
出雲市斐川町に出雲大社の祭神「大国主」の最初の妻と伝わる「八上比売」(ヤガミヒメ)とその娘を祀った神社があるというので、訪ねてみました。

「御井神社」(みいじんじゃ)です。

大国主は兄弟神と一緒に、美しいと評判の八上姫に求婚に行くことになります。
しかし意地悪な兄弟神は大国主に荷物をすべて持たせ、先に行ってしまいます。
大国主が遅れて歩きゆくと、ずるむけで泣きじゃくる小汚いうさぎに出会いました。
うさぎはワニザメを騙したことで皮を剥がされ悲しんでいましたが、そこへ意地悪な兄弟神がやってきて塩水で体を洗うと良いと教えられます。
それを聞いたうさぎは海水で体を洗いますが、余計にヒリヒリして大変なことになってしまいました。
大国主はすぐに真水で体を洗い、ガマの穂でもふもふしなさいと、うさぎに教えてあげました。
うさぎは大国主に教えられた通りもふもふすると、あら不思議、もとのきれいな白うさぎに戻ったということです。

この白うさぎ、実は例の美女、八上姫の眷属でした。
姫は言い寄る兄弟神たちを押しのけ、イケメンで優しい大国主が良いわ♪と言って、大国主のお嫁さんになったのでした。

ところが、大国主はイケメンが過ぎました。
すぐに浮気をしてスサノオの娘、須勢理姫(スセリビメ)に手を出してしまいました。
でも大国主はイケメンだったので、何人奥さんを作っても許されたのです。
ところがこの須勢理姫はとっても嫉妬深い女でした。
大国主がいなくなると、すぐに八上姫をイビリだし、ついには出雲から追い出してしまいました。

しかし大国主はやることはやる男でした。
しっかり八上姫のお腹の中に子供を仕込んでいたのです。
八上姫は身重ながら逃げ出し、身も心疲れて途中、腰掛けます。
するとそこから温泉が湧き出で、よれよれになっていた姫が湯につかると、以前の美しさにより拍車がかかり、スーパー美女になりました。
この湯は日本三大美人の湯で知られる「湯の川温泉」と呼ばれています。
途中、産気づいて玉のような娘も生まれました。
そして三つの井戸の水で産湯につからせてから、木の俣に預けて因幡の国に帰ったそうです。
その娘が木俣神なのでした。

なんて話になっていますが、もちろんこれは物語です。
ですが八上姫は実在しています。
木股姫も実在しています。
須勢理姫は…これは創作でした。

神話で木股姫が浸かったという井戸が3つあるというので散策します。

「生井」(いくい)、安産と子育ての水神です。

これらの井戸は50年前までは滾々と水が湧き出ていて、掘りぬき井戸としては日本最古とも云われています。

「福井」(さくい)、母子の幸せを司る水神です。

八上姫は因幡国の豪族「曳田家」(ひきたけ)の姫でした。
鳥取市川原町曳田の売沼神社では八上姫が祭神として祀られています。
そして八上姫と大国主・八千戈王との間に生まれた娘が「木股姫」です。
物語にあるように、木股姫は木の股に放置されたりはしていません。
きっと大切に育てられたのでしょう、彼女の名は別の名で、各地に祀られているのですから。
その彼女の別名こそ「下照姫」(シタテルヒメ)です。
下照姫は宗像三女神のタギツヒメの娘と解釈されていますが、それは間違いのようです。
そして彼女は倭文神社にも祀られています。
そう、天稚彦・武葉槌の妻なのです。

「綱長井」(つながい)、母子の寿命を司る水神です。

激動の時代に生きた八上姫と木股姫、彼女たちの人生がどのようなものであったかは図りかねますが、ここには母娘のあたたかな絆が残されているように思えました。
narisawa110
(*´艸`)(*´艸`)。先生はやっぱりこの神社、行かれてましたね。
アカルヒメ(古事記のみ)、ヒメゴソ神、木俣神、「御井神」、下照姫、八上姫を論じる際に、必ず出てくるのが御井神社です。説によるとアダカヤ神社も論社を構成していた気がします。
欠史八代の中で異色の存在が、女性陣です。なぜか、さる人物だけ、出自が書かれているという異常事態になっています。その人物は、淡路とも関連する、ヤマトトビモモソヒメw
師木県主波延(磯城県主ハエ)→ヌナゾコ姫(阿久斗姫)→磯城津彦→和知津命→(意富夜麻登クニアレ姫:蝿伊呂泥ハエイロネその妹蝿伊呂桙イロド)このお二人は「淡路の御井宮」に居たそうで、出雲口伝でもハエイロドが大彦を助けた話はこの情報が載ってる書物を見ていると考えられます。
①クニアレ姫は意富氏に嫁いだ登美家の人物という事になっていますが、さてはて、御井神社は・・太田氏の神社と考えられなくはないでしょうか?
また、稲葉国風土記(ただし逸文)には、何と厳密に言うと八上姫は登場しません。古事記の中だけで完結し大屋姫が出てくるだけで、実際には誰かが大屋姫を追加している可能性があります。阿陀萱神社の由緒では八上姫との間の子が多岐喜姫。これが出雲風土記によりアダカヤヌシ多岐吉姫と書かれ実は厳密に読むと微妙~にタキツ姫という名ではないのです。それも風土記では彼女の親の名が書かれていません。
②更に市森神社では、多岐喜姫の母親が玉依姫になっています。更に他の祭神にカガセオが居ます。市森神社では宇佐の豊家が出雲と結び付けられている可能性がある事になります。そしてそれは稲葉の白兎神社に豊玉姫が居る事と相似します。海人族の投影。
③ヒコイマスの娘に御井津姫が居ます。別の子に大俣王、その子が二人で「曙立王と、菟上王」wwwここで宇佐家と循環します。
④出雲伝承では存在しないはずのウガヤフキアエズ(おばちゃんと結婚)が近くに来るので明らかに本質としては異質。八上姫や下照姫が出雲口伝に詳しく乗らなかったのは、宇佐家を保護した太田氏の祭神、逸話に近かったからではないでしょうか?
⑤ついでに言うとヒコイマスは、おばちゃんとも結婚しててその名が「オケツ姫」もうヒコイマスやヒコミチヌシはいいように記紀では使われまくっていますね。
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市森神社祭神が豊家に絡んでいる話は他の方からも伺っており、気になっています。
この母神群は本当に謎ばかり。
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