東塔、西塔、横川の3エリアからなる「比叡山延暦寺」。
この延暦寺は京都の北東にあり、京都の鬼門を守っているといいます。
さらには、この延暦寺内においてもさらに鬼門の方向にとても神秘的な場所があります。
そこは「飯室谷」(いむろだに)といい、叡山三魔所の一つと云われているそうです。
飯室谷には千日回峰行と呼ばれる厳しい修行の起点となる「飯室谷不動堂」があります。
これから向かう場所は、不動堂に車を止めて5分ほど歩くことになりますが、この飯室谷へ向かう道がそもそも大変でした。
酷道と言っていい道をひたすら車を走らせ、ようやく飯室谷へたどり着きます。
飯室谷不動堂に車を停めさせていただき、そこから山道を歩いていきます。
延暦寺の境内ではありますが、ひと気がまったくありません。
知る人ぞ知る比叡の名所こそが「安楽律院」(あんらくりついん)。
実は映画「るろうに剣心」ほか、撮影のスポットとしても有名な場所です。
山道の峠に差し掛かると2つの石塔があります。
「攝僧大界并攝衣界」これより心身を清め霊感に触れるように
「不許葷酒入山門内」酒、にんにくなどを食したもの入るべからず
とあります。
そこから先に突如と現れる石の階段は、こんな山奥には不似合いなほどあまりに立派なもの。
しかし磨り減った石、苔むした石の連なりは古い歴史があったことを自ずと伝えてきます。
そうするうちに楼門が見えてきました。
楼門の手前には見事な手水鉢があります。
苔に全面を覆われた手水鉢には水が滔々と溢れていて、趣を感じさせます。
楼門をくぐる頃にはすっかり心身が清らかに浄化されています。
しかし楼門をこえるとまた、広がる光景に驚かされました。
何もない、ただ広がる明るい平地。
ここが江戸時代、厳しい戒律を守る僧たちが暮らした安楽律院の跡地だそうです。
この安楽律院は昭和24年の放火で楼門と護摩堂を除くすべてが消失してしまいました。
今は再建された小さな本堂が、この地を守っています。
広場には焼け残ったのであろう、様々な石垣や石塔が点在しています。
足場の悪い奥まった傾斜に石碑がひとつ。
この地をこよなく愛した藤原定家の歌碑、「ふむだにも縁なるてふ此山の土となる身はたのもしきかな」と側面に刻まれています。
江戸時代、安逸をむさぼりつつある比叡の僧に反発して「妙立」(みょうりゅう)、「霊空」(れいくう)らが戒律主義を唱導し、一門を「安楽律」と呼んでこの比叡の三魔所のひとつ、隠れ谷に住まわせました。
この礎石の跡をみても立派に建つ本堂の姿が目に浮かびます。
しかしそれも夢の跡、
悠久の時に想いを馳せてみます。
再建された現本堂も、小さいながらに石垣と調和するその姿には威厳を感じます。
人は無くともここは聖域として今も守られていると感じます。
その奥にある廃屋は「るろうに剣心」の師匠の家としても使われたものです。
さらに先には焼失を免れた護摩堂があります。
護摩堂の先にさらに道があり、砦のような場所に行き着きました。
そこは安楽律院の高名な僧たちの墓のようです。
まるで江戸時代から時を切り取ったような、儚くも優しげな光景が広がっていました。