オソロシドロコ(裏八丁郭)

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前回の対馬旅から2年、心残りだったオソロシドコロ 「裏八丁郭」を訪ねる旅へ、ついに重い腰を上げました。
それはまた、新たな発見に満ちた旅だったのです。

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【多久頭魂神社】
今回の「裏」オソロシドコロの旅において、最初に訪ねたのは、豆酘(つつ)にある「多久頭魂神社」(たくずだまじんじゃ)でした。

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前回も訪れた当社ですが、知識を養って来てみると、新たに見えてくるものもあります。
祭神の一柱に伝わる「高皇産霊神」とは渡来人「徐福」の母「高木神」のことで、和名の別名を「栲幡千千姫」(タクハタチヂヒメ)と言います。

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『日本書紀』に、対馬下県直が高皇産霊神に神田を献上したとありますので、つまりは、多久頭魂神社と物部族が繋がっている可能性があるということです。

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この神田とは、当社から近い、寺田の「赤米神田」のことと思われます。

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赤米とは古代米のことであり、豆酘地区には赤米神事が1300年以上の長きにわたり伝承されてきたと云います。

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その神事は、頭仲間と呼ばれる「供僧家」と「農家」により行われ、秋に収穫された赤米を新しい俵に詰め、旧暦の十月十七日、1年交代で務める「頭主」の自宅の本座(座敷)に吊るされるのですが、この米俵が祈祷することで「御神体」となるのだそうです。
以後は頭主でさえも、本座へみだりに入ることは禁止されるということです。

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米自体がが御神体となるという神事はあまり聞いたことがありませんが、米を我が国に伝えた往古の人物を「神」と祀っているのだと思われます。

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さて、禁足地「不入坪」(いらぬつぼ)へたどり着きました。
今回最初の目的地です。

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当サイトが爆発的にアクセス数が伸びたきっかけとなった、「クレイジージャーニー」の中で、気になる映像が流れていました。
この不入坪内に祠があるという話です。

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前回、僕はその存在に全く気付かなかったのですが、番組内でもその時、初めてそれを確認したようで、騒然となっていました。

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いや、確かに、何かあります。

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頁岩(けつがん)という板状の石を積み上げた小ぶりなピラミッド。
頂部には意味ありげな石が固定されています。
それは確かに、オソロシドコロに特有のものでした。

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なぜ、今になってこの小ピラミッドが発見できたのか。
ピラミッドは昔からずっとそこにあったはずです。
そう、それは不入坪の杜の樹勢が弱くなったので、外から視認できるようになったということです。
僕には、そのことの方がとても気になりました。

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多久頭魂神社の神主は、後継者が居なく、現在は不在だと聞いています。
そうした中で、この禁足地が十分に守られているのか、また樹勢が衰えているということは人為的に伐採されたのか、はたまた神威が落ちているということなのか、心配になります。

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ふと境内を見ると、こちらは未だ樹勢溢れる御神木に、以前はなかった祠が設けられていました。
この聖地を見守る人もいらっしゃるということでしょう。
少し安堵しつつ、境内を後にしました。

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車を走らせふと振り返れば、当社の杜と龍良山(たてらさん)は繋がっているのだと改めて確認しました。

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【裏八丁郭】
さて、龍良山にやってきました。
今回こそ「裏八丁郭」(うらはっちょうかく)にたどり着きたいと思います。

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が、その杜に足を一歩踏み込むと、

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もう、背中がぞわぞわしてきます。

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前回間違って着いた「天道大神神社」が、ほんと半端なく怖かったからです。

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ありました、龍良山登山口。
ここを通り過ぎって真っ直ぐ行くと天道大神神社に行ってしまいます。

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龍良山へ慎重に足を運びます。

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朽ちた倒木も、以前のまま、そこにあります。

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龍良山は、「天道法師」(てんどうほうし)の禁忌として、立入や樹木の伐採が禁じられてきた天道信仰の聖地です。
つまりこの山自体が禁足地だったのです。

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今は登山も可能になっていますが、未だ斧を入れることは許されていないため、極めて自然度の高い照葉樹林が残されており、大正時代に「龍良山原始林」として国の天然記念物に指定されています。

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登山道には赤いリボンが結び付けられていて、目印となっていますが、なぜかそれを見失いやすい山です。

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何箇所か道に迷いそうな場所があり、前回はこの倒木を越えて進んでしまいました。

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倒木を迂回する方向に、なんとかリボンを見つけ、足を運びます。

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慎重に、慎重に、

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遭難しないよう道を選び、探しながら歩いて行きます。

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すると、明らかに神々しい1柱の大樹に出会いました。

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龍良山のスダジイと呼ばれる老木です。

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ここで、僕の怖さは吹っ飛びました。
なんと美しい。

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その根は瘤を作り、複雑に絡み合い、

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しっかりと大地に根付いています。

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思うに対馬の地盤は岩盤なのだと思います。
なので樹木は地下深くに根を張ることができないのです。
時折見かける土をめくり上げて倒れている倒木は、それが理由なのでしょう。

