暦寺-東塔

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平安時代、仏教界に二人のスターが現れました。
「最澄」と「空海」、その人です。
最澄は京都と滋賀にまたがる比叡山に延暦寺を開き、空海は奈良の山奥、高野山に金剛峰寺を開きました。
日本仏教界の開花、その源泉を訪ねます。

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比叡山は東に琵琶湖、西に京都の町並みを望む、京都・滋賀の県境南北に伸びる霊峰です。

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唐で修行を終えた最澄は当山を伝教の根本とし、延暦寺を建立しました。
やがて彼の教えは、後に高名な僧を数多く輩出。
次第に延暦寺の敷地は広大になり、今では比叡山の全てに至っています。

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比叡山延暦寺は大きく3つの区域に分けられます。
「東塔」「西塔」「横川」の3地域です。
その中でも最も中心となるエリアが「東塔」(とうどう)地域です。

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東塔地域に入ると、すぐに大きな「大講堂」が姿を現します。
各宗派の宗祖の像が立ち並ぶ大講堂で、多くのお坊さんが学問の研究を行いました。

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大講堂の側に「開運の鐘」があります。

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一人一回つけるので、ぜひその優しい響きを堪能したいもの。

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大講堂から敷地内を下って行くと、延暦寺最大の聖地にして総本堂の「根本中堂」(こんぽんちゅうどう)が見えてきます。

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最澄は子供の頃から才に秀で、若干19歳で日本で年間5人しか受からないと言われるエリート官僚になるための試験に受かります。
これまでの日本の仏教は家柄で仏になれる人とそうでない人がいるという教えでした。
それでは大衆を救えないと感じた最澄は遣唐使に随行し、唐で天台宗を学び日本に持ち込みます。
天台宗は人間はもとより、この世の全てのものが仏になれる、という教えでした。

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最澄は非常に繊細で生真面目な性格だったようです。
天才肌だった空海と対照的に、最澄は努力の人、秀才肌でした。
今の僧は都に住み、大衆と交わって修行を怠っている、と最澄は感じていました。
自分はこれを改め、山にこもり、そこでひたすらに修行を行うことで民衆を救おうとを決意します。

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僧は人々の手本になり、人々のために尽くさなければならない。
そのためには一心に学問に励み、修行を積まねばならないと弟子たちに教え伝えます。
ゆえに最澄は「伝教大師」という名を朝廷からいただきました。

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根本中堂は最澄が「一乗止観院」という草庵を建て延暦寺の始まりとなった、ゆかりの場所にあります。
最澄が一刀三礼して彫ったという「薬師瑠璃光如来」を本尊とし、
その前には1200年火を絶やすことのない「不滅の法灯」が3基、厳かに灯っています。

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根本中堂内の世界は、あえて言うなら「幽玄」。
言葉では表し難く、実際にそこで感じていただくほかはないと思われます。
ちなみに最澄は色白の女顔で、めちゃイケメンだったそうです。

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根本中堂から高く登ったところに「文殊楼」(もんじゅろう)があります。
楼内には上がることができ、文殊菩薩がまつられていて、受験生の合格祈願に人気があります。

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そばには「国連平和の鐘」も。

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そこからは根本中堂の全容が、少し垣間見れます。

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東塔エリアは他に見所が多くあり、時間に余裕を持って訪れたいものです。
阿修羅のような三面大黒天を祀った「大黒堂」、

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世界中の神仏を祀った「萬拝堂」などを巡ります。

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小腹が空いたので腹ごしらえをさせていただきました。

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優しい滋味が疲れを癒してくれます。

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さて、また登ります。

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その奥に「東塔」(とうどう)と「阿弥陀堂」(あみだどう)が見えます。

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阿弥陀堂は先祖回向の道場で、

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本尊に阿弥陀如来を祀ります。

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東塔は正式には「法華総持院東塔」(ほっけそうじいんとうとう)と呼ばれ、伝教大師が建立した日本全国6カ所の宝塔を総括する、根本中堂と共に重要な信仰道場です。
信長の焼討ちから400年ぶりに再建されました。

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ところで、最澄と同時期に頭角を表したな空海、性格も歩んだ道も正反対と言っていい二人でしたが、当初は仲が良かったと云います。
最澄は生真面目な性格でしたが、自分の学んだ仏教のうち、密教に関しては空海の方が優れていると素直に認めていました。
ゆえに最澄はプライドを捨て、7歳年下の空海に教えを請います。

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そんな最澄を空海も受け入れ、二人は親交を深めますが、ある時密教の経典「理趣釈経」を借りたいとの最澄の申し出を空海が断ったことで亀裂が生じます。
経典からばかり学ぼうとする最澄の姿勢に、修行を重んじる空海はそれを許せなかったのです。
更にはを空海に預けた最澄の弟子「泰範」が師を裏切り、空海の元から延暦寺に帰らなかったことで、二人は完全に決別することになります。
真偽は定かではありませんが、泰範は最澄の恋人だったという噂もありました。

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最後に東塔エリアで見逃せない聖地が「戒壇院」(かいだんいん)です。
受付でもらう巡拝マップにはあっさりとしか記載されていないので、つい通り過ぎてしまいそうになります。

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戒壇院は僧になるための必須の条件である「大乗戒」を受けるためのお堂です。
出家者はこの授戒を受けることで正式な僧として認められることになります。
伝教大師の入寂7日後に嵯峨天皇から建立の勅許がおり、天長5年(828年)に創建、延宝6年(1678年)に再建されて国の重要文化財になっています。

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この霊力に包まれた山で、努力の僧「最澄」は、
「私たちの住むこの迷いの世界は、ただ苦しみばかりで少しも心安らかなことなどない。- 人間として生れることは難しく、また生れたとしてもその身体ははかなく移ろいやすい。」
と、世の無常と人のはかなさを説き、
「因なくして果を得、この処(ことわ)りあることなく、善なくして苦を免がる、この処りあることなし。」
と、因果の厳しさ故に善行の努力を惜しんではならないと、私たちに教え伝えたのでした。

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東塔エリアを後にしようとした時、駐車場の奥にこんな看板がありました。

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降りてみます。

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何かあります。

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日本にお茶を広めた「栄西」がここで修行をしたそうです。

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比叡山延暦寺で最澄が広めたのは「天台宗」。
天台宗は中国の隋の頃、天台大師「智顗」(ちぎ)が開いた宗派です。
智顗は全てのお経を取り込み、お経のランク付けをしました。
智顗が最高ランクとしたお経が「法華経」です。
つまり天台宗は全てのお経を含む宗派となり、その中から自由に学びなさいというスタンスを持っています。

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天台宗で自由に学んだ僧らは、更に自由に派生していきました。
なので、比叡山の至るところで、どこか聞いたことがあるお坊さんの名前が残る史跡を見かけます。

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天台宗、そして最澄の懐の大きさを、この広大な敷地の延暦寺で感じることができました。

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大講堂・根本中堂・文殊楼・大黒堂・萬拝堂・阿弥陀堂・東塔

3件のコメント 追加

  1. Fantastico Chirico!!! Bellissimo posto!
    「開運の鐘」 E’ solo preghiera per chiedere buona fortuna? Come funziona?
    大ラーメン!!
    スープなしのラーメン?

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      “開運の鐘” si dice che sia fortunato quando suoni il campanello.
      I noodles non sono ramen ma “Soba”.
      C’è una piccola quantità di brodo all’interno e puoi mescolare e mangiare!😋

      いいね: 1人

      1. Grazie Chirico! E’ importante capire per me! Imparo molte cose con le tue spiegazioni! Grazie mille!!!

        いいね: 1人

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