
こちらも知らなければ辿り着けない神社、壱岐市芦辺町湯岳興触(こうふれ)鎮座の「総社神社」(そうしゃじんじゃ)を訪ねました。
同じく磐座系女子さんからの情報です。


目的地のすぐ近くに「興神社」(こうじんじゃ/こうのじんじゃ)がありました。

壱岐国一宮の論争社はいくつかありますが、ここもそのひとつ。

祭神は「足仲彦命」(仲哀天皇)「息長足姫命」(神功皇后)となっており、神功皇后の伝承を匂わせる神社です。

付近にはかつて壱岐国府があったと考えられており、社名の「興」は「国府(こふ、こう)」に由来すると云われます。

当地には国府の倉の鍵である「印鑰」(いんにゃく)を保管していたことが知られており、近世には「印鑰宮」と呼ばれていました。

当社を式内小社の「與神社」に比定したのは、例の橘三喜によるもので、これは興と與(与)を見誤ったためと考えられています。
近年の研究では、式内名神大社の「天手長男神社」が当社であり、壱岐国一宮であったとする説が有力となっているそうです。



興神社を壱岐国一宮とするもう一つの根拠である境外摂社「総社神社」が本来の目的地。
そこへ至るには、まずこの精米機を見つけなければなりません。

その民家の脇にある細い道を歩いていき、

突き当たり付近にある細い山道に入っていきます。

神石神社に比べれば、まだ人に知られている当社ですが、それでも難易度の高いルート。
実際僕はこの山道に入る場所を間違えて、藪こぎしてしまいました。

ただその途上に磐座っぽい場所に至れたので、それはそれでよし。
冒頭の石を抱く樹木もその時見つけたものです。

獣道に近い山道をしばし登ると、

木々に囲まれた、小さな石の祠が見えてきました。

これが総社神社。
このような場所に鎮座していますが、今も丁寧に祀られていることが窺えます。

総社というのは各地に見られ、かつて国の中心部において全ての神社を総括していた社として伝えられています。
これがその総社であるというのなら、先の興神社が壱岐国一宮であるとするのも納得です。

僕が当地を確認したかったのは、この神社の佇まい。

なんとなくこれに似ているのではないかと思ったからなのでした。

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