仁比山神社

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佐賀県神埼市の山中にある「仁比山神社」(にいやまじんじゃ)を訪ねました。

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地元の人に「山王さん」さんと呼ばれ親しまれているこじんまりとした神社ですが、参道を始め趣の美しい神社です。
参道入口にある仁王門は江戸時代の建設とされ、中に安置されている阿吽の金剛力士像は九州でも最古級の鎌倉時代の仁王像とされています。

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車を停め、二の鳥居を上ると

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背の低い紅葉が覆う美しい参道が心地よいです。

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これほどの紅葉ですから、当然秋の紅葉は見事なものです。

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しかし近年、九州の紅葉は酷暑疲れであまり美しく色付かないこともあります。

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仁比山神社はその神社よりも、境内にある「九年庵」の方が有名です。

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九年庵とは紅葉の期間の9日間と新緑の頃の3日間しか開放されない茶庵です。

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しかし期間が区切られていることで大勢の拝観者が訪れることもあって、その感動はイマイチだった覚えがあります。
むしろゆっくりくつろげる仁比山神社の方が紅葉も楽しめました。

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九年庵を過ぎたら放生池が見えてきます。
境内には、樹齢800年や600年の楠の大木をはじめ、モミジや針葉・広葉常緑樹、落葉樹が繁り、心地よい神気を降り注いでいます。

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池のほとりにある弁財天社。

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苔や水草が絡んで、なかなか侘びています。

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社伝によれば、天平元年(729年)僧の行基が、聖武天皇の勅願を賜り、この地に神殿を建立して松尾明神を勧請したことを創始としています。

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その後承和11年(844年)に慈覚大師が唐から戻る際この地に立ち寄り、土中より日吉宮の額を発見。
これを朝廷に奏上したところ、比叡の神威を感じた仁明天皇は近江坂本の日吉宮の御分神を合祀するよう命じ、朝廷の祈願所としたと云います。

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そのときにこの地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたと伝えられていました。

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紅葉の葉に覆われた石灯籠の上には、

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よく見ると日吉社の神使である猿の像が置かれていました。

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狛犬も獅子風でともてユニーク。

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愛嬌があり、躍動感に満ちています。

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これまで社殿は度々焼失していますが、佐賀藩藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子により再建されています。

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祭神は「大山咋命」(おおやまくいのみこと)、「鴨玉依姫神」(かものたまよりひめのみこと)、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)他、合祀社祭神二十余神。

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本殿付近を散策してみます。

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左手には「見ざる言わざる聞かざる」の像。

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何やら意味ありげな石も鎮座します。

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また「月夜見命」(つくよみのみこと)を奉斎する石碑も。

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右手には「大山咋命」と「中津島姫神」(なかつしまひめのかみ)を祀る「松尾宮」があります。

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そして社殿をぐるりと回って本殿裏に向かうと、

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たくさんの猿の石像とともに、岩穴からこんこんと湧き流れる「金剛水」の水場がありました。

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金剛水は、唐より帰朝した第3代天台座主「慈覚大師」が、国家安泰を祈願し、岩石に「水」と梵字を彫ると清らかな水が湧き出たと云うもの。
この時、土の中から「日吉宮」と書かれた石額が掘出された伝えられています。

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猿は山王「日吉宮」の眷属であり、この水を猿の石像にかけて願いをとなえれば叶えられるとされています。

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大山咋命は酒の神としても有名ですが、これは命が猿が穀物を噛み砕き、木の穴に入れて酒を作るのを目にし、自ら作るに至ったという伝承によるものです。
これはとても古い酒造の方法であり、アニメ映画「君の名は」でも「口噛み酒」として登場していました。

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本殿から少し下り、参道右手の小山に向かうと、

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「松森稲荷神社」がありました。
倉稲魂神が祀られています。

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また一旦境内を出て隣に行くと、

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仁比山護国寺の「地蔵院」があります。

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当院は明治以前まで仁比山神社の神宮寺でした。

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本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩)。
この日厨子の前に置かれていたのは本尊のレプリカである「前立本尊」でしょう。
本尊の千手観音像は年に一度、11月15日~24日に御開帳されるということです。

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明治維新後の神仏分離により、仁比山護国寺の三十六坊は次々と廃寺になりました。
その中で地蔵院のみが存続したのですが、実業家「伊丹弥太郎」の案により吉祥院の跡地へ移されることに。
その後、元地蔵院のは跡地に彼が9年の歳月をかけて建てた別邸が「九年庵」なのだ、ということです。

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