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こうして威風堂々と根を張らねば、巨体を支えることはできないのです。

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ところで「裏八丁郭」は一体どこにあるのでしょう。
話ではスダジイの手前付近にあると聞いていたのですが、ここまで見当たりませんでした。

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心細くなりながら、引き返そうとすると、遠くに赤いものが見えます。

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ありました、鳥居です。
裏八丁郭は、登山道から分かりにくく分岐した、道の先にありました。

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杜の中にひっそり佇む裏八丁郭、

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それは天候のせいもあるのでしょうが、前回の八丁郭とはまた、全く違った雰囲気を放っていました。

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天道法師の母親が眠ると言い伝えられる裏八丁郭。

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ここにしばらく佇んでいたい、と思わせる優しい空気に包まれています。

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ふと鳥居の下を見ると、「平成二十九年五月吉日」と記してあります。
昨年建て直されたようです。
この赤い鳥居がなければ、たどり着けなかったかもしれません。

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四角くありながら、丸みを帯びた優しいフォルム。
ありがたいことに、このオソロシドコロのおかげで、僕のブログのアクセス数は随分伸びました。
しかしオソロシドコロは、本当にオソロシイトコロなのか?

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「禁足地」というキーワードが、オソロシドコロをさらに恐ろしげにしているように思います。
が、禁足地というなら、対馬は「不通浜」や「神山」、「胡簶神社」など、禁足地だらけの島であり、往古には宗像の沖ノ島のように、対馬そのものが禁足地の島であったと言って良いのではないかと思われます。

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対馬は本来「津島」と呼ばれる、神聖な島だったのです。
しかしそれが今は、あたかも隣国が喜びそうな俗字が充てがわれています。
この国境の島は、常に隣国の脅威にさらされ、歴史的にも蒙古襲来など、壮絶で悲惨な体験を受けてきた孤島なのです。

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今、対馬を歩けば、島中にハングル文字が記され、お世辞にも品があるとは言えない騒々しい人たちで溢れかえっています。
老舗の土産屋で、「繁盛して良いですね」と申し上げると、女老店主さんは、「あの人たちはガチャガチャして出て行くので、困った部分もある。本当は日本のお客さんにたくさん来て欲しい」と話してくださいました。

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我が国の人たちが、もっとこの麗しい果ての島に足を運んでくれるのなら、日の本を死後も見守ろうと身を沈めた天道法師も、彼の聖域に少しばかり興味を持つ人たちを無下にはしないだろうと思うのです。

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【某社奥社】
麗しい津の島、その最後にどうしても気になる場所があり、訪ねてみることにしました。

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その場所は、とある神社の奥宮にあたるようなのですが、それについてあまり触れられている記事もなく、大っぴらに記さない方が良いような気がしています。

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その神社さえも、普通に探しても見つからないような場所に鎮座しています。

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おおよそ参道とは思えない、獣道のような山道をひたすら登ります。

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数分参道を進むと、鳥居が見えました。
手前の岩盤を見るに、ここも岩山のようです。

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社殿が見えますが、今回の目的地はここではありません。

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そこからさらに山上へ。

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道は落ち葉や枯れ枝がそのまま放置され、足元が埋まってしまいます。

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道は合っているのか、不安になります。

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道がおおよそ道とは呼べない代物になって来た頃、

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目的地が近づいて来た気配がありました。

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先に何か見えます。

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その姿、

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その威容を見た瞬間、

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ここまで登って来た疲労とは別の、冷たいものが全身から吹き出します。
一体これは、何なのか。

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神殿を思わせる石積みのピラミッドの上には、不入坪や裏八丁郭で見たように、いや、それ以上の巨大で異様な巨石が突き立っています。
天道法師の墓所と云われる八丁郭の頂部には、木製の祠が乗っていましたが、本来は石が乗っていたのではないでしょうか。

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これがオソロシドコロの本体であり、八丁郭などはこれのミニチュアなのではないか、などと考えてしまいます。

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石塔のそばには、「豊玉姫」と思われる石像が祀られています。
豊玉姫は安曇族の大祖神であり、大分宇佐神宮の真の祭神であり、魏書に親魏倭王の「卑弥呼」と記された女帝です。

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「天道」を変換すると「天童」にもなります。
対馬の天道法師を検索してみるも、他地区で彼を伝える伝承は見受けられません。
そこで対馬特有の「天道」という言葉について、少々考えてみました。

日本神話の「天津神」の「天」とは、渡来系を示す「海」であったと古代出雲王家の富王家伝承で知りました。
ならば「天道」とは「海童」の文字と呼び名が変化したものではないでしょうか。
つまり「天道」とは、安曇族が信奉した「綿津見神」(ワダツミノカミ)のことであり、海の藻屑と消えた徐福とともに渡来を目指した「童男童女」たちの霊を祀ったものなのかもしれません。

ここが豊玉姫の墓であることはないと思いますが、対馬を拠点とした太古の一族の聖地と、長らく禁忌とされてきた対馬のオソロシドコロには、何らかの繋がりがあるのではないかと思わせられる、今回の旅でした。

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