
もうずいぶん昔の写真になりますが、奥八女にある八女津媛神社を訪ねる際に訪れた社寺をご案内します。


八女市松尾川上流にある「松尾弁財天」です。

のどかな山中の神社。

苔むした石の階段をゆっくり登っていくと、水の流れる音がします。

そばに渓流があり、小さな滝もありました。

村社という雰囲気の素朴な社殿。

「天授4年(1378年)辺春能登守義国に子どもがいなかったため、弁財天に祈願した時、お告げにより山中にご神像が現れて光を放たれました。それから女の子をもうけることができたので、光を放たれた所に弁財天を祭った。」
ということです。

祭神は「大己貴命」または「狭依毘売」。
当社の由緒では社名が「厳島神社」(弁才天社)となっています。
大己貴なのに厳島??と思っていたら、狭依毘売(サヨリビメ)は「稲霊が宿る姫」という意味で農業の女神だそうで、 古事記にしか登場せず、市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)の異名として書かれているのだとか。

社殿の奥には不思議な形の磐座があります。
ここには白蛇さまがいると云われており、卵を供える参拝者が多いそうです。

天授4年の創建と伝えられますが、それ以前の古くから出雲族によって祀られていた聖地だとしたら、祭神にも納得するものです。



奇岩で有名な「霊巌寺」(れいがんじ)に立ち寄ります。

八女茶発祥の地と書かれた石碑。

約600年前、「栄林周瑞禅師」(えいりんしゅうずいぜんじ)が中国の明から帰国しました。
諸国行脚の途中、蘚州霊巌寺の景観に似ていることから、この地に「霊巌寺」を建設したと伝えられます。

その際、明国から茶の種子を持参し、当時の庄屋「松尾太郎五郎久家」(まつおたろうごろうひさいえ)に栽培・製茶の技法を伝授しました。

これが「八女茶」の起こりと言われ、八女茶発祥の地と伝えられています。

さて、この霊巌寺、お茶も有名ですが、むしろもっと有名なものが境内にある奇岩の数々。

裏山を登っていくと、

名の付いた奇岩を色々と見ることができるのですが、

その中でも一番のみどころは天然記念物の日本三大奇岩として知られる「珍宝岩」(男岩)。

ん、まあ、その名の通りのそそり勃った奇岩です。

周瑞禅師もこの景観を見て、「天晴れ」と言ったとか言わないとか。

眼下には今も栽培が盛んな茶畑が広がっていました。



八女の奇岩は星野村にもありました。
「室山熊野神社」です。

シュールな案内板に誘われてたどり着いたのは、ひときわ山深い神社でした。

参道の途中、小さな洞穴にしめ縄が張られています。

神仏習合の名残ある境内。

岩の間に小さな橋がかかった「坊主岩」を発見。

大きく蹴ほげられた岩が、案内板にあった「けほぎ岩」です。

社殿が見えました。

祭神は「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)、「速玉男命」(ハヤタマオノミコト)、「素戔嗚尊」(スサノオノミコト)。

古くは室山権現とも、無漏山(むろやま)十二社権現とも称しました。

本殿の裏は、出雲大社の「素鵞社」(そがのやしろ)を思わせる磐座がせり出していました。

創建は嘉禄2年(1226年)、星野氏の始祖である「八郎胤実」(はちろう たねざね)が一族の繁栄と武運長久・領民の平穏を祈念して、紀州熊野権現を勧請して守護神としたことに始まると伝えられます。

南北朝時代以降は、阿蘇山伏の峰入り修行の中心的な場所でもありました。

神仏混淆の時代には、山上に無漏山泡来院岩念寺という神宮寺もあったそうですが、明治始めの神仏分離に際して、岩念寺は破却され、室山熊野神社として残り、今に全村民の鎮守社として崇敬されています。

奥に「行者岩」がありますが、

少し足を踏み込むと、ブルっとくるような霊気とともに風が吹き抜けました。



夜の星空のあまりの美しさから名付けられたという星野村、その「星のふるさと公園」にある麻生池を訪ねました。

麻生池には絶滅危惧種の「オグラコウホネ」というスイレン科の多年草を見ることができると有名です。

昔から水が枯れることなく、雨乞いの信仰が行われていた麻生池には、悪さをしていた竜が改心し、コウホネに身を変えたと言う伝説もあるそうです。

そんな麻生池に浮かぶ小島へ

石橋を渡り上陸すると、

なんとも不思議なバランスの神社が一社。

これは「中島弁財天社」で祭神は「市杵島姫命」。
とても愛嬌あるルックスですが、度重なる台風にも耐え抜いているのだそうです。
当時の社殿建築の技術力が偲ばれます。
