
大阪と奈良の境に連なる生駒山麓、その木々に囲まれた幽玄な杜に「枚岡神社」(ひらおかじんじゃ)があります。

枚岡神社は河内の国の一の宮で、「かおり風景100選」に選ばれる梅の名所でもあります。

参道を進むと狛犬ならぬ狛鹿が鎮座しています。

ご祭神の「武甕槌命」(たけみかづちのみこと)が神鹿に乗って旅立った故事に因んでいるそうです。

枚岡神社は奈良の「春日大社」の元宮だと言います。
当地は大和王朝後期に宮中祭祀を任された、中臣家の拠点でした。

階段の先に拝殿があります。

水の音が聴こえる方へ向かってみると、お滝場がありました。

枚岡神社拝殿です。
1879年(明治12年)の建立で、平成の修造で檜皮葺きから、銅板葺きに葺き替えられたそうです。

創始は古く、由緒によると初代天皇「神武天皇」の即位3年前(紀元前663年)に建てられたと伝わります。

枚岡神社の本殿は四棟並んでいます。
手前から第二殿「比売御神」、第一殿「 天児屋根命」、第三殿「斎主命」、第四殿「武甕槌命」を祀っています。

奈良で有名な「春日大社」は創建の際、枚岡神社の第一殿「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)と第二殿「比売御神」(ひめおおかみ・天児屋根命の后神)が分霊され、祀られました。

それゆえ、枚岡神社は「元春日」と称されています。

また、枚岡神社の第三殿に祀られている「武甕槌命」(たけみかづちのみこと)と、第四殿に祀られている「斎主命」(いわいぬしのみこと)は
春日大社から分霊さた神様です。

ご神木「槇柏」は、神武天皇が神津嶽に手植えをされたという槇柏の木の枝を新しい社殿の前に挿したと云います。
1961年(昭和36年)の台風で根腐れを起こし枯れてしまったそうです。

日本神話の最初のハイライト「天照大神」の「天の岩戸」の話の中で、天の岩戸の前で祝詞を奏上する神が天児屋根命です。
彼は素晴らしい美声の持ち主だったということです。
つまり、天児屋根命は「言葉の神」とも言われます。
そのため、枚岡神社ではしっかりと自分の想いを「言葉」にしてお参りをするといいそうです。

本殿右横から小道を進むと「遥拝所」がありました。

この裏、生駒山の神津嶽山頂に枚岡神社の「奥宮」があるので、その遥拝所でしょう。

しっとりとした参道が続きます。

摂社「若宮社」です。
天押雲根命を祀ります。

「白水井」という井戸がありました。

上の方に社があります。

末社「天神地祇社」です。
天津神・国津神を祀っています。
もと境内にあった19社と近郡の村々の氏神13社が合祀されているそうです。

「楠木正行公 縁の井戸」です。
楠木正行が、1349年(正平4年)正月に太刀・物具を献納したとあるそうですが、
正行はその1年前の四條縄手の戦いで敗北し、弟正時と差し違え、自害したと伝わっています。
この1年のずれが意味するのは、この時切られた首を洗ったのがこの井戸だから、という話もあるようです。

さて、いよいよ枚岡神社の最大の聖地、「奥宮」を目指します。

それは片道30分ほどのトレッキングになります。

「天の岩戸」の話で、岩戸に隠れていた天照大神は「あること」に誘われて岩戸から出てきます。
その「あること」とは?
それは神様たちの「笑い声」です。

岩戸の前で、八百万の神々たちが、笑ったり踊ったりするのにつられて天照大神は岩戸から出てきます。

それでようやく世の中は明るさを取り戻したと云うことです。

この世をを明るくするのは、やはり「笑い」なのです。
枚岡神社ではこの「笑いの神事」が今に伝わっているそうです。

そうこうしていると、しめ縄のかかった木があり、

その先に、奥宮がありました。

天児屋根を主神と祀る中臣家は、渡来系の一族と云われます。
また常陸国の鹿島神宮の宮家「卜部家」(うらべけ)の分家とも云われています。

天児屋根は辰韓(新羅)の渡来人・アメノヒボコの子孫で天小屋根と元は表記され、その小さな屋根の名が示すように有力な豪族ではありませんでした。
彼の末裔が中臣を名乗り出しますが、中臣御食子(なかとみのみけこ)は才ある人物で、息長系の田村皇子(舒明帝)に取り入り、宮中祭祀の要職に就くことになります。

やがて御食子は、多氏系の分家出身の鎌子を養子に迎えます。
その鎌子こそ後の「藤原鎌足」、春日大社を祭祀する藤原家の太祖となります。

鎌足は中大兄王とともにクーデター「乙巳の変」を起こしますが、後は他の中臣家と一線を画すため、天智帝によってが鎌足の子孫以外は藤原姓を名乗ることを禁じさせました。

後に記紀編纂の首謀者となる「藤原不比等」ら藤原本家は、海部家と出雲家の血を引く人間であり、息長系中臣家とは別の家系であると世に示したのです。

枚岡神社の由緒は記します。
「此処は枚岡神社創祀の地なり」

「その昔、神武天皇御東征の砌浪速から大和に進み給はむとす」

「その時 天種子命 勅命を奉じ生駒山西方の霊地 神津嶽の頂上に一大磐境を設け
国土平定祈願のため天児屋根大神 比売大神の二神を奉祀す」

「ときに神武天皇即位紀元前3年 即ち枚岡神社の起源なり。
その後孝徳天皇白雉元年神津嶽の霊地より現社地に社殿を造り奉遷す。」

記紀の神武東征は、筑紫の物部族の東征をモデルにした創作であるとされます。
当地生駒山は、東征の際、物部イクメ王の軍が、大和で陣を張るサホ彦軍に遮られ、当山に長く籠らざるを得なかったことに由来する名前なのだそうです。

