福岡県福津市の渡半島(わたりはんとう)には、人にあまり知られていない秘境が存在しています。
と、その前に、渡半島の手前に「九州の湘南」と呼ばれる福間海岸があるので立ち寄ってみました。
福間海岸の一つ「宮地浜海水浴場」、そうここはあの宮地嶽神社から続く光の道の参道の先端に当たる場所。
その先には「相島」が見えています。
心地よい乾いた風の吹く福間海岸は、2kmに渡って砂浜と松林が続いており、西日本有数のウィンドサーフィンのメッカとなっていますが、
まっすぐ進んでたどり着く相島の東岸には石を積んで築かれた古墳群があり、往古に光の道で繋がる志賀島・相島・宮地嶽神社は、安曇族のメッカであったと僕は考えています。
最近ではこの海岸通りに、おしゃれなカフェなども増え、恋人たちのメッカとしても人気が急上昇しているようです。
渡半島の頂部に近い場所に「東郷神社」があります。
モダンな社殿に祀られるのは日露戦争の英雄「東郷平八郎」(とうごうへいはちろう)です。
東郷は幕末の薩摩藩士から昭和時代初めの海軍軍人であった人。
最終階級は元帥海軍大将でした。
日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。
日露戦争時、ロシアのバルチック艦隊が渡半島沖を通った時に日本の連合艦隊司令長官として指揮し、これを打ち破ったことで知られています。
日本海海戦での完勝を導いた彼は国内外で英雄視され、「陸の大山、海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれました。
この東郷神社では東郷平八郎ばかりを祀っているわけではありません。
戦没した日本人はもとより、ロシア兵をも英霊として共に祀っているのです。
靖国神社しかり、敵味方関係なく戦死した尊い命を大切に思う心は、古代から育まれた日本人のDNAに刻まれているのです。
東郷神社から少し下った場所にある「楯崎神社」(たてざきじんじゃ)が今回の目的地です。
非常に質素な神社です。
当社の紹介は2度目、前回は神功皇后に関連したものでした。
宗像社記によれば、神功皇后が三韓より帰り着いた所を京泊といい、楯を蔵め置いた地を楯崎山と云うとあります。
祭神は「大己貴神」「少彦名神」「綿津見神」の三柱。
相殿に「飛龍権現」を祀りますが、これは神功皇后を指しているとのこと。
渡半島沖にやって来たのはバルチック艦隊ばかりではなく、古代においても異賊がここに攻めてきたと伝えられていました。
楯崎神社本殿の横から奥に進む林道があります。
すぐに海に面した断崖絶壁の上に着き、
そこから絶壁上をほどなく歩いていきます。
それにしても、なんと心地よい場所なのでしょうか。
このような断崖絶壁の場所は、霊的に乱れている場所も多いそうですが、当地はとても清らかです。
覆い茂る樹木の隙間からは、美しい恋の浦も見渡せます。
また気象条件が整えば、沖ノ島も望むこともできるそうです。
『大楯崎神社縁起』(文化14年)によれば往古の時代、「夷」(異賊)が上陸して人民を殺傷したとあります。
その時、大己貴神と后の宗像姫大神は神軍を率いて戦いました。
楯を立て、鼓を鳴らして防御し、ついには敵を撃ち滅ぼすことができたのでした。
この縁起が楯崎の名の由来となったそうです。
なおこの時、大己貴の后として共に戦ったのは、宗像三女神の長女「田心姫」(だごりひめ)と伝えられています。
田心姫は玄界灘の沖ノ島内にある沖津宮にて祀られていますが、富王家伝承によると、東出雲王家7代目大名持「天之冬衣」(あめのふゆきぬ)に嫁ぎ、鳥取県米子市の「伯耆の宗形神社」の地でなくなったと伝えられています。
ここ渡半島は朝鮮の密航船も漂着する海ですので、往古に異敵が当地を攻めたということもあったことでしょう。
それを同族の出雲族と宗像族が一緒になって戦ったということはあり得る話です。
しかしそれが大国主と田心姫だったというのは無理のある話でした。
さて、行き着いたところは楯崎神社の元宮であるはずなのですが、鳥居には「薬師神社」と書かれています。
これは桓武天皇(781~807)の御代に、最澄が遣唐使として唐に向かう途上、ここに立ち寄って宿願の達成を祈り、その時自ら薬師阿弥陀観音像を彫刻して安置したことが由来のようです。
元宮をよく見てみると、洞窟を塞ぐように祠が設けられているのがわかります。
そう、ここは、神体岩の下にある岩陰祭祀場だったのです。
祠の裏側へ回る道があるので行ってみます。
すると祠の背後には、
フレームに収まりきれない、神の楯と言わんばかりの巨大な岩がそそり立っていました。
これまでも数々の磐座を見て来ましたが、これほどのものはそうありません。
どうしても写真では伝えきれない迫力。
また周囲にも並べ積まれたような巨石がごろごろ転がっています。
この一帯も明らかに、岩上・岩陰祭祀が行われていたと思われ、図らずも沖ノ島の遺跡を思い起こさせるのです。
そう田心姫は沖ノ島の祭神、当地で沖ノ島と同じような祭祀が営まれていた事実が、後に田心姫を関連付けさせたのではないでしょうか。
世界遺産登録を機に完全に立ち入ることができなくなった沖ノ島、しかし渡半島の楯崎神社を訪ねれば、誰でもその往古の息吹を感じ取ることができるのです。
楯崎神社へ再訪しましたので、いくつか写真を追加いたします。
小さな石積みの奥宮の先に
夕日を浴びる楯崎の岩。
その周りには古代祭祀跡と思われる磐座群があります。
沖ノ島の祭祀跡に比べれば規模かなり小さいですが、それでも往古の祈りを感じさせます。
これらの磐座群は、あの巨大な楯崎を遥拝する形で置かれています。
楯崎の上へは今は車で容易に行けますが、かつては厳しい道のりだったことでしょう。
奥宮は巨岩の横に鎮座しており、
その横の空洞にも祭祀の痕跡を感じます。
人に教えたいけど、あまり教えたくない場所。
そろそろ精霊たちが騒がしくなりそうなので、おいとまいたします。