朝熊神社・朝熊御前神社・鏡宮神社:斎王 27

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伊勢神宮内宮の境内を流れる五十鈴川、その下流域と朝熊川の合流点にひっそりと、とても重要な神社がありました。

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こんもりとした丘の上、

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敬虔な鎮守の杜に佇む神社は

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「朝熊神社」(あさくまじんじゃ)と「朝熊御前神社」(あさくまみまえじんじゃ)です。

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仲良く並んだ双子の神社。
向かって右が朝熊神社で、左が朝熊御前神社のようです。

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朝熊神社は内宮の摂社として第1位にあり、125の神宮の中でも格式高い神社だといいます。
祭神は「大歳神」(おおとしのかみ)、「苔虫神」(こけむしのかみ)、」朝熊水神」(あさくまのみずのかみ)とされ、3柱の神はすべて朝熊平野の守護神かつ五穀と水の神であるとされています。
また『皇太神宮儀式帳』では、桜大刀自(大歳神の子)・苔虫神・朝熊水神の3柱となっており、『倭姫命世記』は前記3柱に加えて、それぞれの親神、櫛玉命・保於止志神・大山祇を含む6柱を祀るとしています。

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朝熊御前神社の祭神は「朝熊御前神」(あさくまみまえのかみ)。
朝熊神社創建の由来は、『倭姫命世記』によれば、内宮の鎮座地を定めた大和姫が垂仁天皇27年に石と化していた大歳神を祀る社を建てたのが始まりとなっています。

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朝熊、と名が付いていますが、社殿は南西に向いており、朝日を拝することも背に受けることもない造りです。そもそも杜が深くて、陽が差し込まない。
朝熊の由来は、「浅隈(あさくま=浅く曲がりくねった川)に由来する」、「空海が修行中、朝に熊が、夕に虚空蔵菩薩が出現したことにちなむ」「コノハナノサクヤビメの異称・葦津姫に由来する」などの説があるようですが、朝熊は「あさま」とも呼べ、浅間信仰が絡んでいるのではないかと、ふと思いました。

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また、朝熊神社は桜の名所で、「桜大刀自」の神名はサクラの木を神体とする習俗によるものと考えられています。
かつて内宮には、朝熊神社の遥拝所があったそうですが、それは「桜宮」または「桜御前」と呼ばれていたといいます。

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朝熊川を挟んだ朝熊神社の対岸に、「鏡宮神社」(かがみのみやじんじゃ)が鎮座しています。

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朝熊神社と鏡宮神社は直線距離では100mも離れておらず、僕のだいだるウェイブ・ムーンサルトジャンプで飛び移れそうですが、この日は2月で、川ポチャすると寒そうなのでやめておきます。

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かつては公道の橋を渡って行き来しなければならず、大変だったようですが、祭祀の便宜を図る目的で、この歩行者用の橋が作られました。

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鏡宮神社は、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として造られました。
その後、朝熊神社の隣に朝熊御前神社が建てられ、鏡宮神社は朝熊神社から独立した神社となったということです。

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ということは、ここには本来「朝熊御前神」がご鎮座になっていたということでしょうか。
現在の鏡宮神社の祭神は、「岩上二面神鏡霊」(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)で、鏡を依り代としているとのことです。

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社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の1つで、白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名なのだそうです。

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白と銅の鏡。出来立ての銅製品は金に近い色をしていますが、では、白の鏡とは何か。それは鉄の鏡だったのでしょうか。

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先に朝熊神社の神は、大歳神(またはその子・桜大刀自)、苔虫神、朝熊水神の3柱であり、『倭姫命世記』ではそれぞれの親神、櫛玉命、保於止志神(大歳神?)、大山祇を加えていると記しましたが、大山祇神の子・朝熊水神とは、瀬織津姫のことではないでしょうか。越智族の関与があったのではないか。

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ちなみに朝熊=浅間の可能性から、内宮と朝熊神社を繋ぐラインの先に、富士山が繋がらないかと調べてみましたが、全く角度が合いませんでした。
その代わり、内宮ー朝熊神社ラインは、ちょうど諏訪湖に至ることが分かりました。
まあだから、どうなのかと言われれば、どうなのでしょうか。

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鏡宮神社の社の裏手に、木の柵で囲まれた磐座があります。

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これは「虎石」と言って、今は完全に水中にありますが、潮が引くと地上に現れるようです。

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「虎石」はかつての依り代であり、この岩の上に2面の鏡が祀られていた、ということでした。
ちなみに有名な「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」で、「朝熊岳金剛證寺」(あさまだけこんごうしょうじ)に皆参るわけですが、本来かけねばならぬのはこちらのほうであると、地元の人の知るところだそうです。

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