枚岡神社奥宮も、その時に戦勝祈願で祭祀されたのが始まりであると考えられます。
中臣家は物部家に与したということでしょうか。

帰り道、長い階段を降りていくと、

「姥が池」というものを見つけました。

今から約600年前、一人の老女が生活に困って神社のご神灯の油を盗んで売っていたが、それが発覚したため池に身を投げたそうです。
その後雨の夜になると青白い炎が現れ、村人を悩ませたと云います。

この物語は井原西鶴の短編話など、多くの俳諧やや戯曲に登場し、「和漢三才図会」や「河内名所鑑」にも取り上げられているそうです。


narisawa110
コヤネの系譜である天押雲根命ですが、何故か摂社になってるんですね
八井耳の系譜が伊予において多臣家と中臣家に別れたと富士林本にはあり、そうでなければ臣家になりません
中臣は一方で卜部氏の分家ということも書いてあり、これだと安麻呂と親戚関係になりません
ただ、天押雲根命は、雲の字からも叢雲を想起させます。
女系の朝鮮系卜部氏が、中臣家を名乗り始めたことにより混同が起きたとしかこの矛盾を解決する方法はなさそう。
卜部氏の方に言わせると、中臣家の外戚になると藤原を名乗れるという事なので、やはり女系中臣家の区別が要る様な気がします
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narisawa110
此処の東大阪は古来は海岸だったとされ、平岡の古語は崖に住むといった意味の様です。
元々安倍や出雲の領地だったと思われ、この近辺の地籍は出雲井町。
語源は、境内にある井戸の名称、出雲井から来ております。
確かこの神社は、春日大社の真西にあるんでしたっけ。もしかしたら、コヤネ一族が臣姓になったのは、平岡氏からかもしれませんね。ナカトミの実家が、平岡氏なのかもしれません。
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確かに、出雲井がどうとか、案内にありました。
コヤネ族は四国にもルーツがあるようですね。
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そして、大祝邸の敷地内には、現在でも春日神社が、別の小さな神社として祀られています。
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narisawa110
大彦関連で、ちょっと書き込みますね。
ここはかつて、登美を名乗り、現在は矢追姓に変わった一族が、宮司をやっていた時期があります。
そして、その一族は今も続いており、「大彦」ではなく「ナガスネヒコ」の子孫を名乗っています。
ダイレクトに大彦=ナガスネヒコ説をとっているのは、先代旧事本紀大成経と、蘇我氏の残した一部の文章以外は、出雲口伝しかありませんが、矢追家は、登美家を名乗っていた時期の磯城家=尾張家の系譜です。
ナガスネヒコ=大彦の伝承を持つ一族が現在でも続いています。
その一族に、登美道麻呂という人物がおり、これが上宮法王の幼少期の舎人だったそうです。
物部と蘇我氏の関係が武力闘争に発展した際に、太子に付き従って戦をし、3度ほど敗北。4度目で守屋氏を倒したそうです。
その後、河内領が物部氏から、この尾張家の所有になったそうです。
これは、トミノオビトイチイと書かれた道麻呂が褒美として受け取ったという事の様です。
諏訪に連なる物部と大彦の話は、河内から繋がっていると思われます。
それが孝謙天皇の時代に春日の地に遷座。
磯城登美家のミカヅチですが、ここで最初にミカヅチを祭ってたのは、尾張家だった可能性が高いです。
さて、もうひとつ安房の鹿島の話もありますが、多氏系のタテカシマが安房にミカヅチをもって来たとしても、結局は男系尾張氏の話に過ぎないという事になり、信ぴょう性があるお話と思われませんでしょうかw
八尾の地名も彼ら登美系尾張氏に因んだ名前で、現在の矢追氏の住んでいる地名は
奈良時代は大倭国添下群鳥見庄(とみ)ナカ村→明治までは奈良県生駒郡富雄村大字ナカ小字藤木
安房神社でしたっけ、かつての社家が大彦系になっていて忌部氏の投影が薄いのは、どうも色々あったからだと思われます。
阿波の加茂宮ノ前遺跡って、地籍が加茂で、近くの川がナカ川であったと記憶しています。
事代主の伊豆建国で書かれていた大彦の諏方入りに関してヒントになる気がしています。
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トミノオビトイチイと矢追の話は、大倭神宮に伝わっていますね。あそこを訪ねた時は?でしたが、色々腑に落ちる点もあります。ただ、盛った話も多分にあるように感じられ、精査する必要はあると思います。
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